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ssh464 競争の前提は共生である [競争と共生]

<2011>

 

 いつも前向きで素敵なムッシュさんのブログに、「学び合い」に関する記事がありました。

 「学び合い」というのは、文字通り、生徒たちがお互いに学び合うような教育のやり方のこと。提唱されたのはかなり最近のことで、提唱者は上越教育大学の西川純氏。ムッシュさんはこの方法論を実践している小学校に見学で行ったようです。

 

 学び合いの授業参観記 その1

     同      その2

(注: リンク有効)

 その2の一部を引用させていただきます。

 

◆◆

 どんな授業でやっていますか?

 国語・算数・社会・体育など、めあてがはっきりするような授業だとやりやすい。体育の場合、1時間目は指導。それ以後は学び合いということもある。

 課題達成できない子が少なくなった場合、他の子はどうしますか。

 できない子を誰かが教え、他の子は予習をしている。

 みんなができることの「みんな」は、つらさを生まないか?
 みんなができることは理想。この理想を掲げることは大切。ただしできなかったとしても、加点法での語りをしていくことが大切。例えば、今までできなかったけど、ここまでできるようになったよね、というように。

 ほっといてくれ!という子がいたら、どうしますか。
 みんなに語りかける。「その子が学習に参加してくれるようになるには、どうしたらいいだろう・・・」と。実際に、そのような語りかけで、教室を飛び出してしまうような子が、学習に参加し、子供たち自らがその子のために学習会をするようなドラマが生まれた。◆◆

 

 さて、この記事にグッときた私は、こんなコメントを書き込ませてもらいました。

 

◆◆学校教育については、よく競争か共生かみたいな議論が起きて、昨今は競争派が優勢ですけど(少なくとも震災前までは)、そもそも競争による切磋琢磨ってのは共生が前提なんですよね。競争に勝つには自分が努力するより相手がコケてくれた方がラクなわけで、極端な話、まわりが全員アホウなら何もしなくてもNo.1になれるわけです。だから競争は自分のレベルアップと同等かそれ以上にライバルのレベルダウンがプラス要素なわけです。1970年代のスポーツマンガにはライバルを罠にはめる悪辣なライバルがよく出て来ましたけど、あれは方法論はともかく、競争原理的には正しい発想であるわけです。

 ところで、本物のトップアスリートはよく「ライバルがいたからここまで来れた」と言います。自分が極限まで頑張れたのはライバルもレベルが高かったからだと。これはまさに共生の発想です。

 競争が足の引っ張り合いでなく全体のレベルアップになるためには、競争への参加者に「共生」の姿勢がないといけないと思います。 ◆◆


 

 sshは一貫して競争原理を教育現場に持ち込むことへの懸念を示しています。具体的には、

 ssh98 ssh的競争原理教育考・・・競争の本質は敗者を作ることである、という主張を述べたもの。

 ssh99 思考から小論文へ~競争原理教育考を小論文にしてみる

 ssh100 「競争主義」で小論書いてみました・・・ssh99、ssh100とも、ssh98からの発展として小論形式にしてみたもの。

 ssh117 競争主義の成れの果て~ssh的足立区学力テスト問題考・・・東京都足立区で2006年に行われた学力テストで、ある学校が結果を上げるために不正を行っていたという事件に関する考察。

 ssh124 ssh的合格者水増し問題考・・・大阪府のとある私立高校が合格実績を「水増し」していたという事件についての考察。「関関同立」と呼ばれる関西の名門私立大学への合格実績を上げるために、一部の非常にデキのいい生徒にセンター利用入試で山ほど出願してもらって(受験料は学校持ち)合格者延べ人数を荒稼ぎしたというもの。

 

 私が競争原理を嫌がる理由は、至って単純です。この20年くらい、日本のエスタブリッシュメント(支配階層、具体的には官僚や政治家や財界やマスメディアのこと)が、やたらと競争原理に走っているからです。

 私は競争を全否定するようなヤボなことは考えていません。競争にはメリットがあります。でも、デメリットも持っています。当たり前ですが。競争さえさせりゃ良くなる、みたいな単純な(そのクセ威勢だけはいい)物言いが気に入らんのです。

 もし世の風潮が逆だったら、私は逆の主張をします。競争のない状態は不健康で有害です。日本の電力事業がその実例。


 競争に過大な思い入れのある方々を意識して書いたのがssh98です。

 ここで私は、競争の本質は敗者を作ることである、と主張しました。

 この意見には今でも変更はありません。競争の本質は敗者の生産です。

 

 しかし。現実にいろいろな場所で、競争が集団全体のレベルアップや社会全体の利益となっているというのもまた事実です。敗者を作ることが本質である競争が、なぜ集団全体の利益に寄与しうるのか?

