ssh1014 2004年産経新聞のこどもの日社説 [社説の読み方]
ssh109再掲 今回はほぼオリジナルのまま再掲させていただきます。
お待たせしました。大学入試でも使われた、2004年5月5日産經新聞社説「主張」ー「こどもの日 男の子は男らしく育もう」
まず、冒頭からの2段落で、端午の節句と桃の節句の説明。これは別にどうってことない。で、そのあと、こう続く。
◆◆◆ 近年、こうした日本の伝統行事を軽視する風潮が教育現場に浸透しているが、それは、男女の差別をなくすために性差までなくそうという「ジェンダーフリー(性差否定)」の思想から来ている。ジェンダーフリーは過激なフェミニズム運動家の造語で、男女平等教育や男女共同参画社会の理念とは、何の関係もない。 常識を持った親はそんなイデオロギーに惑わされず、男の子は男らしく、女の子は女らしく育てて欲しい。 ◆◆◆
おーっと来ました、猛々しいジェンダーフリー攻撃。原案は八木秀次先生?それとも林道義先生?
いや、反ジェンダーフリーそのものは非難しませんよ。思想信条の自由は憲法で保証されてます。
ただねえ。そうは言っても、やっぱねえ。事実誤認はマズいよなあ。批判するなら相手のことは正しく理解せんと。
この記事書いた人、ジェンダーって言葉の意味がわかってないんだ。
ジェンダー(gender)ってのは、社会的に作られた性別役割分担などのことです。
生物学的な性、つまり男女オスメスの区別じゃあありません。それはsexと申します。
女が妊娠したり生理を迎えたりするのは、性(sex)の問題。男がヒゲが生えたり頭がハゲたりノドボトケがでるのも、概して男の方が女より筋力が強いのも、同じこと。
こういう性別(sex)による違いを「性差」と申します。
ジェンダーの問題ってのは、例えば「お茶汲みは女の仕事」「男は仕事、女は家庭」「男なら大きな夢を持て」「男のくせに料理なんかして」とかいう、生物学的な性差とは無関係な区別や差別のこと。
ジェンダーフリーとは、文字どおりジェンダーをなくすということ。性差なんか否定してません。
だからくだんの文中の、<性差までなくそうという「ジェンダーフリー(性差否定)」の思想>ってのは、完全にマチガイ。
( )内は「社会的性差否定」とか「性別役割分担否定」と書いておかないと。
しかし、このマチガイ、致命傷。
事実誤認に基づいて論じ始めちゃったら、あとはもう妙な方向にまっしぐら。
書いた人も書いた人だけど、チェックを入れなかった上層部も上層部。
小論の答案でこーゆーマチガイを犯すと、まず不合格。
上の引用部分にはもっといろいろ言いたいことがあるけど(「伝統行事を軽視する風潮が教育現場に浸透」って、ホントかよそれ、とか)、そこは断腸の思いで割愛。
この記事の白眉は、ここ。
◆◆◆ 男らしさ、女らしさを否定してしまうと、子供に対する十分な躾(しつけ)ができなくなる。「男の子のくせに泣くな」「女の子はもっと、しとやかに」といった躾は、子供が将来、社会に出て恥をかかないために必要である。 ◆◆◆
あのさあ・・・。
女ならいくら泣いてもいいっつーの?
女はしとやかじゃなきゃ、恥かくのか?じゃあ浜口京子や宮里藍は日本の恥か?
そんな「社会」、それこそ恥ずかしかねーかい?
だからさあ、そーゆー、性別ゆえの理不尽な要求のことを、ジェンダーって言うんだって。
と、このように、実にツッコミ所満載の産經新聞2004年5月5日社説。私の社説ウォッチング歴でも最高傑作レベル。こんなに話のネタになる記事、滅多にないです。もうどれだけいろんな人に紹介したことか。
ところで、この記事、新潟大学法学部2005年度後期試験の小論文試験の課題文でした。
なぜ、新潟大はこの傑作記事を課題文に選んだのか?
