ssh506 違和感こそ、小論文のエネルギー源 [小論文]
<2012>
先日、担当している高1生に小論文テストをやりました。
小論テストはたいてい市販の教材を使うのですが、私の場合は問題も評価もすべて自前です。安いし、自分の好みに合った出題ができます。
私が高1によく出すのは、家族論。これだと取っ付きやすいし、その割に考えられることはいっぱいあります。今回は山田太一の1977年のエッセイをネタに、家族論を書かせてみました。
いや~、やっぱ面白いっすね、生徒の書いた文章を読むのは。これだから小論指導は止められないのですよ。この面白さ、業者には絶対にわかりません。だってこちとら、生徒の素性も普段の様子も知ってるんですから。
4年ほど前に、某業者の小論テストをやった時、答案を送付する前に私は全部の答案に目を通しました。で、3点ほど面白い答案があったので、それを本人の承諾を得て「進路だより」に掲載しました。この3点は生徒にも教員にも評判が良かったです。
ところが、業者の採点ではこの3点はあまり評価されていなかったのです。
業者の採点では評価が細分化されていて、作文技術(文章表現、文字の読みやすさ、原稿用紙の正しい使い方)に重点が置かれていました。
小論文ビギナーにとって一番重要なのは、視点観点です。課題文に対して、いい切り口で攻められるかどうか。基本的な構成ができているかとか、作文技術がどうかなんてのは、まあどうってことはない。2週間もあれば身に付く初歩的な技術です。
この時に私は確信しました。業者は必ずしもアテにならないと。
さて。今回の山田太一のエッセイは「お互いの喜びや悲しみを共有できさえすれば、家族はバラバラであるのが健康的だ」というお話です。
生徒に家族論を書かせることの最大の面白さは、優等生ほどロクな答案が書けないことです。
優等生は、概して家族的に恵まれています。家族は温かくていいものだと思ってます。しかも優等生は物事を疑うのが苦手です。
そこにいきなり「家族はバラバラがいい」とぶつけられると、さてどう反応してくるか?
筆者の意見にすっかり説得されてしまうか、通り一遍の反論をするか、そのくらいしかできません。
日頃デキのいい生徒の答案は、だいたいつまらないんです。
一方、家族との軋轢を抱えている生徒は、こういう話題にしっかり食いついてきます。
こういう生徒にとって、家族は水や空気のような自然な存在ではない。「いったい家族って何なんだろう?」と、問いかけなければ気が済まないような対象です。
つまり、日頃から家族というものを対象化(ssh202参照)している。
もっと言えば、彼ら彼女らは、家族というものに違和感を持っている。
だから、彼ら彼女らの書いてくる答案は、すごく面白い。体験を基にした具体例も、読んでいてグッと来る。
人間、「当たり前」「常識」「当然」「普通」と思っているものごとに対しては、それ以上なにかを考えようとはしません。
しかし。それでは、思考は深まりません。
少なくとも、大学で学ぼうというのであれば、常識を疑う姿勢は絶対に必要です。
大学の研究は、ある意味、常識を覆すための研究がされています。
今まで不可能だったことを可能とする技術や発見。
今まで定説とされていたことを否定する説。
常識をただの常識と受け止める姿勢では、とてもそういう研究には参加できません。
常識を疑うことに慣れているのは、いろいろなことに違和感を持っている人間です。
違和感を否定せず、違和感を大事にしてください。
違和感は、ものごとを考える原動力です。
sshがつねづね「常識を疑え(ssh30参照)」と言っているのは、それこそがものごとを考えるために有効なものだからです。
ものを考える上で実は一番やっかいなのは、自分にとっての「常識」「当たり前」について考えることです。
親には孝行すべし。
年長者には敬意を表すべし。
授業中は静かにすべし。
早寝早起きすべし。
国旗国家は大切にすべし。
どれも常識ではあります(全ての人が同意するかは知りませんが)。
でも、それを疑い、対象化し、「なぜ?」と問わねば、異論を説得することはできません(力づくで屈服させることは可能かもしれませんけど、それは説得ではない)。
だから。
日頃、いろんなことに違和感を感じているというあなた。
あなたには、大きな可能性があります。少なくとも小論文に関しては。