ssh483 5th Anniversary [ご挨拶&エッセイ]
<2011>
10月20日はsshの創立記念日であります。
おかげ様で本年をもって創立5周年となりました。みなさまのご訪問に心からお礼を申し上げます。
sshが5周年となった10月20日の5日前、私はけっこう大きなanniversaryの行事に関わっておりました。
高校卒業30周年の記念イベントです。
私の出身高校は旧制中学からスタートしていて、当年とって134歳という大変なご長寿学校です。建物も何と言うか、無用に立派でして、ほとんど文化財。と思っていたら、最近ホントに国の指定文化財になったんだそうで。
さて、ヨソのことは全然知らんのですけど、私の県の高校では、卒業30周年記念行事というのがポピュラーです。高校を卒業して30年経ったら、同期生が集まって何か記念行事を行い、寄付を母校に贈るんですね。
これは母校でもそうだし、今まで勤務した高校でも大体そうでした。
現任校は全校生徒を集めて盛大にイベントをやります。その盛り上がりはちょっと気恥ずかしいくらい。
この種のイベントは、やってみれば旧交も暖まるし楽しいものです。それは当然。
とはいえ、その準備はなかなか大変です。
まず、イベントを取り仕切るチームたる実行委員会を立ち上げないといけない。
で、その実行委員会が同期生に連絡取ったり寄付をお願いしたり文書を作ったり会場を手配したりあれしたりこれしたりそれしたりどれしたりと、やることはいーっぱいあるんです。
ところが、わが母校は卒業生がほぼ全員大学に進学するような学校。進学するだけでなく、いろんな土地でいろんな仕事に就いちゃう。地元にいる人間は必ずしも多くない。
実行委員会を引き受けてくれる、動けそうな地元の人間ってのが案外少ない。
そういうわけで、私にも、お呼びがかかってしまったのです。
でもまさか断れませんよ。自分も高校の先生なんだし、何より長男が母校にお世話になってるんだから。人質取られてるようなもんです。
卒業30周年記念行事を行うにあたって、まず一番最初のヤマは、名簿作成。
何しろ30年ぶりです。同窓生はあっちこっちに散っている。同窓会本体も10年ごとに名簿作成をやっているけれど、返信のこない人もいて、所在のわからない人はけっこういます。
そういう人たちまで全部洗い出して、全員とコンタクトを取るのが、まず手始めでした。
私も自分のクラスの8人ほどとコンタクトを取りました。と書けば簡単ですけど、これが実に面倒でして。
だって、想像してみてくださいよ。
高校卒業以来ただの一度も連絡を取ったことのない同級生が、30年も経っていきなり電話してきたら、アナタどう思います?
「コイツなんか面倒な商売か宗教の勧誘でもする気かも・・・」とか疑いません?私なら疑います。
実際、私に実行委員依頼の電話をかけて来たS君も、最初は本当におっかなびっくりでしたもの。
私はあれこれ考えたあげく、まずメールアドレスを書いた書簡を送って、応答の無かった人にだけ電話することにしました。
ところが、このレスポンスが予想外に良くって助かりました。電話したのはほんの2~3人。
結果、委員のみなさんの頑張りと、他の方の協力もあって、ほぼ全員の所在が確認できました。いや~大したもんだ。
ただ、すでに亡くなっている人が思いのほかたくさんいたのは淋しい限りです。
イベントの準備はだいたい月1回ずつ集まって進めました。幸い例年の流れがあるので、我々はそれをなぞって、必要があれば修正するという感じ。
私のお仕事は、記念誌作成。当日のスケジュールやら校歌・応援歌やら、みなさんからのメッセージやらをまとめてパンフにする仕事です。
これはあんまり負担じゃなかったです。こういう編集仕事は好きですから。
さて、10月15日当日。
午前は在校生のための講演会。出世した同窓生を呼んで来て、後輩達にメッセージを贈るという企画です。これは例年通り。
私がエスコートしたのは、NHKエデュケーショナルで「英語でしゃべらナイト」などの教養エンターテインメント番組を製作していたプロデューサーのM君。放送業界人という先入観とは全然違って、控えめで誠実itselfで、同級生ながらカッコよくて、何かちょっと誇らしかったです。
伝統校とか進学校とか言いますけど、こういう企画が行われてしまう学校に通うというのは。考えてみれば大変な財産です。
