ssh376 絶対/相対〜小論キーワード(12) [小論キーワード]
<2010>
ごぶさたの小論キーワードです。第12回となる今回のテーマは絶対と相対。
絶対も相対もかなりよく使う言葉です。絶対的・相対的・絶対評価・相対評価・絶対音感・絶対王政・相対速度・相対性理論などなど。特によく使うのは「絶対」です。小さな子どもでも「ぜったいイヤ!」とか言いますから。
ただし。よく使うということは、何気なく使っているということです。
小論文は「何気なく」読んだり書いたりするものではないです。意味と使い方をはっきりさせておきましょう。
・絶対: 1 他の何物とも比較されず、同等に並ぶものがないこと。「神は絶対の存在」
2 どんな制約や条件もうけつけないもの。「絶対の信頼を得る」
反意語: 相対
・相対: 1 向き合っていること。相対していること。
2 相互に関係し合っていて、互いに相手方を切り離しては成り立たないこと。「相対評価」
反意語: 絶対
(学研現代新国語辞典改定新版より)
相対には比べる相手が必要。一方、絶対は比べる相手が存在しない。
相対は、他者との比較によって決まる。周りが大切。
絶対は、他者を必要としない。唯我独尊。
相対的というのは「比較の問題として」ということ。
逆に絶対的というのは「比較の問題じゃなくて」ということ。
大学時代、サークルに身長185cmくらいの先輩がいました(男性です)。185cmといえば、ずいぶん大きな人です。実際、サークルでも一番の高身長でした。
ところが、高校バレー男子の強豪校だと、185cmというのはチームの平均身長です。アタッカーやブロッカーは190cm以上あるのがザラです。さらにこれがNBAともなれば、185cmなんてのはまるで小柄です。
これを絶対と相対を使うと、こう表現できます。
185cmという身長は、絶対的にはかなり高い。しかし高校男子バレーの選手と比べると相対的には平均であり、さらにNBAの選手と比べれば、相対的に低い方である。
絶対的な尺度と相対的な尺度は、一致することもあるし、しないこともあります。絶対的に優れていても、相対的には大した事がない場合がある。もちろんその逆に、相対的には優れていても、絶対的には大した事がないという場合もある。また、絶対的にも相対的にも優れているということももちろんあります。
高校の物理で相対速度というのを学びます(昔は中学の内容だったんですけど)。
「時速50kmで走っているクルマに乗っていたら、反対車線を時速60kmで走るクルマとすれ違いました。こちらのクルマから向こうのクルマは時速何kmに見えますか?」
簡単ですよね。答えは110km。これが相対速度です。
それぞれのクルマは、絶対的には50kmと60kmで走っているけれど、お互いは相対的に110kmで走っているように見える。
もしこの両者が正面衝突したら、どちらのクルマも時速110kmで壁にぶつかったのと同じ衝撃を受けます。
50kmのクルマに60kmのクルマが後ろから追突したら、両者の相対速度は時速10kmですから、衝撃は時速10kmで壁にぶつかったのと同等です。
絶対と相対は、論述文の読解に非常に役立ちます。
論述文の中でわざわざ「相対的」「絶対的」と書くということは、「相対的にのみ」「絶対的にのみ」正しいことを断っているはずだからです。
例えば「相対的に優れている」という表現が出てきたら、それは「絶対的には大したことはない」ということを暗示しています。
もちろん逆もまたしかり。
相対と絶対は、読み手にツッコミ所を与えてくれます。それが突破口となって課題文が一気に読解され、小論にスムーズに移れるということもあります。
ところで、競争というのは純粋に相対の世界です。
「競争は敗者を生み出すためにある」というのがsshの競争の定義です。これは別に競争を否定しているのではありません。勝者となる定員をオーバーする参加者がいて、勝者を選び出さねばならない時にのみ競争は成立します。選挙でも入札でも入試でも何でも、競争率が1を割ったら全員当選であり、競争は不要となります。
競争は文字通り競い争うことです。競うことも争うことも、相手がいなければできません。相手が必要であるということは、とりもなおさず相対の世界だということです。
相対の世界では、絶対的な力は必ずしも必要ありません。相手よりも上なら勝ちです。相手が弱ければラクに勝てますし、相手が反則してくれたり棄権してくれたりすれば自動的に勝ちです。
クルマの相対速度の喩えを使えば、自分のクルマの速度が一定でも、相手のクルマの速度が遅くなってくれれば、相対速度は増します。相手がエンコしたり逆走してくれればもっと上がります。こちらが頑張らなくても、相手が潰れてくれれば相対的には有利となります。
競争が悪い方向に働くのは、こういう時です。
もしどうしても競争に勝ちたいのなら、自分の絶対的な力を向上するより、相手の力を下げる方がずっと合目的的です。力量をアップするのは苦難を伴いますが、実力発揮を妨げるのは簡単です。油断なり堕落なり病気ケガなり精神的苦痛なりがあれがいい。
競争に勝つには、競争相手の足を引っ張るのが一番確実で効率がいいのです。卑怯ではありますが。
競争で力を伸ばすという主張は、相対的有利を得るために自分の絶対的な力を向上させるという姿勢を多くの者が持った時に初めて実現するのです。ただ単純に競争さえさせれば、多くの参加者が絶対的な力を向上させるとは限りません。
さて、ここからは、学校の絶対評価と相対評価のお話。
