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ssh463 日本の鉄道事故 [科学と技術]

<2011>

 

 7月23日に発生した中国の高速鉄道事故。日本では事故そのものよりも、その後の中国当局の対応が大きく報道されてます。

 事故直後に破損した車両を埋めていたとスクープしたのが朝日新聞。他紙は完全に出遅れて、慌てて後から(他紙に抜かれたということは例によって口を拭って)さも自分達も知っていたみたいに批判しています。事故後の当局の説明も二転三転というか、追求されて後から渋々認めるとか。

 中国は国営メディアしかありませんで、当局に都合の悪い情報は海外プレスとネット情報が頼りです。自覚的な市民はネットからそういう情報を得ています。

 って、あれ?なんか、すごく既視感のある状況。

 これ、原発事故に関する我が国の政府&東電と報道の状況と瓜二つではあーりませんか。

 都合の悪いことは隠す。追求されると渋々後から情報を出す。メディアは本当のことを伝えない。重要な情報は海外プレスとネットが頼り。

 良く似てますねえ、我が国とかの国は。だったらもっと仲良くしましょうよ。

 

 

 さて、一部のメディアは今回の事故を日本の新幹線と比較して「我が国では考えられない」みたいななことを言ってるようです。ホントですかねえ?日本でも鉄道事故はずいぶんあったように思いますが。

 と思ったので、日本の鉄道事故をwikiで検索してみました。あるわあるわ、すごい数です。

 日本は明治以来国策として鉄道を重視してきました。歴史も長いし範囲も広い。当然、事故も多い。

 それら数多の事故の一つ一つを教訓に地道に対策を施して、今の「安全な」鉄道があります。

 

 鉄ちゃんでも何でもないshiraが、Wikiから目立つものだけを拾った日本の鉄道事故リスト。

 目立つものだけと言っても、この記事でリストアップした事故の犠牲者(死者)総計は3671人(うち1323人は国鉄連絡船事故の犠牲者)。この種の事故につらい思い出のある方は読まないことをお勧めします。

 

 

<国内初の鉄道死亡事故>

・東海道線西ノ宮列車正面衝突事故: 1877年10月、東海道線西ノ宮駅―神戸駅間で旅客列車と回送列車が正面衝突。乗務員ら3名が死亡。単線の行き違い確認ミスが原因。

 

<明治時代最悪の事故>

・箒川鉄橋列車転落事故: 1899年10月、東北本線箒川鉄橋(栃木県)で突風にあおられた列車が転覆し川に転落。死者19名、負傷者38名。


 

<死者数100名超の大事故>

・西成線列車脱線火災事故: 1940年1月、西成線(大阪)安治川口駅で満員の列車が脱線転覆。燃料のガソリンに引火し、耐火性の弱い車体が全焼。死者189名、重軽傷者69名。正確に記録された事故としては死者最多。脱線の原因は列車の通過を待たずにポイントを切り替えたため。西成線の輸送能力がいっぱいいっぱいだったことと、戦時で燃料の節約が必要であったことから職員が焦ってミスを犯したらしい。

・八高線列車脱線転覆事故: 1947年2月、戦後混乱期の食料買い出し客が屋根まであふれた列車が、過重に耐えかねて下り勾配でブレーキが効かずカーブで脱線転覆。死者184名、負傷者495名。死者はワースト2、死傷者早計では最悪の事故。

・鶴見事故: 1963年。死者161名、負傷者120名。<国鉄戦後五大事故>の項に後述。

・三河島事故: 1962年。死者160名、負傷者296名。<国鉄戦後五大事故>の項に後述。

・桜木町事故: 1951年。死者106名、負傷者92名。<国鉄戦後五大事故>の項に後述。

・根府川駅列車転落事故: 1923年。死者112名、負傷者19名。<天災に巻き込まれた事故>の項に後述。

・常磐線土浦駅列車衝突事故: 1943年10月、同駅構内で入替中の貨物列車が本線に進入し上り貨物列車が衝突。貨物列車は下り線にはみ出し、そこに下り普通列車が衝突。死者110名、負傷者107名。駅の各掛員の連絡・確認等の不備が原因とされる。1962年の三河島事故(後述)と非常に良く似た事故であり、この事故の検証が徹底していれば三河島事故は防げたと言われているが、太平洋戦争中のため報道は統制され検証も不十分だった。