そういや、長男が南極の氷をもらって興奮して帰ってきたのは昨年のこの企画の時でしたっけ。
こういうのは、単純に偏差値だけじゃダメなんですよ。歴史がないと。
午後は式典と懇親会。
式典は30分ほどのあっさりしたもの。
お世話になった8人の担任の先生方のうち、お2人はすでに他界。あとお1人は身体の動きが不調ということで欠席。5名の先生方が来てくれました。代表挨拶のO先生のご挨拶があまりに面白くて場内爆笑。
懇親会は学校近くの同窓会館(みたいなもの)にて。で、ここから先は、もうただの乱痴気騒ぎ。
高校卒業30周年ということは、卒業時の年齢プラス30歳ですから、48~50歳くらいのオッサン&オバさんの集まりです(年齢の幅があるのは、当時この地区は中学浪人がすごく多かったせいです)。
でも、いざ集まると、脳内は一気に Back to 高校時代。
呼びかけからして「◯◯く~ん!」「××ちゃん!」。女性は既婚でも旧姓呼び。私も久しぶりに高校時代と同じように呼びかけられました(私の名字は当地ではよくある名字で、中学でも高校でもクラスに同じ名字の人がいたので、クラスメートは私のことをファーストネームで呼んでました)。
みなさん、各方面でご活躍のご様子でした。
名簿をまとめたS君によると、医者と学校の先生と地元企業関係者(かつて腕時計、今はプリンターで有名な会社)と主婦がえらく多いのだそうです。
もし懇親会の真っ最中にだれかが「せんせーい!」と叫んだら、私を含めて過半数が振り返ったんじゃないでしょうかね。
同級生のSさんはJALで国際線のスチュワーデスをやっていたそうです。退社間際には首相専用機にも搭乗したそうで。宮澤喜一氏はとても紳士だったと言ってました。(ということはそうじゃないVIPもいたということだな・・・。)
元吹奏楽部のN君は中学の教頭先生だそうです。かなり大変そうでした。
関西の国立大学で教授をやっているN君は「書類ばっかり書かされてて研究の時間がないよ。この歳で睡眠時間を削るってのはつらいよね。」と愚痴ってました。
高3の時、よくいっしょに黒板を消したIさんは小学校の先生になっていました。
当時はとにかく掃除がダメ。授業が済んでも板書はそのまま。黒板消しは真っ白けという状態で授業が始まることが常体化していました。先生がキタナい黒板消しで板書を消すとチョークの粉が盛大に飛び散り、最前列にいた私は被害をモロに受けました。それがイヤで、私は毎回黒板消しを廊下のクリーナーでキレイにして黒板を全部消しておいたのですけど、Iさんはずいぶん後ろの席にいたにもかかわらず、毎回黒板を消してくれていたのですね。
結婚して神奈川在住のFさんの子どもはすでに大学生と高校生。聞けば、都会では塾に頼るのが常体で、それゆえ公立高校の先生は進路指導をロクにしてくれないのだと。「こっちの高校って面倒見がよくていいよね~」と嘆いていました。
実は今回、一番感じる所が多かったのは、お世話になった先生方の反応。
何と言いますか、みなさん、とても楽しそうだったんですよ。
一番若い先生はまだ現役バリバリで、教育委員会の重職にあります。私もいろんな絡みでお会いすることがあるんですが、公式の場で会うと、まあよくある感じの、悪いけど官僚っぽい物言いが目立つんです。
ところが、この日は全然違う。言葉遣いも何となく拙いし、高揚すると声がひっくりかえって、若い頃の様子のまんま。
現任校の校長先生は東京大学OBの大変に有能な方です。高校現場で働いた後、早くから教育行政の仕事に抜擢され、今年ひさびさに学校現場にやってきた。そしたら、なんかすごく嬉しそうなんですよ。
何だかんだ言いつつ、やっぱ先生ってのは生徒がいる現場が好きなのかな。
ところで、今担任しているクラスの卒後30年って言ったら、私ゃ82歳ですぜ。仮に式典があったとして、生きてる自信ねえなあ。
もっとも、しっかり記憶があるのはこのあたりまで。
あらかじめ用意されていた2次会を終えて、クラブ仲間と3次会に行ったあたりで私はもうへべれけ。「すごかったよ」と嫁サンが呆れるような状態で何とか帰宅してそのまま寝ちゃいました。だろうなあ、午後3時ころから10時過ぎまでずーっと飲んでしゃべってたんだから。
というようなだらしのない吞んだくれが主催するsshでありますが、6年目も性懲りも無く続きます。よろしくお願いします。
sshの30周年って・・・想像したくないなあ。