ssh523 定型句・定型表現〜小論キーワード(15) [小論キーワード]
<2012>
今回の小論キーワードは「定型句」「定型表現」。
この言葉、手元の辞書の見出し語にはありません。あるのは「定型」と「定型詩」だけ。
定型・・・一定のかた。決まったかた。
定型詩というのは、短歌や俳句や漢詩の絶句みたいな、決まった型を持った詩のことです。
文字通りには、定型句とは決まった形のフレーズ。定型表現とは決まった型の表現ということです。
定型句・定型表現は、私たちの生活に必要不可欠なものです。
手紙であれば、「拝啓」で始めて「陽春の候」とか時候のあいさつをして、「ますますご清栄のこととお慶び申し上げます」とか書いてから、「さて、・・・」と本題に入る。
結婚式の祝辞なら「本日はお日柄もよろしく」と、別に日頃気にもしていない六曜を引き合いに出してから本題に入る。スピーチなら「ご指名でありますので・・・」とか始める。
これらの定型句は、本題に入る前にお互いの共感を確認する重要な機能を持っています。人間、いきなり本題に入られたのでは面食らうものです。まずは型にはまった表現で始めると、本題にもスムーズに入れる。
そんな定型句・定型表現が、なぜ小論キーワードなのか?
実は、定型句や定型表現を多用するのは、小論の世界では批判の対象なのです。
時候の挨拶に、私たちは特別な意味内容は期待していません。というか、意味を込められると困る。意味がないからこそ、本題に入る前の露払いになる。
ひどい言い方をすると、時候の挨拶は情報としては無価値です。何の情報も込められていません。
これが定型句・定型表現のありがたさと同時に怖さ。
耳当りもいいし、他社の共感も得やすい。気楽に使える、いい表現です。
しかし、その意味内容はほぼ伝わらない。
「暦オタクのオレの長年の研究からしても、今日くらい縁起のいい日はまずない!」と思っている人が
「本日はお日柄もよろしく」と言ったら、その熱い想いは全然伝わらない。
定型句はものを伝える力がいたって非力です。
本当に伝えたいことがあるのなら、定型表現ではない、自分独自の表現を探さないといけない。
さて。
定型句・定型表現がもっともよく使われるメディアはTVです。
もちろんTVは「本日はお日柄もよろしく」とは言いません。
が、TVにはTVの定型表現があります。
TVの定型表現は、修飾語句と「まとめ」に頻出します。
これはバラエティでも情報番組でもドキュメンタリーでもニュースでも、何でも出てきます。
例を挙げると(斜体が定型表現)、
- 秘蔵映像、蔵出し映像、お宝映像・・・単なる過去のビデオのこと
- ◯◯の時代・・・◯◯には「地方」「国際化」「高齢化」「若者」「女性」「男」「英語」「国語」「環境」「復興」など、何を入れても構わない。正反対の言葉を入れても構わない。何を入れても特別な意味は持たない。「今は環境の時代だ。」「福祉の時代と言われていますが」等々、どれも時候の挨拶程度の機能しかない。なお「トレンド」とか「これからは◯◯だ」とかいうのも同じ。
- 衝撃の事実・・・この言い方が流行し始めて以来、「驚くべき事実」とか「予想を覆す事実」とかいった言い方すら使われなくなった。で、たいていその事実は、女子アナが「え~!」とか騒いではみせるけれど、大して衝撃的ではない。
- 福島第一原子力発電所の事故を受けて・・・これはもう完全に時候の挨拶と同じレベル。2011年3月11日以降のエネルギー・放射能関係のニュースはすべてこれで始まる。事故を「受ける」って、どういう行為を指すのですかね。
小論文のテーマは社会問題が多いのですが、そういうものを高校生にいきなり書かせると、かなりの生徒が定型句・定型表現を並べただけの、まるで内容の無いものを書いてきます。
で、一つ一つの定型表現にツッコミを入れると、全然答えられない。
環境問題に関する小論で「これからは共生の時代である」とか書いてきた生徒であれば、「共生の時代って、どういう時代なのかな?今とどう違うの?」と軽~くツッコミを入れると、もうしどろもどろ。
ま、無理もないです。
小論初心者は、とにかく耳障りのいい言葉を並べればあまり減点されないだろうくらいに考えています。そこをぶち壊して、真剣に自問自答するようにしむけるのは指導する側の仕事です。
定型句・定型表現の怖いのは、自分では何も考えていないのに、それらを並べると何となく答えになっているように錯覚してしまうことです。
「あなたの考えを述べなさい」と問われているのに、実は何も考えることなく400字なり800字なりが埋まってしまっている。あな恐ろしや、定型句・定型表現。
私は300名以上の生徒の小論文を1週間くらいで評価することがあるのですが、定型句の多い文章は真っ先に「ダメだな」と判定します。
逆に、たどたどしい表現で書かれている時は「ん?」と思います。
人間、本当に自分の頭で考えて、自分なりに出した答えを書こうとすると、定型句・定型表現はまず使いません。一生懸命言葉を探すから、誰もが使う言葉は使わない。
ただ、高校生はそういう経験が少ない。不慣れゆえ、表現はたどたどしくなりがち。
でもね。そういうものの方が、断然訴える力は強いのです。
キツい言い方をすると、定型句・定型表現は、自ら考えることから逃げる人間のための反則道具です。