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ssh544 「プレゼンする力」をプレゼンする力(2)〜鷲田清一のプレゼン力 [小論文]

<2012>

 

 では、ssh543の解説編。

 1本ずつ行きましょう。トップはワッシーこと鷲田清一のプレゼン力のプレゼン。

 

◆◆***プレゼンが広がっている理由は三つ。一つは、国際社会で日本人は自分を表明してこなかった、経済も落ち目、だからここでポジティブにという流れ。二つ目は、市民たるもの、意見をきちっと表明し社会を変えていこうという「新しい公共」の動き。三つ目は、国から地域までのムラ社会の崩壊。***

 「プレゼン」にいい思い出はない。大阪大の総長のとき、国から競争的資金をとるのに、何度もプレゼンをさせられた。皆いいことばかり言う。けれど、研究なんてそんなにうまくいくものではない。だから僕は「実は難しい問題があって」などと逆に芝居を打つ。テクニック、だましっこの世界です。

 それを教育でモデルにしたら最悪です。***一方に、勝ち負けを追求する戦略家。他方には、自分を高く売りつけるゲームがしんどくて、おりる子。どちらも学ぶ意欲は限りなくゼロに近づいていくでしょ。

 ゼミの研究発表や遠足の感想まで「プレゼン」と言わなくていい。商品を売らんかなの史上論理の言葉ですから。ただ「リポート」と呼べばいい。***

 自分がどう考えてるか、他人からどう思われてるか不明なまま、いいことも悪いことも率直に口にし、言葉をざらざらとこすり合わせる。そうしているうちに、新しい言葉が立ち上がる。

 出前で400回ほどやってきた「哲学カフェ」もそう。初対面の人たちがいきなり問題の立て方から議論を始め、具体的な例に沿って語るなかで、言葉の感触というものが人によって想像以上に違うことに気付く。

 言葉は世界を読み取る網のようなものです。もやもやしてる問題に言葉を与えることで、そういうことだったのか、と腑に落ち、見晴らしがよくなる。そんな確かな言葉を見つけられればいい。口べたでもいいんです。◆◆

 

 いきなり結論を書いてしまうと、このプレゼンはいいと思います。阪大総長時代に「何度もプレゼンをさせられた」経験が生きたんですかね。プレゼンにいい思い出はないと言いながら上手なプレゼンをしてみせるあたり、ワッシーはなかなか強者です。

 

 鷲田の意見は「プレゼンは教育モデルにはふさわしくない」。プレゼン重視の教育に賛成してません。

 前半で鷲田は、プレゼンはビジネスでこそ有効なものであって、教育現場に持ち込むことには弊害が大きいと指摘しています。私も教育畑の人間ですからこの指摘はほぼ同意しますが、しかしこの視点だけでは論拠として弱い。「そんな甘っちょろいことを言っているからダメなんだ、現実社会は厳しいのだ」という反論が容易に予想されます。

 

 しかし、ここで鷲田は自身の経験からくる「具体例」を使って、一つ次元の高い話を提示しています。


 

 鷲田が後半で指摘しているのは「言葉を磨く意味」。

 ただ、これは一般の人にはちょっとわかりにくいかも知れないので、補足を。

 私たちは、普段使っている言葉にあまり注意を払っていません。日常生活にムズカしいことはそうは出てきませんから、何となく適当に言葉を選んでも、特に困らない。

 ところが、マジなことをマジに考えたり話したり聞いたりしようとすると、一つ一つの言葉の意味がすごく重要になってくる。

 例えばある人のことを「好き」だと思っても、それは家族や親類のことを「好き」というのとはちょっと違う。もちろんTV番組や食べ物が「好き」というのとも違う。同じ「好き」という言葉でも、その好意の意味合いや程度や深刻さはずいぶんと違う。

 同じ人間が使う「好き」がいろんな意味を持っているのだから、人が変われば意味はもっと変わる。

 

 「哲学カフェ」については詳しいことは知らないのですが、恐らく鷲田がやってきたのは、手持ちの言葉でいきなり何かを述べる(つまりプレゼンする)前に、そもそも自分が考えていることは一体何なのか?を、いろんな人と未完成の言葉をぶつけあうことで発見していくという行為なのでしょう。

 この行為は、かなり楽しそうですね。いろんな人と荒削りな言葉を交換していくうちに、「ああ、つまりオレの言いたいのはこういうことだったんだ」と腑に落ちると。

 こういう瞬間って、ありますよね。気持ちのいい瞬間です。

 

 

 プレゼン力よりも、自分の考えていることを明確化するために言葉を磨く作業の方がはるかに有意義だ、というのが一応の要約となります。

 

 

 細かいところにケチをつけると、後半の言葉遣いがちょっと高尚すぎるかもしれない。フツーの社会人、特にビジネス畑の人たちは「何だよ、小難しいこと言いやがって」とヒネてしまう可能性大。新聞紙上でのプレゼンですから心配がありますね。

 これが小論文の課題文とか、大学生向けの課題なら全然問題ないんです。学生は自分のわからないことを何とか理解しようと努力することを使命づけられてますから、むしろこういうちょっと高尚な内容の方が好ましいんですけど。果たして朝日新聞の読者の受け止めはどうだったでしょうか。

 

 

 てなわけで、私としてはこのプレゼンにはいささかの心配部分を減じて90点としましょう。問題の掘り下げがうまいので、ここいらへんは高校生も真似して欲しいです。


 

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