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ssh338 あとから理由を探すのはバカでもできる、そんなものは論考でも論評でもない [リテラシー・思考力]

<2010>

 

 2010ワールドカップサッカー南アフリカ大会、全日本は初戦のカメルーン戦に勝ったそうですね。615日朝のフジテレビ「めざましテレビ」で知りました。

 あ、「めざましテレビ」で「初戦突破」と言ってましたけど、これはよくないですね。突破とか敗退とかいうのはトーナメントのような勝ち抜き戦に使うべき言葉です。前回のW杯で日本が初戦を落とした時も「初戦敗退」という報道があったんですけど、敗退っつーたら負けて退くことでしょ?リーグ戦で1試合負けても退いちゃいけません。先日のカメルーン戦は一次リーグの第1戦です。突破ではなく「初戦勝利」と言うべきでしょう。

 

 しかしまあ、岡田監督を鳩山元首相と並べて揶揄して喜んでいた中央メディアのみなさま方の、手の平のひっくり返しようはどうです?まー臆面もなく恥ずかしげもなくいけしゃあしゃあと。

 中央メディアってのは気楽な商売ですな。道理でみんなTVタレントや局アナ(局アナもタレントの一種か)に憧れるわけだ。

 

 気楽っつーたら、手の平ひっくり返しよりももっとずーっとお気楽なのが、数々の勝因分析でしょう。

 岡田采配が的中しただの、テストマッチの敗戦で危機感を持っただの、あげくにゃみんなで肩組んで君が代斉唱したのがどーだのと。歌で勝てりゃ誰も苦労しないわ。

 

 あのね、結果が出てから「あれが良かった」だの「これが悪かった」だのとあげつらうのは、お茶のみ話か居酒屋談義でやることですよ。わざわざ公共の電波使って流すなっての。

 んなもん、誰だってできます。バカでもできます。フジの女子アナでも。


 

 例えば、ある若者が凶悪な事件を犯した、とします。

 いったい、どんな生育歴だったのか?これは誰でも気になります。

 で、時間軸をバックしていく。何か彼or彼女を犯罪に走らせた要因はないか?何か健全な成長をねじ曲げた要因はないか?

 どんな人間だった不幸や不遇の一つや二つ持ってます。だから、そういう目で(鵜の目鷹の目で)生育歴を追えば、それっぽいエピソードは必ず見つかります。

 

 曰く、親がしつけに甘く放任主義だった。

 曰く、親がしつけにひどく厳しかった。

 親が教育に無関心で勉強をまるでしない子どもだった。

 親が教育に熱心で塾と家庭教師で勉強勉強の日々を送っていた。

 学校でいじめにあっていた。

 学校でいじめを働いていた。

 学校で友達がいなかった。

 学校で友達と遊んでばかりいた。

 ゲームやケータイやPCばかりやっていた。

 ゲームもケータイもPCも全く操作できず友人と話が合わなかった。

 彼氏や彼女ができなかった。

 彼氏や彼女を作っては遊んでいた。

 内向的な性格であった。

 毎日カップヌードルを食べていた。

 マクドナルドが大好きだった。

 トヨタの関連企業で派遣切りに逢った。などなど。

 

 もしTVで論評を頼まれたら、上記の中から、スポンサーを怒らせないようなものを12つ選んで(例えば最後の3つは即却下)、本番収録中にもっともらしく嘆いたり怒ったりしてみせれば、それでいいんです。はい、論評の完成。いや、ラクなお仕事ですな。今度私にもちょうだい。本番前に30分くれればやれます。ギャラはお安くしときますよ。みのもんたの100分の1くらいでどーです?(え、まだ高い?)

 

 喩えて言うなら、推理小説を結末から読むようなものです。

 結末がわかっている人間が「そうじゃないんだよ、犯人はそいつじゃなくてさあ・・・」とか嬉々として語ったら、アナタどう思います?

 確かにそいつは自分の知らないことを語っているんですけど、こいつはオレorアタシより頭良いと思います?思いませんよね。

 そういうヤツに対して、私たちは普通「バカじゃねえの?」とか「うるせー!黙ってろ!」と言いますよね。


 

 でもねえ、バカじゃねえの的人間が「○○評論家」とか「××大学教授」とか「△△新聞論説委員」とかいう肩書きで、うるせー黙ってろ的な言葉を垂れ流しているんですよ。

 

 

 当たり前の話ですが、親の育て方に問題があったからと言って、ただちに子どもが非行に走るわけではありません。ましてや凶行に及ぶかどうかなど未知数。

 親が人でなしであっても、平均的なサラリーマンであっても、有名な俳優や社長であっても、しつけに厳しくても無頓着でも、犯罪を犯す人間もそうでない人間も発生する。何不自由なく育てられても犯罪者になる人間はいるし、貧乏育ちでもマトモな人間になる人がいる。

 というか、どんな生育歴であっても、大多数の人間が犯罪とは無縁の人間に成長していることは、日本の治安の良さが証明しています。

 

 もちろん、特定の生育歴上の要因が犯罪行為の遠因であるという可能性は否定できません。

 親の虐待が子どもを他虐的性向にするというようなことは考えうる。

 しかし、それだけではまだ仮説に過ぎません。

 

 もし親の虐待が子どもを犯罪に向かわせるという仮説を裏付けたかったら、おびただしい数の犯罪について、その実行者の生育歴を調べねばなりません。しかも犯罪を犯したケースを調べるだけではダメ。同じ要因を持っていてなおかつ犯罪と無縁な生活を送っている人々のケースを調べあげ、有為な相関があるか(本当に関係があると言えるかどうか)を説明せねばなりません。

 そこまでやって、もし有為な相関が見つけられたら、ようやく「虐待は犯罪を引き起こす可能性がある」と言える。が、ここでも「引き起こす」と断言することはできない。「引き起こす可能性がある」とまでしか言うことはできません。

 ずいぶんと面倒くさい仕事になりますが、しかし、説を主張するというのは、そういう仕事なのです。

 

 すべてが終ってからあれこれ理由を探すのは、バカでもできます。

 だって、最終結果はすでにわかっている。

 結果が良いのなら、時間をさかのぼりながら「良いこと」だけを拾えば良い。結果が悪けりゃその逆。ほとんど頭を使わない作業です。

 こんなものはものを考えているうちに入りません。

 分析でも何でもない。ましてや論評でも論考でもない。

 

 

 sshでは、小論文は大所高所から書いてはいけない、それは他者を見下ろす神様の視点であると書いてはいけないと指摘ました。(ssh138箇条書きHow to小論文(2))

 すべてが終ってからあれこれ理由を探すのは、これと同じ行為です。

 未来から過去を眺めるのは、大所高所から下界を見下ろすのと同じです。

 有利な状況から、そうでない所を眺めて、あれこれ難癖つけてるだけ。

 キツい言い方をすると、卑怯な行為です。

 

 

 卑怯者のマネはしないことです。人間が腐ります。

 たとえ相手が学者や有名人や都知事や人気女子アナであっても。


 

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