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ssh283 問題とは何かという問題(4) [小論文]

<2009>

 

 自然界に問題は皆無である。

 問題とは人間が発見したものである。

 人間の本質は矛盾である。

 問題とは矛盾のことである。

 矛盾に根本的な解決はない。すなわち現実世界の問題に唯一の正解はない。

 我々は問題に対し、よりマシな方策を考えるしかない。

 

 と、これがここまでのこのシリーズの要点です。

 

 箇条書きHow to小論文シリーズでも紹介したように、小論文とは意見と論拠です。で、意見とは問題への解決です。

 問題=矛盾である以上、唯一の解決策などありません。だから小論文は正解のないテストです。

 こうなると、なぜ小論文が意見よりも論拠が重要なのかということも理解できます。問題への解決=意見に唯一の正解がない以上、優劣は「どの解決がよりマシか」で決まります。で、どれが最もマシであるかは、解決そのものよりも論拠で決まります。

 もうちょっと丁寧に言うと、論拠を読んだ人が「なるほど、そういうことならこれを採用しようか」と思えるものが、よりよい策ということになります。

 

 ではここで、現実の問題=矛盾に対して、どう向かえばいいかということをまとめてみましょう。これはすなわち、小論文を書く時にどういう姿勢で向かえばいいかということでもあります。

 

 


 

1 矛盾を矛盾として受け止める。

 これは言い換えれば「この問題に唯一の解決策なんかない」と覚悟を決めるということです。自分が思い付いたベストの方策が、本当にベストとは限らない。偉いセンセイが主張している方策にも弱点はある。とにかく、誰もがスッキリさわやかになるような根本的な解決はないと、腹をくくるということです。

 なお、これは小論文の「問題」をきちんと把握するということでもあります。

 

2 その矛盾に負けず、少しでも「よりよい答え」を探す

 しかし唯一の正解がないからと言って、そこで「どーせ何やったって五十歩百歩さ」とニヒルになるのは断じていけません。ニヒルはちょっとカッコいいけど、要するに何もしないということです。ただのズボラです。

 みなさんは、唯一の正解のない問題に対して、「でも、せめてこのくらいのことはできないか?」と、少しでもいい解決を探さねばなりません。正解はなくても、よりよい答えはあります。

 これは「問題」に対する「解決」を考えるということです。

 

3 なぜそれが「よりよい答え」なのかを相手に伝える

 あなたが考えた方策が、なぜ他の方策よりも良いと思うのか?それを相手=読み手に伝えてください。その方策が自分として真剣に考えたものであれば、その理由を誠心誠意相手に伝えたいと思うはずです。本気で考えた解決策であることを相手にわかってもらえないというのはこの上なく悔しいはずです。

 これが「論拠」です。

 

 

 どのみち根本的な解決のない、矛盾という現実社会の問題。その矛盾を矛盾として正しく受け止める。

 言葉で書くと簡単ですが、実はこれはかなり残酷な要求です。というのは、矛盾がある状態というのは、不安定で落ち着かない状態だからです。常に宿題が残っているような、あまり居心地のよくない状態です。

 

 こういう居心地の悪さに耐えられない人が、実は世の中にはたくさんいます。彼ら彼女らはいろんな人や物事が相反しながら共存していることに耐えられず、矛盾を抹殺しようとします。

 「○○なのはみんな××のせいだ。」「△△問題はすべて□□が悪い。」

 

 ま、気持ちはわかります。××□□さえこの世から消えてくれれば○○や△△はキレイに解決するはずだ。そう考えると気分はうんとラクになります。××□□の悪口だけ言ってればいいんだから。気も頭も使わずに済みます。

 でも残念ながら、そうはなりません。絶対に。

 

 ナチスドイツはドイツが窮状にあるのはユダヤ人のせいだとしました。ユダヤ人が根絶されればドイツは良い国になるはずでした。で、何百万人ものユダヤ人を殺戮した結果、ドイツは敗戦国になって東西分断されました。

 てな例を持ち出すまでもないです。問題とは矛盾であり、矛盾は絶対に解決しないんです。

 

 矛盾を矛盾として受け止めるには、潔さが必要です。潔さだけでなく、勇気も必要です。

 そして何より、日々その矛盾に対して「何かやりようがないかなあ」と考え続ける精神的な勤労意欲が必要です。

 もっと言えば、そこには人間というしょーもない存在への愛が必要です。「人間ってのはホントにどうしようもねえなあ・・・。」とため息つきながら、なおかつその矛盾に付き合っていく、そういう愛。激しい恋愛ではなく、人間のいいところもダメなところもひっくるめて受容する、気長な愛。

 

 矛盾を矛盾として受け止められず「○○は××のせい」と言い続ける人というのは、精神的に潔くなく、勇気がなく、ものを考えるのがイヤな人です。彼ら彼女らにはしょーもない存在への愛はありません。彼ら彼女らは受容できる人とできない人を厳しく区別(場合によっては差別)します。

 人間の本質を直視することに耐えられず、幻想の合理性に安住したいのです。

 

 

 小論文を書けるようになるには、人間の本質を直視せねばなりません。それは中途半端で消化不良でしょーもない、ある意味悲しいくらい情けない現実です。

 しかしそれを直視し、少しでもマシな方向に向かえるような方策を考える。小論文はそういう作業です。労が多い割に見栄えのしない、あまり華々しくない仕事です。

 しかし、それをやることで、現実の問題に真正面から立ち向かう勇気と潔さが得られるはずです。人間という矛盾だらけの存在への愛を得られるはずです。これは大学の勉強なんかよりずっと重要なことかもしれません。

 

 


 

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