ssh698 決められないのも、悪くない [リテラシー・思考力]
<2015>
「決められない政治」ってキャッチフレーズ、覚えてますか?
民主党政権の後期に、中央メディアがしきりに使っていた言葉です。
政治がグズグズと決断できないのはいかん、即断せよ、という感じでした。
それからすると、現政権は実に「決められる政治」をやっています。特定秘密保護法しかり、集団的自衛権行使容認閣議決定しかり、辺野古崎の工事強行しかり、解散総選挙しかり。ベンチャー企業もかくやという即断即決ぶりです。先日の選挙じゃ「この道しかない」てなことを言った政党が第一党になりましたっけ。
それにしても、根源的な疑問が湧きます。
「決められない」ってのは、そんなに悪いことなんでしょうか?
結婚してまだ何年も経っていないころ、私は人口9000人の小さな町に住んでいました。
たまに外食に出かけたのですけど、ここでは「決める」のにあまり困りませんでした。
なぜなら、選択肢がとても少なかったから。
幼子を連れて行けるような店は2~3軒しかなく、その中からどれにするかを選ぶだけ。「決める」のに1分とかかりません。
現在、私は人口20万人ほどの市に住んでいます。子どももみんな大きくなりました。
こちらでは、たまに外食しようとなると、なかなか行き先が決まりません。
店も多いし、子どもが成長したので制約もなくなった。おかげで選ぶのに時間がかかるようになりました。
高校入学直後の生徒に進路志望を書かせると、割とすぐに決まります。
と言っても、大多数が医療関係か教育関係か公務員あたり。他の系統や職種のことはあまりよく知りません。既知の選択肢が少ないから、書くことはすぐに決まる。本意かどうかはともかく。
そういう生徒たちに、理学や農学や政治学や社会学やその他さまざまな系統とその先の職種について学ばせると、にわかに決められなくなります。
センター試験直前になってまだ「これだ!」という志望が決まらないという人は、実は進路選択を本当によく考えているのかも知れません。
多くの選択肢があって、そのそれぞれについてよく考えると、ものごとはなかなか「決まらない」ものです。
反対に、選択肢の少ない不幸な状況であるからこそすぐに「決められる」ということもあります。世の中に本当に「この道しかない」のなら、選択の余地はありません。
「決められる」のは、単にモノをよく知らない、よく調べていない、よく考えていないからなのかも知れない。
「決められない」のは、多くの選択肢を知っていて、よく考えている証拠かも知れない。
「決められる」ことが、「決められない」ことよりも常に優れているとは言い切れないのです(部分否定)。
「決められない」ことのメリットは、選択の場面だけでなく、ものごとを考える時にも有効たり得ます。
フランスの風刺紙「シャルリー・エブド」本社がテロを受け、多くの死傷者が出ました。
こういう時、実に素早く言いたい事が「決められる」人たちがいます。
曰く、言論の自由に対する卑劣なテロで許せない。曰く、テロの戦いにひるむな。曰く、イスラムは怖い。
Yahooのコメント欄には、自分の意見を素早く「決められる」人たちのコメントがびっしり並んでいます。
ただ、どれもこれも、薄っぺらい。誰でも言いそうなことばっかり。条件反射的というか。
今回の事件を知って新たに考えたような意見は皆無です。自分の(数少ない)持ちネタを披露しただけという感じ。「自説を展開」ってヤツですか。大した説でもないですが。
一方、自分の意見がなかなか「決められない」人もいます。
私は後者のタイプ。
このような痛ましいニュースに出会うと、私はしばらく言葉を失います。つまり何も言えなくなる。何を言ったらいいのか「決められない」状態に陥るのです。
なぜ決められなくなってしまうのか?
それは、いろんなことを考えてしまうからです。
イスラム問題を考えていくと、パレスチナ問題まで辿らざるを得ない。
テロの問題を考えていくと、イラク戦争の問題まで遡らざるを得ない。
言論の自由ということを考え出すと、国内の問題まで考えてしまう。サザンオールスターズが紅白歌合戦で歌った『ピースとハイライト』が物議を醸しているが、風刺も言論・表現のうちだと考えれば、あれに眉をひそめながらシャルリー・エブドを擁護するのは筋が通らないのではないか、とか。
ショッキングな出来事や、よくわからないものごとに対しては、すぐに意見や態度を「決められる」必要はありません。むしろ「決められない」方がいい。
「決める」前に、あれこれ調べて、あれこれ考えてみる。よく調べて、何か糸口を見つけるまでは、決めることはできない。決められないものは、どうしたって決められない。
それで構わない。慌てるなくていい。TVのトークバトルじゃないんだから、その場でスパッと決める必要はない。
時間をかけて、じっくり考えればいいんです。
一つ問題なのは、「決められない」状態は中途半端の宙ぶらりんで落ち着かず、あまり居心地のいいものではないことでしょう。
こういう居心地の悪さに耐えられない、忍耐力のない人が、ものごとや意見・態度を安直に決めてしまうのです。
「決められる」人というのは、実は「迷えない」「待てない」「耐えられない」「調べられない」「考えられない」「どっしり構えられない」人なのかも知れません。