ssh337 研究開発は、成功する保証のない失敗の連続 [科学と技術]
<2010>
学校の授業でThomas Alva Edisonが出てきました。発明王エジソンです。
数年前、ウチの子どもにエジソンの伝記を買ってやりました。と言ってもマンガ。えらくイケメンなエジソンが蓄音機や白熱電灯の発明に活躍し、これまた妙にハンサムなヘンリー・フォードと親交を深めたりするマンガです。
このマンガでは白熱電灯の発明部分に一番のスポットが当たっています。最適なフィラメントの素材探しに四苦八苦して、最後に日本の竹を原料にした炭素に行き着くという、みなさんおなじみのアレです。(え、知らない?)
数々の試行錯誤を繰り返し、ついに最適の素材を見つけ、人類を幸せにする発明が完成する—というドラマですね。
でもね。ドラマだから、ありのままの現実とはちょっと違う。
いえ、事実は正しいです。しかし、時間軸の扱いが違う。
身もフタもないことを書きますけど、もし白熱電灯の開発ストーリーを、まったく現実通りの時間軸でマンガにしたら—つまりただ失敗を繰り返した1日も、成功した1日も、まったく同じページ数で描いたとしたら、冒頭から最後のページまではすべて失敗の連続で、最後の1ページの下半分だけが「やったー、成功だ!」というバランスになっちゃうはずです。
何バカなこと言ってるんだ、それじゃ伝記にならんだろう—というご指摘は全くごもっとも。んなことはわかってます。
私が言いたいのは、白熱電灯を開発していたエジソンとそのチーム員たちにとってのリアルな時間経過はそういうものだったということです。
もちろん私たちはエジソンとそのチームが白熱電灯の発明に成功したことを知っています。
彼らの数々の失敗が最終的には報われることをよく知っています。だから伝記を読んでいても別にハラハラドキドキすることもなく、安心して読んでいます。
でも、当事者たる彼らには、それは見えていませんでした。
100回失敗した後、101回目の実験に挑む。それが成功する保証はない。101回目が失敗したらどうするか?102回目に挑戦するか?いい加減あきらめるか?
そこをあきらめずに成功するまで挑戦し続けたからエジソンはエラい。・・・と私たちが言えるのも、私たちが結末を知っているからです。彼らは自分たちがどうなるか知らなかった。
結果の出るアテがないのに、100回でも500回でも失敗し続ける。研究・開発というのはそういう仕事です。これは今も昔も同じ。
それでもなお、失敗の連続に耐えてこそ、成功がある。・・・てな話を私がすると思ったアナタ。それは残念ながら違います。
何百回も、何万回もの失敗を繰り返しても、それに耐えて頑張れば成功が生まれる、というのなら、誰も失敗の繰り返しを恐れる必要はありません。最後に成功が待っているのなら、失敗の繰り返しは単に時間と回数だけの問題です。ただ耐えればいい。
研究・開発を進める人間にとって最大の困難は、何万回失敗を繰り返しても、その先に成功があるとは限らないからです。
いや、むしろ、結果を出すことができず、ただ何万回の失敗を繰り返しただけで終ることの方こそ多い。
いつ結果が出るのかわからない。
その前に、そもそも結果が出るかどうかすらわからない。
その中で、10000回の失敗を繰り返した後に、10001回目の実験に挑む。
それが研究・開発の世界です。
一つ話を足すと、こういう感覚が、文系人間にはイマイチよくわからない。
当たり前ですけど、研究・開発にはゼニと時間が必要です。
そのゼニは多くの場合、文系人間が握っています。
国の研究予算、会社の開発費。査定し管理し執行するのは文系人間のお仕事です。
彼らは「これだけのゼニと時間を与えたのだから結果が出て当然」と考えがちです。
でも、やってる当人たちからしたら、そんなおめでたいもんじゃないんですよ。
もちろん出せるゼニには限度があります。いつまでも失敗を繰り返されるだけじゃ困ります。どこかで線を引かないといけない。
ただ、それでも、ゼニを管理する文系人間側に、研究開発をやる人たちへのリスペクト(尊重の心)みたいなもんは必要です。
少なくとも、研究開発は費用対対価のような単純なことで割り切れるような世界じゃないです。