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ssh575 名は名付け主の体を表す [社会]

<2012>

 

 学校の先生という商売を長年やっていれば、多数の生徒と接することになります。

 イコール、多数の高校生の名前を見ることになります。

 すると、いろいろなことが見えてくるのですね。今回はそんな名前のお話を。

 

 

 親にもらった名前を一生使うことを、私たちは当然と考えています。

 でも、古今東西、必ずしもそうじゃありません。というか、親にもらった名前を一生使い続ける社会というのは、むしろ少数派かもしれません。

 日本においてさえ、かつては名前というのは成長過程で適当に変わるものでした。

 日吉丸が木下藤吉郎になって羽柴秀吉になるように、親から貰った名前はあくまで仮のもの。最終的に使う名前は、成人したら自分で決める。中臣鎌足や藤原鎌足になったり、桂小五郎が木戸孝允になったりするのを「あ~面倒くせえなあ、いちいち名前変えるなよ」と、歴史が苦手だった中学時代の私は逆恨みしたものです。

 

 現代日本は違います。よほどの事情がない限り、出生時に付けられた名前が終生使われます。本名と違う名前を日常生活で使っても(芸能人でなくても)全然構わないのだけれど、そういう人は少数。大多数は出生時の名前を使っています。

 ということは、人の名前は、その人そのものではなく、その名付け主の好みや知性や思いを反映しているわけです。

 

 

 名前のトレンドは時代によって変わります。保険会社が毎年「今年の名前ベスト10」を発表しますけど、あそこに反映されているのは、その年の命名トレンドです。

 高校生の名前の変化というのは、1518年ほど前の命名トレンドの反映ということになります。高校生の名前を見れば、15年前の日本がわかる、かも。

 

 

 今、子どもの名前を決めるのはたいてい親です。祖父母の意見や姓名判断を仰いだとしても、最終的に判断するのはたいてい親でしょう。

 子どもの名前は、親の好みや知性や思いを反映しているということになります。

 

 このことに着目してちょっと怖い仮説を立てたのが、以前紹介した金原克載です。

 金原は子どもの命名のトレンドがTVの影響を受けていることを統計的に証明し、そこから「TVをよく見る家庭の子どもは学力が低い」という仮説を立て、これをかなり定量的に証明しました。詳しくはssh368「『""のつく名前の女の子は頭がいい』再評価」をご覧ください。


 

 さて、仕事柄、数多くの高校生の名前を見ているのですが、中に「ん?」と思うような名前の子どもがいます。すると、私はその命名者がどういう人なのか、ついつい想像してしまいます。

 「ん?」と思うのはトレンドから外れたちょっと珍しい名前ということですが、それはさらに2つのタイプに分かれます。

 

 1つは、割と古風な名前。代表的なのは「子」の字のつく女子です。

 もう1つは、その正反対。古風でもトレンドでもない、ある意味「ぶっ飛んだ」名前。

 ぶっ飛んだ名前というのは、

  1. 音の由来がわからない。
  2. 字の読み方が理不尽。

 

 例えば、ユカリとかサヤカとかカオリとかマユとかカレンという音は、古来から日本語にある音です。(ユカリは縁、サヤカは静か、カオリは香り、マユは繭、カレンは可憐)

 また、ジョウジとかルイとかいうのは、GeorgeLouisなどヨーロッパによくある音です。

 こういう名前は、音の由来が明白です。

 1.の「音の由来がわからない」というのは、そういう古来から現在に至るまで、どこかで使われていた音ではない音を使っているということです。

 例えば、マユは日本語由来の音だけれど、ユマという音の言葉は少なくとも日本語にはありません。

 タレントに香里奈さんって人がいますけど、カリナって音の日本語は「仮名」くらいしかありません。まさか仮の名前として使っているわけじゃないでしょうに。

 こういう音の名前を見ると、私はつい意地悪く考えちゃうのです。

 「この名前をつけた人って、あんまし学がないんじゃないかな。」

 

 読みについても同様です。

 漢字には、元来の音である音(おん)読みと、その意味から日本で育まれてきた訓読みがあります。

 で、人名の場合、さらにそこに、伝統的に慣用的に用いられてきた読み方があります。

 「一」の字なら「はじめ」。

 「大」の字なら「ひろ」「ひろし」。

 「美」であれば「よし」。など。

 これらの読みは、単なる慣用ではなく、文字本来の意味と関わっているがゆえに一般化したものです。

 

 人名を戸籍に登録する際、漢字の読み方について特に規定はありません。だから、音読みでも訓読みでも人名漢字読みでもない、まったくの独創(悪く言えばでまかせ)の読みであっても、戸籍登録は一応可能です。

 そういうわけで、時々「この読みはちょっとないんじゃないの?」という名前に出くわします。

 すると、やっぱり私は「あんまりモノを知らない人のセンスだよなあ」と思っちゃうわけです。

 具体例を挙げたいところですけど、本人が読んで不快に思う可能性もゼロではないのでやめときます。

 

 

 こういう話はあまりしない方がいいとは思うのですけど、命名者の知性があまり感じられないような名前の子どもは、学業面でも生活面でもいまいちパッとしない場合が多いように思います。判読しにくい名前の生徒は、進学校よりもそうでない学校の方が目立ちます。金原克載の指摘は今もって有効なような気がします。イヤな話ですみません。

 

 

 最近脚光を浴びた人物で「うまい!」と感心したのはサッカーの澤穂希ですね。

 「穂」はもちろん「ほ」、「希」には「まれ」という訓読みがある。

 その2つを組み合わせた「ほまれ」という音は、「誉れ」すなわち栄誉という意味の日本語の音です。命名者の知性を感じさせる上手な命名だと感心しました。(穂が稀だったら凶作じゃんか、という意地悪はこの際なしにしましょう。)

 

 

 え?じゃあオマエは自分の子どもにどんな名前をつけたのかって?

 書くワケないでしょ、そんな個人情報。

 まあ、あまり当時の流行を反映していない名前ではありますね。この点に関しては「まわりにいっぱいいるような名前はイヤだ」という嫁サンとも意見が合いまして。

 これはこれで、名は名付け主の体を表してますね。


 

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