・八高線列車正面衝突事故: 1945年8月、敗戦直後の混乱期で超満員の列車が多摩川橋梁で正面衝突。客車は川に転落。死者105名、負傷者67名が確認されたが、実際には下流に流された犠牲者がさらにいると言われている。悪天候による信号故障などからダイヤが大きく乱れ、駅同士の掛員の連絡対応が不備であったことが原因とされる。

・福知山線脱線事故: 2005年。死者107名、負傷者562名。<民営化後のJRの大事故>に後述。

・沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故: 1944年12月、兵員と弾薬と通学客を乗せた列車が糸満駅で爆発。犠牲者は約220名とされるが、戦時のため内密に処理された。そのため正式な記録としては残っていない。なお沖縄県営鉄道は沖縄戦で破壊され、敷地は道路や米軍基地に分断され、正式な手続きを経ずに消滅した。

 

<負傷者数国内最大の事故>

・船橋駅構内追突事故: 1972年3月、同駅構内で停車中の列車に別列車が追突。死者0、負傷者758名。原因は停電による信号機トラブルが主とされる。

 

<天災に巻き込まれた大事故>

・北陸線列車雪崩直撃事故: 1922年2月、北陸線勝山トンネルの西で列車が雪崩に直撃される。死者90名。雪崩による鉄道事故としては今もって史上最悪の事故。

・根府川駅列車転落事故: 1923年9月。熱海線(現東海道線)根府川駅に停車直前の列車が、関東大震災による地滑りで駅ごと45m下の海に転落。死者112名、負傷者19名。これ以外にも関東大震災がらみの死亡事故は6件ある。

・飯田線電車脱線転覆事故: 1945年2月、愛知県内で飯田線電車が巨大な落石に直撃され脱線転覆し川に転落。死者20名、負傷者23名。

・大分交通別大線列車埋没事故: 1961年10月、仏崎トンネルを出た直後の列車が豪雨による土砂崩れに巻き込まれる。通学児童ら死者31名、負傷者36名。

 

<国鉄戦後五大事故>

・桜木町事故: 1951年4月、京浜線桜木町駅で発生した車両火災。出火原因は工事中に垂れ下がった架線に列車のパンタグラフが接触してショートしたため。死者106名、負傷者92名。車両が戦時中に設計された火災に弱い素材を多様したものであったこと、自動ドアが開かなかったこと、非常ドアコックの存在が周知されていなかったことなどから乗客が脱出できず被害を大きくした。国鉄は非常用ドアコックの周知徹底・車体の難燃化を急遽行った。

・洞爺丸事故(海難事故): 1954年9月、台風15号による青函連絡船「洞爺丸」の転覆事故。死者1155名。当時は台風レーダーも気象衛星もなく、船の運行は船長の経験に頼る所が大きかった。最悪の事態となった大きな要因は高波で洞爺丸の機関系統が機能しなくなり制御不能となったこと。事故を受けた国鉄は青函連絡船の構造改善を行い、その後青函航路では事故はなかった。またこの事故のため、青函トンネル構想が具体化された。

・紫雲丸事故(海難事故): 1947年から1955年の間に宇高連絡船「紫雲丸」が起こした9回の事故のうち、最悪の1955年5月のもの。濃霧の中、貨物船「第三宇高丸」に衝突され沈没。修学旅行の小中学生100名を含む168名が死亡。事故後の対策としては、船体の構造改善、連絡船による列車運搬の全廃、航行制限の厳格化など。この事故が本四架橋建設を推し進める結果ともなった。またこの事故で数多くの小学生が溺死したことから、子どもの水泳教育強化が指摘され、全国の小学校にプールが設置されるようになったという。

