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ssh550 社説の読み方〜デモは威嚇か圧力か編 [社説の読み方]

<2012>

 

 え~みなさん、毎週金曜日に首相官邸前で行われている脱原発デモ(というか集会)に、どのようなご意見をお持ちでしょうか。

 日本にも公汎な市民運動がついに発生したと大きな賞賛を送る人、とにかく黙っていられないと参加する人、中央メディアはもっときちんと取材して報道しろと憤る人(例えば私)TVや新聞しか見てないのであまりよく知らないという人、ネットもケータイも使っているクセに脱原発とはわがままだと批判する人、あれはシナか在日の仕業だとわざわざ反対行動を起こすウヨ君たちと、まあいろんな人がいます。世論は全体としては脱原発の方向に向かっているようですけど。

 

 さて、その中でちょいと変わった主張を見つけました。産経クンの84日の社説で、これは一言でまとめてしまえば「デモの意見を政治に反映してはならない」という実にビシッとしたご意見です。お忙しい方のために、ポイントを太字にして引用します。

 

◆◆首相と原発デモ 会うなら毅然と説明せよ  2012.8.4

 野田佳彦首相が、脱原発などを叫んで首相官邸周辺でデモを続ける「首都圏反原発連合」の代表者と近く面会する見通しとなった。

 面会に応じるならば、首相は関西電力大飯原発3、4号機(福井県)を再稼働させた政府の方針を毅然(きぜん)とした態度で説明すべきである。

 しかし、そもそも野田首相には、代表と会う義務はない。その必要性もまたないのである。

 わが国は、公選によって選ばれた代表者に国政の判断を委ねる間接民主主義(代議制)を政体としている。

 大飯原発は法律に基づく所定の手続きを踏んで再稼働されたものだ。すでに首相自身が記者会見を開き、再稼働の必要性を説明し国民に理解を求めている。

 この政府方針に疑問を持つ国民はいるかもしれない。批判的な立場からの主張や、反対意見を表明する権利はむろん認められている。デモも自由である。首相がこれら国民の多様な意見に耳を傾けるのは当然だ。

 だが、デモの人数の多さや威嚇的な言動、圧力などのため、いったん決めた政府の判断が覆されたり、歪(ゆが)められるようなことがあってはなるまい。大飯以外の原発の再稼働についても、安全性が確保されたなら、粛々と進めてゆくべきだ。

 原発の再稼働に反対する立場の人たちも、政策を変更させたいなら立法府で多数派を形成して実現させるべきである。表面的な声の大きさを頼りにした「民意」を盾に首相に面会を迫り、自らの主張を突き付けていくやり方は、穏当な手法とはいえない。こうしたやり方は前例となり、禍根を残しかねない。

 当初は代表との面会に消極的だった首相の判断が一転した一因には、首相の再稼働決断に批判的な鳩山由紀夫元首相と菅直人前首相が、デモ参加者に同調したことが大きいとされる。

 同じ政府・与党内で首相を支えるべき立場の首相経験者2人が、政府の方針とは全く異なる立場で動いていること自体、理解できない。両氏は反省してほしい。

 党内の結束を図ることと、国のエネルギー政策を左右する原発再稼働をめぐる判断とは全く別次元の話である。両者を一緒にして行動しようとしている野田首相の判断も、また批判されるべきだ。◆◆


 

 しかしまあ、いいんでしょうかねえ、こんなこと書いちゃって。他人事ながら心配になります。

 

 産経クンの今回の意見に従えば、選挙結果はデモに終結した多数に勝るということになります。選挙結果こそが民意であると。

 なれば、なぜ産経クンは鳩山内閣を執拗に批判し続けたのでしょうか?鳩山由紀夫は「公選によって選ばれた」「国政の判断を委ねる代表者」だったわけですんで。

 もっと言えば「解散して国民の信を問え」なんて、口が裂けても言えないじゃないですか。

 私が他人事ながら心配と言うのは、この社説は政権が民意から乖離した時に、その政権の正当性を批判すること自体を否定しちゃっていることです。

 鳩山政権が誕生した時、産経クンは「こんな政権じゃダメだ」と心底憂いたはずです。だからこそ批判した。

 今回の社説は、そういう行為まで否定してしまっています。

 

 毎度ギャグネタになる産経クンですけど、今回は「頑張れ野田政権!」の情熱に押されて、完全に自分を見失ってしまったようですね。ここまで自分で自分の首を絞めてしまうとは。これ、完全に自殺行為です。「それを言っちゃあおしまいよ」ってなもんです。

 あまりの愚かさに茶化す気にもなれません。ssh開校以来最低の社説です。今後のために保存しておきましょう。

 

 

 折角なので、比較対照のために正反対の主張を掲載しましょう。

 我が国で唯一、原発ゼロで経営している沖縄電力のお膝元、琉球新報です。

 

◆◆脱原発集会 新たな民主主義のうねりだ (2012.8.5) 

 野田佳彦首相が、脱原発を求めて官邸前などで抗議行動を展開している「首都圏反原発連合」を代表するメンバーと近く面談することを表明した。一向に収まる気配のない脱原発のうねりを目の当たりにし、参加者の声を無視できなくなったことが背景にある。

 面談に臨む首相の腹積もりは定かではないが、単なるアリバイづくりやガス抜きの場としてはならない。政権基盤を揺るがすとの危機感や焦りがあるのならば、原発政策を抜本的に転換する契機とすべきだ。

 首相はこれまで面談には消極的どころか、繰り返されるデモや集会自体を歯牙にもかけていなかった節がある。

 関西電力大飯原発の再稼働を直前に控えた6月29日には主催者発表で約20万人(警視庁調べで約1万7千人)が官邸を取り囲んだが、首相は「大きな音だね」と表現。7月12日の国会答弁では「官邸周辺のデモはこのテーマ以外にもよくある」と、脱原発集会を過小評価するような見方を示していた。

 国会答弁が本音とすれば、鈍感さを装い、はなから民衆の声に聞く耳を持っていなかったことになり、より悪質と言える。

 しかし、首相の思惑とは裏腹に、毎週金曜日の官邸前の大規模行動は恒例となり、7月16日に東京・代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」には主催者発表で17万人(同約7万5千人)が集結。全国各地でも集会が活発に開かれている。

 特徴は、ツイッターやフェイスブックなどインターネットのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じた呼び掛けで、子連れの主婦や学生など幅広い年齢層が参加しており、従来型の組織的な動員は少ないことだ。

 人々の怒りは、非民主的な政治判断で原発再稼働を強行した野田政権への異議申し立てにほかならない。何よりも野田首相は、これまで政治に表立って意思を表明してこなかった名もなき人々が、自らの意思で声を上げ始めた意味を真摯(しんし)に受け止める必要がある。

 中東の民主化運動「アラブの春」が示したように、民意を顧みない政権が崩壊することは、既にわれわれが歴史の証人となった。

 脱原発のうねりは、新たな民主主義のうねりでもある。日本の民主政治が歴史的な転換点にあることを野田首相は自覚すべきだ。◆◆

 

 こちらは意見文として至極マトモ。少なくとも自分の首を絞めるような意見は述べていません。この文面なら、今後も基地問題に対して、中央政府に異議申し立てをやっていけるでしょう。こういうのを一貫性というのですね。

 産経クンも琉球新報の爪の垢を煎じて呑んでみてはいかがでしょうか。ただちに健康に影響のない範囲のごく微量な垢で結構ですから。


 

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