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ssh509 東京中華人民共和国ニッポン [社会]

<2012>

 

 1980年ころに「なぜか埼玉」というヘンな歌がヒットしました。大学の友人がやたらと面白がっていましたっけ。

 ただ、当時の私には摩訶不思議。

 なぜ埼玉がイナカ扱いなのか?

 私の生まれ故郷は埼玉県よりも人口密度も産業もはるかに低レベルで、首都圏からの距離も遠い。どう考えたってこっちの方がイナカです。なのになぜ、埼玉がイナカイナカと揶揄される?

 

 そのもうちょっと前の1970年代後半、私はとある受験ネタマンガにハマっていました。その中にこんなエピソードが。

 慶應大の学生がホストクラブのバイトに応募したら、すげえイケメンなのに「たかが私立大ではねえ」とあえなく落とされる。顧客が教育熱心なオバちゃんたちなので、国立大生ホストでないと客寄せにならないと。

 これがまた、私にはまるで不思議。

 国立大学なんて、日本中にいくらでもあるじゃないですか。私の地元にだってある。当時の慶應は早稲田よりは受かりやすかったとはいえ、やっぱ相当な難関です。慶應より受かりやすい国立なんか山ほどあるのに。

 なんで国立大学が、名門私大よりエラいの?


 長らく忘れていたこの2つの疑問は、しかし最近、ようやく答えがわかりました。

 これ、東京人の世界観で考えれば、しごく常識的なことだったんです。

 すなわち、東京人にとって、「くに」は東京であり、「日本」は関東までであり、それ以遠は「地方」という名の外国である。

 

 


 

 この世の中は、どんなものなのか?その答えが各自の「世界観」です。


 世の中のありように関する視点・観点・感覚。「宇宙観」と言ってもいいでしょう。コスモロジー(cosmology)なんて言い方もあります。


 


 コスモロジーは、時代や場所によって様々です。


 大航海時代以前のヨーロッパ人にとって、大地は平らで、その周りに海があり、海の果ては何もない世界とされていました。丸いテーブルのような台の真ん中に大陸があって、その周りに海があって、海の果ては滝のように水が流れ落ちている(そんな絵や模型を見た事のある人もいるでしょう)。これが当時の世界観=コスモロジーです。


 天動説というのは、自分たちが宇宙の中心であり、星は自分たちの周りを回るものというコスモロジーです。


 中国人の伝統的なコスモロジーは中華思想です。自らが世界の中心=「中華」であり、東西南北の外国はそれぞれ東夷(とうい)西戎(せいじゅう)北狄(ほくてき)南蛮(なんばん)という蔑称で呼ばれます。


 


 コスモロジーは、時代と場所によってだけでなく、集団や個人によっても異なります。


 私が生まれ育った場所は、市街地から10kmほど離れた地味な商店街です。当時の私の至上の喜びは、下り列車に乗って市街地のデパートに行くこと。最上階のレストランでクリームソーダを飲んで屋上のゲームコーナーで10円玉を10枚もらって遊ぶ。昔のデパートは今のディズニーランドみたいなもんだったとビートたけしが述懐してますけど、まさにそんな気分でした。


 一方、逆方向の上り列車に乗る用事はまったくなし。駅のホームから南に伸びる線路を見て「この先にはどんな世界があるのだろう」とずいぶんと憧れを持ったものです。


 市街のデパートがパラダイス、自宅より南はフロンティア―――大げさに言うと、これが幼少期の私のコスモロジーです。




 さて、冒頭の2つの疑問。


 まず後の方。


 東京には何百もの大学があります。


 東京の人がわざわざ東京を離れて進学する理由は、あまりありません。医学部医学科となりゃ話は別ですが、家から通える大学がいっぱいあるのだから、何もわざわざ遠くへ行く必要はない。


 東京人にとって、大学とは在京大学のことです。自宅から通えない遠くの大学は最初からout of 眼中(眼中にない)


 ところで、実は東京には、人口の割に国公立大学が少ない。特に文系だと、東京大と一橋大と東京外国語大と東京学芸大くらいしかない。学芸大は教育大学だから、教育職志望でなけりゃ残るは東大・一橋・外大のみ。


 こりゃ確かに大変だ。東京の文系人間にとって、国立=高嶺の花です。




 一方、1つ目の方。


 これは東京人が関東以遠を日頃まったく意識の外に置いていると考えれば、つじつまが合います。


 自分たちが意識している範囲内で、自分たちの住んでいるところよりも未開な地区がイナカであると。


 関東以遠は、自分たちの土地とは全然つながっていないフロンティア(辺境)


 彼らが北海道や東北や信越北陸や近畿や中国四国九州沖縄に行くのは、感覚的には海外旅行です。


 海外だから、イナカであっても侮蔑の対象にならない。単なる異文化。「わあ、すご~い!」と珍しがるだけ。


 


 東日本大震災後に在京メディアがやらたと「絆」だの「つながろう」だのと連呼したのも、それまで東京と東北がつながっているとは実は思っていなかったんでしょうね。少なくともフクイチと電線でつながっていることはまるで意識してなかったはず。


 


 


 「日本」という国名は、日の出る方という意味です。つまり東の方。


 日本が東の方にあるのは、中国から見た場合です。つまり日本って国名は中華の東って意味でして、モロに中華思想から来てる名前です。


 な~んか、イヤな感じですよね。卑屈な感じがして。でもね。その同じイヤらしさが、日本国内でも展開されてるじゃないですか。




 国内においては、中華は東京です。東京がコスモ(宇宙)の中心。あとは遠くに行くに従って辺境。


 で、これは東京の内部においても、さらなる中華思想を生んでいます。


 中央区や千代田区などの特に政治経済的にいろいろ集中しているところが、東京の中の東京、中華の中の中華。


 墨田区や荒川区などの下町はヒエラルキー(階級)的に下位。もちろん、23区に入らない◯◯市とかいうのは華やかな土地から遠くなるに連れてどんどんランクが落ちる。


 


 そう考えると、権力マッチョの老朽原子炉みたいな都知事(ssh455参照)が好まれる理由の一端もわかろうというものです。


 都会の裕福な家に生まれ、戦中戦後にすら飢えをまったく経験することなく過ごせた育ちの良さ。高学歴で、自身は作家、弟は映画スター。確かに彼には「中華な」価値観が体現されています。


 イナカモンには、彼の自己中心で横柄で権力欲旺盛で、ゼニと利権の匂いをプンプンさせているのがどうにも気に入らないのですけど、中華東京人にはあれも愛嬌のウチということで、ウケるんでしょうね。


 


 


 東京キー局の番組を見ていると、東京のグルメ情報やお買い物情報が、あたかも全国ニュースのように流されています。私はあれが大嫌い。東京のお店情報なんか、しょせんローカルネタです。ああいうのはローカル番組でやるのがよろしい。


 東京は日本だけど、「東京が日本」じゃないでしょ?


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