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ssh471 クラス合唱は真の共生の場だ [教育問題]

<2011>

 

 今日、勤務校で合唱コンクールがありました。

 本校の合唱コンクールは年々レベルが上がっていて、少しくらい上手に唱っても入賞できない世界になってます。

 本校はコンクールに合わせて、授業公開も行っています。午前中の授業も、午後のコンクールも誰でも入れます。

 口コミなんでしょうか、コンクールを見に来る方が年々増えています。主に保護者の方だとは思いますが、今年はどのくらいいたでしょうか。

 

 コンクールそのものは、3年生が貫禄を見せつけてくれました。1・2年生もなかなかよく練習していて、きちんとした合唱になってはいたのですが、3年生は情熱が全然違う。特に上位のクラスは素晴らしい演奏でした。

 わがクラスもなかなかよく頑張りましたよ。当初は練習そのものがなかなかうまくいかなくて、仕切り役の生徒達がイライラしていたんですけど、途中からはよくやってました。練習前と練習後の差ということで測ってもらえればかなり上位だったはず(それほど最初はひどかったんですよ)。

 

 それにしても、合唱コンクールとか音楽会ってのは、クラスマッチや運動会とは違った感慨があります。

 以前、こんなことを書いたことがあります。

 

◆◆音楽会も運動会と同様に意義の深い教育活動です。音楽会も基本的には運営面が重要なんですが、運動会とはちょっと事情が違います。というのは、運動会の競技は、かけっこでコケてもビリになっても、玉入れで全然入らなくても、綱引きで一方的に負けても、別に構いません。競技結果は運動会の体裁を壊しません。

 音楽会の場合、演奏結果はかなり大事です。演奏は一応のレベルになっていないといけない。あまりヘタクソだと生徒は落胆してしまって、「成功体験」になりません。

 さらに、音楽会の場合、全員が走ったり綱を引いたりするわけではありません。合唱ならパートが違うし、伴奏の仕事をする生徒もいる。合奏は楽器の分担によって負担が全然違ってきます。

 運動会なら能の高いヤツが勝つだけですが、音楽会ではそういう単純な競走はできません。ステージに上がった生徒全員が、お互いの能を上手に活かして、全体としていい演奏をしないといけない。パートわけは、能力の違いを認め合うことです。その上で、能のあるヤツを増長させず、能のないヤツをいじけさせず、一人一人が練習で「うまくなった」と実感できるようにさせ、全体としていい演奏を作っていく。(ssh369 オナベポップ普及の黒幕は学校の音楽会?より)◆◆


 

 かねがね不思議に思っていたんですよ。

 なぜ音楽会や合唱コンクールには運動会やクラスマッチと違う感慨があるのか?というのが。

 強いていうと、運動会の組体操とか集団演技なんかと同じ感慨がある。

 3年生が貫禄を見せてくれた今日のコンクール終了後、クルマを運転しながら考えてみて、ふと思いついたのが、タイトルのようなこと。

 

 クラスマッチや運動会の場合、みんなで力を合わせて頑張っているのは確かだけど、個々の競技で全員が一斉に活動しているわけではない。補欠だっている。

 対して、音楽の場合、文字通り全員が力を合わせて演奏している。

 クラブのコンクールなら、選抜メンバーで戦うから、部員の中にも補欠や2軍がいることもある。

 でも、クラスや学年では、そういうことはできない。絶対にできない。必ず全員がステージに上がる。

 合唱コンクールのクラス合唱とか、音楽会のクラスや学年での合同合奏とか、とにかくクラスや学年単位で音楽をやるためには、出来の悪いヤツを排除するという作戦は使えないのです。


 このへんは有志が参加するクラブ活動と根本的に異なります。

 クラブならダメなヤツ、やる気の無いヤツ、能のないヤツは無価値です。とっとと辞めた方がいい。

 メチャクチャ極端な話、誰もやる気がないのなら、クラブそのものが消えるだけの話です。

 生徒は別のクラブに行くなり、帰宅部になるなりすればいい。命まで取られるわけじゃありません。

 逆に、有望な生徒をヨソのクラブから引っこ抜くことだって可能です。

 

 クラスはそうは行きません。

 学校では、生徒は全員、どこかのクラブに属しています。

 歌や合奏がヘタクソだからといって、クラスを辞めさせるってわけにゃいきません。

 もちろんヨソのクラスから「いいヤツ」をもらってくることもできない。

 

 リストラや派遣切りや「日本が嫌いなら日本から出て行け」みたいなことは不可能。

 あの子が欲しいと、カネで有力選手を分捕るジャイアンツやタイガースやドラゴンズみたいな横柄なマネも不可能。

 

 どんなクラスであろうと、クラス合唱は、そのクラスメンバーだけでやらなければならない。

 また、そのクラスメンバー全員でやらなければならない。

 メンバーということだけで言えば、クラスは閉ざされた世界です。

 一切のプラスもマイナスも許されない。

 何も足さない、何も引かない。ってウィスキーの宣伝か。

 

 これは大げさに言うと、クラスや学年での合唱合奏は、共生の理念が絶対の世界だということです。

 というより、閉ざされている以上、共生していく以外に「よりよいクラス」を作る方法がない。

 とにかくクラスをまとめて、やる気のないヤツにはやる気を出してもらい、ヘタなヤツには何とかいくらかでもうまくなってもらう。

 引っ張る側にしても、力み過ぎて人間関係を壊すようなやり方をしてはいけない。このクラスのこのメンバーでの最良を求めるためには、妥協も歩み寄りも必要です。

 

 クラスをまとめるのって、ホントに大変ですよ。

 だからこそ、そうやってクラスをまとめて、レベルの高い音楽をやってみせるクラスは、感動的ですらあるわけです。


 クラスは、学校側の都合で編成した集団です。彼ら彼女らが同じクラスになったのは、単なる偶然に過ぎない。

 なのに、そういう偶然の集団が、あたかも必然的に集まったものであるかのように高まってしまうことがあります。

 これは完全に生徒の力です。

 生徒がクラスを共生空間として作り上げようという意思を持つ時、クラスはただの偶然の集まりではなくなります。もちろん生徒は「共生の理念」などという言葉は意識していないでしょうが。

 

 校内合唱コンクールは、所詮校内行事です。音楽のレベルはクラブ対抗の、例えばNHKコンクールあたりとは比較になりません。

 なのに、結構多くの人を引き付ける。実際、Nコンよりギャラリーは多いかも知れない。その理由は、こういうところにあるのじゃないかと思うのです。(高校生ともなると、合唱部や吹奏楽部のコンクールはやたらとムズカしい曲ばっか演奏するんで、一般の人には聞いてて全然楽しくないということもあるでしょうけど。)

 

 研ぎすまされた演奏も素晴らしいですけど、原理的に研ぎすますことが不可能な環境でのベストの演奏というが与えてくれるものも、また格別なんじゃないですかね。

 

 


 

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