ssh733 総閲覧数2,000,000件のお礼 [ご挨拶&エッセイ]
<2015>
ssh-スーパー小論文ハイスクールより、皆様に御礼のご挨拶を申し上げます。
この度、総閲覧数が200万件となりました。
これほどのご来校をいただき、大変に嬉しく思います。本当にありがとうございます。
So-netブログの総閲覧数はページビューまで含めてカウントされています。そのため純粋なアクセス数よりも大きな数字となっています。それでも、これだけの閲覧数を頂けるのは幸せなことです。
総閲覧数200万件は、2015年6月18日に記録されました。私の53歳の誕生日です。
6月18日は全世界の人々が祝福する誕生日であります。もちろん全世界の人々がshiraを祝福するワケがありません。人々が祝福するのはポール・マッカートニーの誕生日であります。ポールはこのたび73歳になりました。
ポールと私は誕生日が同じなのです。
この世に幸福な偶然は数あれど、自分にとってのヒーローと誕生日が同じなどという幸福な人間は、そうはいますまい。こればっかりは、カネを積んでも、権力を乱用してマスメディアをアンダーコントロールしても、決して手に入れることのできないことであります。
そういうわけで、200万件のお礼は、ポール・マッカートニーとの出会いについて書いてみようと思います。
私は1962年生まれです。1962年というのはビートルズがデビューした年です。
ビートルズは1970年に解散しています。私は8歳の小学3年生。当時TVは歌謡曲全盛、私はビートルズなどまるで知りませんでした。
ビートルズが世界的に大人気だったころ、日本にビートルズファンはそれほどいませんでした。渋谷陽一は中学時代、ビートルズファンなんてクラスに2・3人しかいなかったと明言しています。東京生まれの東京育ちの渋谷からしても、ビートルズはマイナーな存在だったのです。いわんやイナカをや。ましてや小学生をや。
長男が大学の友人に、私がポールのファンだと言ったら、「あんたの父さん年代的にビートルズと合ってないんじゃないの?」と言われたそうです。鋭いですな。
私にとっては、ビートルズよりも先に、ポールがあったのです。
1970年ころの日本のミュージックシーンというのは、実に貧相なものでした。オトナは演歌、子どもはアイドル歌謡。当時のアイドル歌謡は大半がまさに子どもダマシのチャチなものでした。
だから、兄や従兄姉たちが洋楽のレコードを買って来たときは、その音楽的楽しさに大変な衝撃を受けました。歌謡曲と洋楽には君が代斉唱とJポップくらいの圧倒的な差がありました。テレビっ子だった私は、テレビ歌謡から完全に醒めてしまいました。
洋楽が歌謡曲とまったく異なっていたことの一つに、アルバムの存在があります。
70年代の歌謡シーンに「アルバム」というものはほぼありませんでした。シングルが2つ3つ売れるとご褒美的にアルバムが作られるものの、中身はシングル曲プラス他人のヒット曲のカバー。カバーと言えば聞こえはいいけど、たぶん歌える歌を選んで吹き込んでいたんでしょう。およそアルバムの体裁じゃありません。事実、こういうものはアルバムとは呼ばれず、単に「LP」と呼ばれていました。
アルバムを買えること自体が、洋楽ファンの特権だったのです。
アルバムは当時もけっこう高くて、1枚2000~2500円くらい。それでも兄や従兄姉たちは小遣いをためてカーペンターズやサイモン&ガーファンクルなどのアルバムを買って聞いていました。
上の人たちがやっていることをマネしたくなるのが下の子の性、小学生だった私も洋楽の「アルバム」を買って聞きたいと強く強く思うようになりました。もちろん、兄や従兄姉とは違うアーティストのものを。
昭和40年代のイナカで、洋楽の最新情報を手に入れるのは、大変な苦労でした。
テレビは洋楽を一切流さない。洋楽を耳にするチャンスはラジオが頼りです。そのラジオもFMはイナカにはNHK-FMただ1局。
イナカの洋楽リスナーは、AMラジオのイマイチな音質でまず曲をチェックして、気に入ったらレコードを買うというプロセスを踏んでいました。
私が生まれて初めて買ったアルバムは、ポール・マッカートニー&ウィングスの「Band on the Run」。時は1973年、私は小学校5年生でした。
当時、このアルバムの1stシングルである「Jet」が大ヒット中で、私はほとんどそれだけの理由でわけもわからず2300円のアルバムを買ってしまいました。家には中古のコンソールステレオしかないのに。
何を隠そう、「Band on the Run」を買ったとき、私はポールが元ビートルズのメンバーであることをよく知らなかったのです。何せ11歳のガキでしたから。
ビートルズよりも先にポールがあったというのは、そういうことなんです。
この出会いの得難さは、後々ようやくわかります。
人生最初に何も知らずに買ったアルバムが、世界一重要なアーティストの作品であり、しかもソロ活動期の最高傑作とされるものであった。そのアーティストその後何十年も第一線で活躍し続けることになる。
アーティストとの最初の出会いが、これほど幸せな形となる例は、そうはないはずです。
「Band on the Run」は名作です。文句なしの名作。
アルバムの評価というのは、人によってバラつくことも珍しくありません。アーティストと評論家とファンの評価が割れるということもよくある。ポールのアルバムにもそういうケースは多々あります。
しかし、「Band on the Run」の評価は完全に一致しています。ポールも気に入っているし、評論家もソロキャリアの最高傑作と位置づけている。ファンの間でもこれが一番人気が高い。ポールのライブではこのアルバムから必ず数曲が演奏されます。特に「Band on the Run」「Jet」「Let Me Roll It」はほとんど毎回演奏されています。
この6月18日に、改めて「Band on the Run」を聴きました。オーディオクオリティ的には少々のアラがありますが、曲といい演奏といいアレンジといい最高です。
ジャケット写真も有名な「Band on the Run」。撮影に参加してくれたクリストファー・リーが先日亡くなったそうです。
このアルバムは合計4枚も持っています。小5で買ったものはボロステレオで何度もかけたせいで溝が痛んでしまったため、大学2年の時に新しいものを購入しました。その後CD化されたものを買い、さらに発売25周年記念のリマスター&ボーナスCDセットも買ってしまいました。音はリマスターが一番いいので、聴くときはもっぱら25周年記念盤です。
ポールについて書きたいことはいくらでもあるのですけど、出会いだけでかなり長くなったので、今回はこのへんにしておきます。
それでは、これからもスーパー小論文ハイスクールをよろしくお願いいたします。