・三河島事故:  1962年5月、常磐線三河島駅で起きた列車多重衝突脱線事故。死者160名、負傷者296名。最初に貨物列車が脱線し、はみ出した車両に下り旅客列車がぶつかり脱線。多数の乗客が非常ドアコックを使って車内から退避したところに上り列車が突っ込み、線路上を避難中の乗客を次々にはね、脱線車両に激突。事故後、列車自動停止装置(ATS)の設置、鉄道労働科学研究所の設置などが行われた。

・鶴見事故: 1963年11月、東海道本線鶴見駅付近で発生した多重脱線衝突事故。貨物列車用の支線を走行中の貨物列車がカープで突然脱線し、複線の本線上下をふさいだところへ、上り列車と下り列車がほぼ同時に進入し激突。死者161名、負傷者120名。最初の貨物列車の脱線は諸要因が絡んで発生する「競合脱線」とされる。国鉄は大規模な実験を長期に渡って行い、車両の改善、カーブに脱線防止設備(レールの間にもう1本レールを置く)などを行った。なお同じ日に三井三池炭坑で爆発事故があり458名が死亡、「血塗られた土曜日」などと呼ばれた。

 

<トンネル事故>

・北陸線柳ヶ瀬トンネル窒息事故: 1928年12月、トンネルの急勾配を上れなくなった蒸気機関車が車輪の空転で速度低下し立ち往生、機関士らが窒息。別の機関車が押し出して救助したが、こちらの機関士も窒息。死者3名。上り勾配のトンネル内で蒸気機関車が立ち往生して窒息事故を起こすことは以後時々発生している。

・肥薩線列車退行事故: 1945年8月、鹿児島県内の肥薩線山神第二トンネル内で勾配を上れなくなった列車が停止。乗客が煤煙を避けるため列車を降りて線路上を避難したところ、列車が勾配を逆走し避難中の乗客を次々に轢いた。死者53名。敗戦直後の物資不足による粗悪石炭により機関車の出力が不足していたことが原因とされる。

・急行「きたぐに」火災事故: 1972年11月、北陸トンネル通過中の急行「きたぐに」の食堂車より出火。当時のルールではトンネル内火災はその場で停車し消火することとなっていたため、運転士はその場で停止。しかしこれが災いし、一酸化炭素中毒で多数の犠牲者が出た。死者30名、負傷者714名。この事故の3年前に同じトンネルで車両火災が発生しているが、この時は運転士がルールに逆いトンネル外に列車を出した後停車したため犠牲者はゼロであった(寝台特急「日本海」北陸トンネル火災事故)。だが国鉄は「日本海」の運転士を運転規則違反として処分していた。「きたぐに」火災以降、トンネル火災はトンネル脱出後に消火するようルールが改められた。

 

<民営化後のJRの大事故>

・信楽高原鐵道列車正面衝突事故: 1991年5月、滋賀県の第三セクター同線で、同社の普通列車と、直通乗り入れ運転をしていたJR西日本の列車が正面衝突。イベント期間中で満員だったこともあり、死者42名、負傷者612名。信楽高原鐵道側の規定違反と、両社が互いに無認可で越権行為的な改造を行ったことなどが原因とされる。国内1990年代最悪の鉄道事故。

・福知山線脱線事故: 2005年4月、JR西日本福知山線の塚口駅―尼崎駅間のカーブで列車が脱線し、沿線のマンションに激突。死者107名、負傷者562名。カーブでの速度超過が原因とされるが、過密ダイヤや日勤教育などJR西日本の労務体勢や企業体質が問われた。今のところ、今世紀最悪の国内鉄道事故。

 

<新幹線の事故>

・東海道新幹線保線作業員死傷事故: 1964年11月、磐田市内の新幹線軌道で作業中の保線作業員がこだま号にはねられる。死者5名、負傷者5名。新幹線史上初の死亡事故。列車見張員の不注意が原因とされる。

・新幹線ひかり号車軸折損事故: 1966年2月、走行中に不具合を生じたひかり号を点検したとこと車軸折損が発覚。一歩間違えば脱線転覆につながる重大トラブルだった。

・東海道新幹線大阪運転所脱線事故: 1973年2月、同運転所から出発する回送列車が停止信号を冒進してポイントを破損し本線に侵入、その後脱線。営業列車はすべて臨時停止し大事故には至らなかった。最大の事故原因である本線への冒進(安全確保されていないところへ進むという意味の鉄道用語)についてはレールへの潤滑油の塗布過多という見方が有力。