私の予想では、これだけツッコミ所があれば、課題文として逆に使い道があると判断したのではないかと思われます。
私の教え子の男子生徒がこの年、新潟大学法学部後期試験を受験しました。彼は批判論で合格答案を書きました。たぶんそういう答案が大学側の狙いだったのでしょう。
その翌年、小論初心者の女生徒にこの問題をやらせてみたんです。
この女生徒、成績はいいんですが、論述文の読解力がまるで不足。まったくお粗末な賛成論しか書けなかったです。
なるほど、と思いました。
こういう記事はこういう記事で、使い道があるんですわ。
そういう意味でも、なかなか思い出深い記事であります。
お待たせしました。大学入試でも使われた、2004年5月5日産經新聞社説「主張」ー「こどもの日 男の子は男らしく育もう」
まず、冒頭からの2段落で、端午の節句と桃の節句の説明。これは別にどうってことない。で、そのあと、こう続く。
◆◆◆ 近年、こうした日本の伝統行事を軽視する風潮が教育現場に浸透しているが、それは、男女の差別をなくすために性差までなくそうという「ジェンダーフリー(性差否定)」の思想から来ている。ジェンダーフリーは過激なフェミニズム運動家の造語で、男女平等教育や男女共同参画社会の理念とは、何の関係もない。 常識を持った親はそんなイデオロギーに惑わされず、男の子は男らしく、女の子は女らしく育てて欲しい。 ◆◆◆
おーっと来ました、猛々しいジェンダーフリー攻撃。原案は八木秀次先生?それとも林道義先生?
いや、反ジェンダーフリーそのものは非難しませんよ。思想信条の自由は憲法で保証されてます。
ただねえ。そうは言っても、やっぱねえ。事実誤認はマズいよなあ。批判するなら相手のことは正しく理解せんと。
この記事書いた人、ジェンダーって言葉の意味がわかってないんだ。
ジェンダー(gender)ってのは、社会的に作られた性別役割分担などのことです。
生物学的な性、つまり男女オスメスの区別じゃあありません。それはsexと申します。
女が妊娠したり生理を迎えたりするのは、性(sex)の問題。男がヒゲが生えたり頭がハゲたりノドボトケがでるのも、概して男の方が女より筋力が強いのも、同じこと。
こういう性別(sex)による違いを「性差」と申します。
ジェンダーの問題ってのは、例えば「お茶汲みは女の仕事」「男は仕事、女は家庭」「男なら大きな夢を持て」「男のくせに料理なんかして」とかいう、生物学的な性差とは無関係な区別や差別のこと。
ジェンダーフリーとは、文字どおりジェンダーをなくすということ。性差なんか否定してません。
だからくだんの文中の、<性差までなくそうという「ジェンダーフリー(性差否定)」の思想>ってのは、完全にマチガイ。
( )内は「社会的性差否定」とか「性別役割分担否定」と書いておかないと。
しかし、このマチガイ、致命傷。
事実誤認に基づいて論じ始めちゃったら、あとはもう妙な方向にまっしぐら。
書いた人も書いた人だけど、チェックを入れなかった上層部も上層部。
小論の答案でこーゆーマチガイを犯すと、まず不合格。
上の引用部分にはもっといろいろ言いたいことがあるけど(「伝統行事を軽視する風潮が教育現場に浸透」って、ホントかよそれ、とか)、そこは断腸の思いで割愛。
この記事の白眉は、ここ。
◆◆◆ 男らしさ、女らしさを否定してしまうと、子供に対する十分な躾(しつけ)ができなくなる。「男の子のくせに泣くな」「女の子はもっと、しとやかに」といった躾は、子供が将来、社会に出て恥をかかないために必要である。 ◆◆◆
あのさあ・・・。
女ならいくら泣いてもいいっつーの?
女はしとやかじゃなきゃ、恥かくのか?じゃあ浜口京子や宮里藍は日本の恥か?
そんな「社会」、それこそ恥ずかしかねーかい?
だからさあ、そーゆー、性別ゆえの理不尽な要求のことを、ジェンダーって言うんだって。
と、このように、実にツッコミ所満載の産經新聞2004年5月5日社説。私の社説ウォッチング歴でも最高傑作レベル。こんなに話のネタになる記事、滅多にないです。もうどれだけいろんな人に紹介したことか。
ところで、この記事、新潟大学法学部2005年度後期試験の小論文試験の課題文でした。
なぜ、新潟大はこの傑作記事を課題文に選んだのか?
私の予想では、これだけツッコミ所があれば、課題文として逆に使い道があると判断したのではないかと思われます。
私の教え子の男子生徒がこの年、新潟大学法学部後期試験を受験しました。彼は批判論で合格答案を書きました。たぶんそういう答案が大学側の狙いだったのでしょう。
その翌年、小論初心者の女生徒にこの問題をやらせてみたんです。
この女生徒、成績はいいんですが、論述文の読解力がまるで不足。まったくお粗末な賛成論しか書けなかったです。
なるほど、と思いました。
こういう記事はこういう記事で、使い道があるんですわ。
そういう意味でも、なかなか思い出深い記事であります。
2016-09-04 17:12
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