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ssh676 総閲覧数1,800,000件のお礼 [ご挨拶&エッセイ]

<2014>

 

 本日もssh—スーパー小論文ハイスクールをご訪問いただきありがとうございます。

 この度、総閲覧数が180万件となりました。皆様のご訪問に厚くお礼申し上げます。

 と書いておいてナンですが、実はすでに181万件になっております。夏休みでサボっている間に180万件を超えちゃっていたのですね。遅れてすみません。

 

 180万件の御挨拶は、140万件(ssh613)のクルマのお話の続きを書くことにします。


 幼少期にはどんなクルマも一目見れば車種もグレードもわかるほどのクルマ好きだった私は、昭和50年頃に突如クルマに対する興味を失い、その後大学に入学して再びクルマ熱が復活、就職して最初に買ったマツダ・ファミリアは一緒に寝たいくらい嬉しかったというのがssh613のお話です。

 

 その初恋のファミリアを、私は1回目の車検が来る前に手放しているんです。なんという浮気男。

 浮気相手は、1989年に発売されたユーノス・ロードスターでした。

 ファミリアは本当に気に入っていました。手放したのは妙な理由からです。

 日本初のフルタイム4WDを搭載したファミリアは、非常にスタビリティ(走行安定性)の高いクルマでした。しかし、当時の私には、自分の運転技術をもっと磨きたいという欲望がありました。ウデを磨くには、スタビリティが高くない後輪駆動の小さなクルマで練習するのがいい。ファミリアに日々乗りながら「このままじゃオレは堕落する」なんて妙な危機感を持っていたのですね。


 1980年代の日本は、クルマ好きの若者にとって大変に恵まれた時期でした。

 バブル景気のおかげで多くの人が収入が増えました。しかし不動産価格はメチャクチャに高騰。手持ちのカネはあるが不動産に手は出せない市井の人たちは、クルマや衣類やグルメや旅行にお金を使いました。クルマはジャンジャン売れ、自動車メーカーは次々にニューモデルを発表、日進月歩で技術も進歩しました。高価な4ドアセダンが「ハイソカー」ともてはやされ、トヨタ・マークⅡが毎月2万台以上も売れました。セダンだけでなく2ドアクーペもよく売れ、ホンダ・プレリュードや日産シルビアが月1万台近くた売れていました。

 

 そんなバブル時代の日本車がピークを迎えたのが1989年です。

 この年、傑作と呼ばれるクルマがいくつも発売されました。トヨタ・セルシオ(後のレクサスLS)、日産インフィニティQ45、同スカイラインGT-R(R32)、ホンダNSX、そしてユーノス・ロードスター(現マツダ・ロードスター)。「日本車のヴィンテージイヤ」と呼ばれています。

 

 ユーノス・ロードスターのベース価格は170万円。オープン2シーターのスポーツカーとしては破格の低価格でした。

 まあ一応見てみようかなくらいの気持ちで予約展示会に行った私は、ブルーの実車を見た瞬間に完全に気が狂い、念のため用意しておいた予約金3万円をその場で払ってしまいました。

 ユーノス・ロードスターは大変な人気車で、一番人気の赤だと納車は1年待ち、青でも半年待ちと言われました。しかし増産体制が整ったらしく、私のロードスターは3ヶ月ほどで納車となりました。


 

 ロードスターの楽しさは期待以上でした。

 もう、運転していると自然に顔がニヤけてくるんですよ。こういうクルマは滅多にありません。

 で、自分に対してすごく自信みたいなものが湧いて来るんです。何と言いますか、オレは今オレの人生を自由に生きてるんだみたいな気分になる。ちょっと説明が難しいですが。

 

 ただ、少々困ったこともありました。

 2人しか乗れないとか荷物があまり積めないとかいうのは別に困らなかったのですが、かなり目立つクルマだったので、家庭訪問には向いていませんでした。高校の家庭訪問はだいたい何か問題がある時にするものですから、ハデなクルマで乗り付けるのはイマイチです。それと、FRABSもなかったので、雪道には弱かったです。

 

 ロードスターに乗り始めて2年ほどしたころに、私は結婚をしました。同僚さんたちからは「ユーノスで彼女をナンパしたのか」とからかわれましたっけ(当時はいいクルマに乗っていると女性がナンパできるという時代だったのです)。いえ、ナンパなんかしてませんよ。嫁サンは母の知人に紹介してもらったんです。


 私は今までに6台のクルマを所有しましたが(嫁サン用も含めて)、ユーノス・ロードスターはその中でもダントツに最高のクルマでした。あのクルマは幸せになれるクルマでした。

 

 そんな大好きなロードスターとの蜜月は4年目の冬に突然幕を閉じます。雪の朝、一旦停止を怠ったクルマに横っ腹から衝突されてしまったんです。

 ロードスターは窓ガラスが割れ、半回転してカーブミラーにぶつかって止まりました。私は軽いむち打ちになりました。このカーブミラーがなかったら道路下の田んぼに落ちてかなりの大ケガをしていたところでした。

 しかし車体はサイドシルが曲がってしまい、修理しても性能は保証できないと言われました。やむなく、車検を通して数ヶ月のロードスターを泣く泣く手放しました。

 

 代わって私が買ったのはマツダの最高級セダン、センティアでした。車体価格が300万円を超える立派なクルマです。

 なぜそんなバカ高いクルマを?悔しかったからでしょうね。最愛のクルマを事故で潰されたんで。

 センティアは快適なクルマでした。やっぱ高いクルマはラクです。通勤に旅行に大活躍し、11年で15km走りました。今までで最も長く乗ったクルマです。

 センティアの次に購入したのが、現在乗っているマツダ・デミオです。このデミオも気がつけば10年目ですが、走行距離は5kmほど。まだまだ働きそうです。

 

 ただいま我が家の懸案事項は、主に嫁サンが乗っている1310kmの日産プレーリーリバティです。ガタも来ているし、自動車税も上がったしで(車齢が12年を超えると増税になるのですよ、ヘンな国ですな)、いいかげん替え時なんですけど、子どもたちの学費もあって難しいところです。

 家族旅行に活躍したリバティですけど、老体ゆえ遠乗りはちょっと不安です。最近では家族での遠出もデミオを使っています。

 クルマは買うにも持っているのにもカネがかかっていけませんね。


 それでは、これからもssh-スーパー小論文ハイスクールをよろしくお願いいたします。


 

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