・東海道新幹線三島駅乗客転落事故: 1995年12月、停車中のこだま号に駆け込み乗車しようとした高校生がドアに手を挟まれた状態で列車が発進。高校生はホームを引きずられた後転落して死亡。新幹線史上唯一の旅客死亡事故。国鉄はドア構造の改善などの対策を行った。

・上越新幹線脱線事故: 2004年10月、新潟中越地震の揺れで列車が脱線。新幹線唯一の営業列車の脱線事故。死者負傷者はなし。

・東海道新幹線架線切断停電事故: 2010年1月、新横浜―小田原間で発生した架線切断事故。停電で56本が運休。

 

<飛行機が原因の鉄道事故>

・北条線列車脱線転覆事故: 1945年3月、兵庫県内で海軍戦闘機「紫電改」が故障のため水田に不時着する際に北条線の線路に障害を与え、直後にやってきた列車が脱線転覆。死者11名、負傷者104名。

 

<主な轢死事故(事件や自殺は除く)>

・東神奈川駅軍用列車歓送客轢死事故: 1937年7月、同駅付近で、軍用列車の出征兵士を送り出す人込みから押し出された国防婦人会のメンバーなど25名が轢死。

・山陽線須磨駅ホーム転落事故: 1975年12月、酔った老人客がホームから転落、救助しようとした車掌とともに轢死。

・東海道線蒸気機関車接触事故: 1976年9月、蒸気機関車C57によるイベント走行が行われ、多くのSLファンが撮影に殺到。線路内に入って撮影する者まで発生する中、小学5年の少年が線路内で撮影中に轢死。国鉄側に非は無いが、SLの保存方針にかなりの影響を与えた。

・新大久保駅ホーム転落事故: 2001年1月、酔ってホームから転落した客を助けようと日本人男性と韓国人男性が飛び降りたが間に合わず3名とも轢死。この事故を受けてJRは転落時の対応方法の周知、ホームでの酒類販売停止、ホームの列車非常停止ボタンの周知、ホーム下の退避スペース設置、ホームドアの設置などの対策を行う。

・東海道線救急隊員死傷事故: 2002年11月、JR西日本管内の同線線路内で遊んでいたはねられた中学生を救助中の救急隊員が後続の特急列車にはねられ、1人が死亡、1人が負傷。同社に人身事故へのマニュアルがなく、確認不十分なまま後続列車を発進させたことが原因とされ、後の福知山線事故の際にこの事故の件が取り上げられることがあった。

・東武東上線ときわ台駅構内死傷事故: 2007年2月、同駅すぐ横の踏切に女性が自殺を図り侵入。一度は巡査部長が交番に保護したが、女性は隙を見て逃げ出し再び線路内に侵入。巡査部長が後を追い同駅ホーム下の退避スペースに押し込んだが、本人は退避およばす列車にはねられ殉職、女性も負傷した。巡査部長は死後警部に特進。このエピソードは絵本やドラマにもなった。

 

<その他、死者30名超の大事故>

・東北線列車正面衝突事故: 1916年11月、青森県内の東北線で臨時列車と貨物列車が正面衝突。軍入隊者ら死者39名。飲酒した駅職員の指示ミスが原因とされる。

・山陽線網干駅列車衝突事故: 1941年9月、兵庫県の網干駅構内での列車衝突事故。死者85名、負傷者71名。当時青と赤の間の橙(黄色)信号に速度制限がなかったため後続列車がそのまま進入したのが原因とされる。

・豊肥線列車脱線転落事故: 1941年10月、大分県内の河原内鉄橋付近で列車が脱線し、そのまま川に転落。死者44名、負傷者72名。豪雨による地盤の軟弱化が原因とされる。

