ssh557 総閲覧数1,100,000件のお礼 [ご挨拶&エッセイ]
<2012>
8月28日に、総閲覧数が110万件となりました。皆様のご訪問に、本当に感謝しております。
趣味レベルのブログとは言え、読んでもらえるか否かというのはとても大きなことでして、アクセスが多いとやはり嬉しいものです。
これからもアクセスいただけるように、地味に地道に理屈っぽく記事を書いていこうと思っております。これからもよろしくお願いいたします。
ところで。
節目の御挨拶記事では、私の学生時代の回顧のような、割と大ネタのエッセイが続いておりました。
この流れで行くと、次は教員生活が始まった頃の話か、結婚の話が出てきそうな流れ。
ところが、節目中の節目と言うべき100件のお礼(ssh527)は、人生55歳までかな~というような、かなりの軽ネタでした。分量も短め。
この辺が、アマノジャクのshira(LHR53)ゆえなんでしょうかね。
クラシック音楽の世界には、交響曲9番の呪いというのがあります。
交響曲を山ほど作曲したハイドンとかモーツァルトの時代が過ぎて、ロマン派の時代になってからは、交響曲は一曲一曲が大作となり、多作が難しくなりました。
すると、何の因果か偶然か、大作曲家は生涯に交響曲を9つ作るとおしまいということがよく起きました。つまりSymphony No.9を完成するとあの世からお呼びがかかると。
もっとも有名なのがベートーベン。他には、シューベルト、ドヴォルザーク、ブルックナーなど。
マーラーはこのジンクスを恐れて9番目の交響曲をわざわざ「大地の歌」という別名で発表しました。でも、あの世に呼ばれることはなく、その後交響曲第9番を作曲した後、天に召されました。
ショスタコ―ヴィチは、スターリン独裁時代のソ連で、世界的にもっとも評価された作曲家です。
彼は生涯に15曲の交響曲を世に出しています。彼の第9番は、第2次大戦終了直後に完成します。ソ連も連合軍でしたから、自国の最高の作曲家が作曲する「第九」が大戦の勝利直後に出るというのは、まさに最高のタイミングでした。
ところが、ショスタコーヴィチの「第九」は、演奏時間わずか25分の、いたって軽い曲でした。
完全に肩すかしを喰らった当局は、ショスタコ―ヴィッチ批判を繰り広げることとなります。
一時期よく語られたのは、ショスタコーヴィチもマーラー同様、第九の呪いを恐れ、わざと軽い作品で第九を片付けたという説です。柴田南雄もNHK交響楽団のパンフでそう言っています。
しかし現在では、ショスタコーヴィチは当局の期待をわざと外したという説が有力です。実は彼はかなりの皮肉屋で、時の権力に適当に抗いながら上手に創作活動をしていたのです。
こんなところに引き合いに出された勇気ある大作曲家には大変失礼ですが、私も「大一番」をわざとあっさり流すということをするタイプなんです。
何というか、ベタな盛り上がりがキライなんですね。ついひねくれちゃう。
でも、こういう身に染み付いた感覚ってのは、どうにもならないんですよ。
季刊誌「SIGHT」の高橋源一郎と内田樹の対談はとても面白くて、毎度楽しみに読んでます。(単行本出てます)
この対談で語られた小沢一郎観と橋下徹観がすごく面白い。
二人によると、小沢一郎という人間は、ここ一番で必ず、わざわざ負けるような選択をするというんです。古くは連立与党を「新進党」にした時に干されています。民主党が政権と獲得した後も、発言すべき時に発言せずに立場を悪くする。
で、高橋と内田は、これは小沢の血肉的なものだとしています。つまり岩手出身の小沢は、自分がリーダーになることが(無意識的に)キライで、周辺から中央を攻めるのが一番居心地がいいのだと。
一方の橋下に対する高橋・内田観は、「彼は世界を罰したがっている」というもの。
彼は学校や先生が死ぬほどキライで、公務員もキライで、しかも現在の自分自身も実はキライである。自分をこのようにした学校や社会がどうしても許せない彼は、その復讐にこそ最も燃えているのだと。だから彼は壊すこと「だけ」に熱意があり、造ることにはほぼ関心がない。
◯◯さんという人は、××な人だ。
こういう血肉的な物言いに、私はけっこう魅かれます。
あの人はお金にはうるさい人だとか、
あの人は実は色恋ネタがけっこう好きだとか、
あの人は節目を大切にする人だとか、
あの人はとにかく中国が大嫌いだとか。
こういうのって、批判とか評価とかいうのと違って、もうしょうがないことだという感じがしますよね。
ホンダの創業者、本田宗一郎は、4サイクルの空冷エンジンにかなりのこだわりを持っていました。
私の幼少期、あちこちの路肩にエンコしたクルマが駐まっていました。多くはボンネットを開けたまま。原因の大半はオーバーヒート(過熱)。水冷エンジンの場合、冷却液が漏れたり減ったりしてのオーバーヒートが多く、そうなるとどこかから水をもらってこないと直りませんでした。
本田はそういうのが大キライだった。水なんてどこででも手に入るわけじゃありません。だから本田は水の要らない「タフ」な空冷こそ一番と考えていた。
現在、クルマのエンジンは100%水冷式です。ラジエーターの製造技術も冷却液の添加剤も進歩して、今やクルマのオーバーヒートなどまずあり得ません。「オーバーヒートって、何?」というのが今の人のフツーの感覚でしょう。
水冷が主流になりつつあったころに、まだ空冷にこだわったのは、あまり賢明ではありません。
でもね。
本田のオヤジさんって人は、とにかく空冷が好きだったんですよ。好きだったんだからしょーがない。限界までとことんやらないと気が済まない。
で、実際にずいぶんとムリな設計の空冷エンジンを造ったりして、最終的に本田は空冷を諦めました。
またまた話が大げさに脱線しました。
まあつまり、私のアマノジャクも、どうしようもない。
周囲の方々が、本当に心から「なんでそんなことにこだわるの?」とか「どうしてそんな面倒なことするの?」と進言してくれることもままあるのですけど、そういうわけで本人にもどーしよーもないんですよ。
そんなアマノジャクなsshが、ありがたいことに110万件の閲覧を頂きました。
これからもアマノジャクにあれこれ記事にしていくつもりであります(ブログのネタって、意外とあるものなんですね)。
これからもスーパー小論文ハイスクールをよろしくお願いいたします。