 その答えが、共生を前提とした競争です。

 

 

 競争の本質を徹底的に突き詰めれば、ライバルはいないのがベストです。競争相手が誰一人いない状態こそ、もっとも競争にラクに勝てます。

 日本の大相撲は世界一です。だって海外に大相撲はないんですから。ライバルがいないのだから、文字通り無敵です。相撲をやりたい人は日本に来るしかありません。

 大相撲と正反対の方向で発展したのが柔道でしょう。柔道は今や世界のスポーツです。柔道というスポーツは見事に世界に普及しました。そのために、数多の強力なライバルが世界中に出現しました。日本の柔道は文句無しの世界一とは断言できない状況となりました。(総合的には世界一だと思いますが。)


 他国や他チームとの競争ではなく、チーム内の競争というのもよくネタになります。

 プロスポーツの世界では、チーム内に競争を持ち込んでチームのレベルアップを達成したという話はよくあります。特に野球では。

 でもね。あれ、何でうまく行くのかと言えば、選手がキタナい手に出ないからですよ。

 私が子どものころによくTVでやっていた少女マンガ系のスポ根もの(スポーツ根性もの。具体的には「アタックNo.1」「サインはV」など)には、実にキタナい手に走るイヤ~な女がいっぱい出て来たんです。いじめなんか序の口、ゆすりはするは陰謀詐術は企てるは、とにかく自分が勝つためならどんな手を使ってでもヒロインを陥れてやろうというヤな女が必ず出て来ました。(あ、少年マンガにもそういうキャラはいたな。)

 今にして思えば、こういうキタナい手は、競争原理的には最善の作戦なんですよ。

 だって、敗者を作るのが競争なんですから。伸びるかどうかわからない自分の能力をアップするために努力を繰り返すより、ライバルを潰すために権謀術数を巡らす方がはるかに効率的で確実です。経済的、と言ってもいいでしょう。

 ただし。そういうキタナい競争は、チーム力や競技のレベルを確実に下げます。

 

 チーム内競争がチーム力アップにつながるのは、敗者を作ることよりも、自分の力を上げることに各選手が集中したからです。それを支えるのは、フェアな競争が行われる環境です。

 競争で全体がレベルアップするためには、他人の足を引っ張るようなキタナい行為を厳に慎ませる環境が必要です。それがフェアということです。競争はフェアでないとダメなんです。

 あるポジションを巡って、複数の選手がレギュラー獲得にシノギを削っているという時に、もし「アイツは人気があるから使えとオーナーに言われている」てな理由で誰かが使われたら、もう他の選手はやる気なくしますよね。件の「アイツ」は人気というファクターによって競争に勝ったとも言えなくはないのだけど、チーム力は上がらないでしょう。

 「人気」を「コネ」とか「親の七光り」と言い換えても同じです。どーりでタレントの子どもをコネ採用する中央TV局はレベルが下がる一方なわけだ。フェアな競争しないんだもの。


 世界のトップレベルで活躍するアスリートは、得てしてライバルをとても尊重しています。

 彼or彼女がいたから自分はここまでこれた、と。カッコいいなあ。でも、なぜカッコいいのか?

 それはね、彼ら彼女らが、競争のまっただ中で、共生をしているからです。

 

 勝負に勝つことこそが目的だとしたら、ライバルなんかいない方がいい。できれば、ライバルがコケてくれればありがたい。

 でも、一流のアスリートは、そういうのを嫌うんですよ。お互いにベストを就くし、真剣勝負をしたい。

 これ、まさに共生の発想です。


 教育現場で言えば、クラスメートやその他の生徒が学力低下することで、相対的に自分のポジションが上がっても、競争には勝ったことになります。

 でも、そういう「競争の勝者」には、本当の力はない。

 競争で学力をアップするには、お互いの足を引っ張ることなく、みんながベストの取り組みができる状況の中で、自分の絶対的な力をアップするように努力するという環境が不可欠です。

 

 今、競争主義を喧伝する人たちに一番欠けているのが、この発想でしょう。

 競争させろ、世間は甘くない、競争に勝てばゼニを出すぞ、負けたらヒドい目に合わせるぞ・・・とさんざん言われ続けると、人はどういう行動に出るか?それがssh117の小学校です。とにかく競争に勝つことが目的化される。

 

 

 エスタブリッシュメントの方々が「ヘッ」と鼻で笑うような言い回しを敢えて選ばしてもらうとですね、

 競争ってのは、さわやかじゃなきゃダメなんです。

 そうでないと、ただの敗者生産合戦になってしまう。

 競争をモチベーションに自らの絶対的な力を磨く方向(だけ)に頑張る。

 これは相当にキレイな心の持ち主でないとできません。だってキレイ事だもの。


 人間社会に競争が生まれる前から、人間は共生していました。

 まず共生ありき、です。競争が共生を壊してはしてはならないのです。

 

 と書くと「自然界は弱肉強食の競争社会だ」とか言い出す人がいるんですよね。政財界によくおります。

 言っちゃ悪いけど、まー勉強不足ですね。どーせ自然科学の苦手な文系秀才の成れの果てでしょ。

 自然界は共生の世界です。弱肉強食は「食物連鎖」という共生システムです。

 肉食獣は、草食獣が繁栄できる個体数になるようにしか捕食しません。間違っても根絶やしになどしません。そんなことをしたら自分たちが死んでしまうから。

 また、同じ種の中でも、弱い個体を助けるような活動をするという種もあります。「弱いヤツのことなんか知ったことか」というのは、自然界の掟ではないんです。

 

 

 共生のない競争は、ただの足の引っ張り合いです。

 そういう競争は、全体のレベルを下げる方向にしか機能しません。

 競争で全体をレベルアップしたかったら、まず共生の思想をきちんと行き渡らせねばなりません。

 


 

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