・高野山電気鉄道電車脱線転覆事故: 1944年3月、現在の南海電鉄高野線の和歌山県内の急勾配を上っていた電車が床下から出火。非常停止し点検を始めたところ、勾配で電車が逆走しカーブで脱線転覆。死者71名、負傷者138名。点検時のブレーキ不備が原因とされるが、出火については戦中のため資料が乏しく原因はよくわからない。

・山陽線列車追突事故: 1944年11月、信号停止していた旅客列車に貨物列車が追突。死者38名、負傷者59名。貨物列車機関士の居眠りによる信号見落としが原因とされ、機関士は後日蒸気機関車の燃焼室で焼身自殺。

・高山線列車脱線事故: 1945年1月、岐阜県内の益田川第三鉄橋上で列車が脱線し6両中2両が川に転落。死者43名、負傷者56名。鶴見事故の貨物列車と同様の「競合脱線」とされている。

・富山地方鉄道列車列車正面衝突事故: 1945年5月、富山で起きた列車正面衝突事故。死者45名、重軽傷者200名。信号機の故障、掛員の指示ミス、悪天候、見通しの悪さが要因とされる。

・中央線笹子駅構内脱線転覆事故: 1945年9月、同駅構内で列車がスイッチバック用の折り返し線を突破し脱線転覆。死者60名、負傷者91名。機関士の居眠りによるブレーキ遅れが原因とされる。

・神戸有馬電気鉄道電車脱線転覆事故: 1945年11月、下り勾配でブレーキ制御不能となった列車が暴走しカーブで脱線転覆。死者48名、負傷者180名。運転士の制御ミスが原因とされるが、車体の状態にも問題があったという指摘もある。

・東急小田原線列車脱線転覆事故: 1946年1月、長い上り勾配が続く区間で、小田原行き列車が大秦野駅(現秦野駅)を出発し500mほど進んだ所で停電が発生。その後列車は逆走し加速してカーブで脱線転覆。死者30名、重軽傷者165名。

・尾道鉄道列車脱線転覆事故: 1946年8月、尾道鉄道第五トンネルの急勾配を登坂中の電車の集電子が外れて逆走しカーブで脱線転覆。死者37名、負傷者101名。

・名鉄瀬戸線脱線転覆事故: 1948年1月、急行電車がカーブで脱線転覆。死者36名、負傷者153名。新旧車両を連結したことによるブレーキ制御バランス不良と速度超過が原因とされる。

・生駒トンネルノーブレーキ事故: 1948年3月、近鉄奈良線の急行電車が生駒トンネルでブレーキ不能となりそのまま下り勾配を加速暴走、河内花園駅で前方列車と衝突。死者49名。戦中戦後の酷使でブレーキホースが破損したことが原因とされる。

・六軒事故: 1956年10月、参宮線(現紀勢本線)六軒駅を通過予定の快速列車が「注意」信号を見落とし安全側線で脱線。車両は本線にはみ出し、対抗の列車が衝突脱線。修学旅行の高校生など死者42名、負傷者94名。

 

 

 ・・・。う~ん、目立つものだけをつまみ食いにしたのですけど、これでもすっかり気が滅入って参りました。

 技術の世界はtrial and errorの繰り返しではあるのですけど、こと鉄道とか航空機とかいった物は、本当に数多の流血の教訓を無駄にしないように対策が講じられてきたんですね。

 

 記事中では不十分なところがありますが、大事故を受けて「脱」となったものもたくさんあります。

 引火性の高いガソリンを燃料にする列車は西成線の列車火災などを教訓に、ディーゼル列車への切り替えや電化工事へとつながります。

 ボイラーの爆発やトンネル内での窒息事故などを起こした蒸気機関車は、ディーゼル機関車や電気へと切り替わっていきます。

 木造車両は、耐火性や耐衝撃性が弱く、火災や衝突事故で多数の死傷者を出したため、鋼製車両へと切り替わります。

 洞爺丸と紫雲丸の悲劇は、青函トンネルと本四架橋という大事業を決心させます。

 

 

 福島原発事故を得てしまった私たちは、どんな「教訓」を得てどんな「次の一手」を打つべきなのでしょうか。


 

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