文字通りに解釈すれば、相対評価は、他者との比較によって評価が決まる。絶対評価は、他者と無関係に評価が決まる。
順位を重視するのは、相対評価の考え方です。
入試は受験生の上位から合格にしていきます。点数は順位をつけるための道具です。合格するには定員内の順位に入る必要がある。順位が命です。
合格者の数は一定です。受験生全体のデキが良くても悪くても、定員の分だけ合格が出る。
入試は相対評価の世界です。
一方、絶対評価では、順位は基本的に度外視です。順位とは他者との比較ですから。
運転免許の筆記試験や英語検定などの資格試験では、一定の点数を超えると合格となります。
順位は関係ありません。点数を超えれば合格。だから合格者の数は多かったり少なかったりします。全員合格してもいいし、合格者ゼロもありうる。
資格試験は絶対評価の世界です。
絶対評価と相対評価には、実はかなりの誤解があります。
学校の評価=成績が絶対評価なのか相対評価なのかというのは、実は他の生徒と比較するか、しないかという部分だけで名づけられています。それ以外の要素の取り扱いに特に制約はないのです。
ここにA君~E君の5人からなる実に小規模なクラスがあるとします。ある日のテストはこんな点数。
A君:90点 B君:95点 C君:80点 D君:100点 E君:55点
まずは5人を相対評価してみましょう。
この5人の順位はD-B-A-C-E。この順位をもとに5段階で成績をつけると、例えばこんなふうにつけられます。
(1) A君:3 B君:4 C君:2 D君:5 E君:1
この評価は、他の生徒との比較を順位だけで行っています。
ところがこの相対評価には異論もあるはずです。
このテストの平均点は84点。5人の中ではE君のとデキの悪さがかなり目立ちます。E君の1は仕方ないとしても、平均点を6点上回ったA君が3で、4点下回っただけのC君がE君と1ポイントしか違わない2というのは少々解せない、という意見はごもっともです。
すると、相対評価として、こういう評定をつけることも可能です。
(2) A君:4 B君:5 C君:3 D君:5 E君:1
この場合、順位だけでなく得点差や平均点も比較の対象としたわけです。
さらに。
実はこのテストはメチャクチャ難しい問題で、標準的な学力の持ち主のE君はけっこう善戦したのに、あとの4人がチョー秀才―ということもあり得ます。もしそうであれば、
(3) A君:5 B君:5 C君:4 D君:5 E君:3
という評価だってアリなわけです。
この場合は、テストの難易度や母集団外の生徒(過去に教えた生徒や全国標準など)まで考慮して相対化が行われています。
さて、今度は同じA~Eを絶対評価するとどうなるか?
もし「このテストはチョー難しい。半分取れれば優秀だ」というのであれば、
(4) A君:5 B君:5 C君:5 D君:5 E君:5
となるでしょう。絶対評価の場合、他者との比較は無関係ですから、原則的には全員5もアリです。
しかし、「このテストはラク。90点取れるのが標準的な学力だ」というモノサシであれば、
(5) A君:3 B君:4 C君:2 D君:5 E君:1
という評価になると思われます。
また、「このテストで80点以上取れれば非常に優秀だ」ということなら、こんな評価になるでしょう。
(6) A君:5 B君:5 C君:4 D君:5 E君:3
すると、あら?(5)は(1)と同じだし、(6)は(3)と同じですよね。
そうです。絶対評価と相対評価が全く同じということは十分に起こりえます。
ところで、もし以下のような評価をしたら、みなさんはどう思いますか?
(7) A君:3 B君:3 C君:3 D君:4 E君:5
この評価はまったくデタラメではありません。これは生徒の努力を絶対的に評価したものです。
A君~C君は前回のテストに比べて点数が落ちたので3。D君は前回と同じ100点なので4。そしてE君は前回の20点から大幅に向上したため5。
(7)のような評価は小学校ではよく行われています。私の地区では小学校の通知表は3段階評価(◎と○と△)が主流で、主に本人に向上がみられたかどうかを評価しています。イナカには中学受験をする小学生が非常に少ないので、生徒の相対的な学力を示す必要がないんですね。
現実の成績評価は、絶対評価と相対評価と、その他諸々の要素を考慮して総合的に判断してつけています。というとなんだかお役所みたいな感じですが、本当だからしょーがない。
高校の場合はたいてい相対評価です。
相対評価を取る場合、各学校がそれぞれの評定を何%ずつ出すのかの規定を持っています。高校が発行する調査書には相対評価の分布を明記しなければならないことになっています。
しかしそれでも、講座の人数が少なかったりすると、規定を杓子定規にあてはめられないこともよくあります。相対評価の場合、他の生徒との比較が最重要ですから、母集団が大きくないといいバランスの評定は出せません。全部で5人の小っこいクラスで相対評価をやろうというはもともとムリな話で、そういう場合は経験(過去の生徒や他校の生徒との比較)やら何やらを持ち出して、まあ妥当な線にします。
一方、中学校は絶対評価を行うことが文科省によって決められています。
しかし実際に中学から高校に送られてくる調査書(内申書)を見ると、相対評価として見てもかなり妥当な数字になっています。
絶対評価なのだから全員が5であっても違反じゃないのですが、そういうことをやると評定そのものの信憑性がなくなってしまうということを中学の先生たちもよく理解しているのでしょう。