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ssh562 自己評価くらい絶対評価しましょう [リテラシー・思考力]

<2012>

 

 この記事は、2010年に書いた ssh376絶対/相対~小論キーワード(12) の姉妹編です。

 相対とは、他者との比較でものごとを語ること。絶対とは、他者を抜きにして語ること。

 

 185cmの身長は一般的にはかなり高い。ところが男子バレーボールやバスケットボールの世界では平均的かそれ以下の低身長。これすなわち、185cmは絶対的には高いと言えるが、バレーやバスケの世界では相対的に低い。

 

 学校の成績評価であれば、絶対評価は他者との比較抜きでの評価。だから全く同じ点数でも生徒によって5がついたり3がついたりする。極端な話、全員が5ということもあり得る。

 一方、相対評価は他者との関係性で決まる。学年の中で上位であれば5とか4がつく。集団内には必ず5から1までの生徒がいる。ただしそれは学年集団の中での相対評価なので、全体のレベルが変われば評価は変わる。デキのいい学年だと90点でも3しかつかないが、デキの悪い学年だと60点でも5がつくことがある。

 

 競争というのは競い合う他者がいて初めて可能になります。競争は純粋に相対評価の世界。

 競争に勝つには、自分が相対的に優れていることが必要です。相対的優位だから、たとえ自分が優れていなくても、競争相手が低レベルなら勝てる。競争に勝つことだけが重要であるなら、自らの力を磨くよりも、ライバルの足を引っ張る方がずっと効果的で効率的でビジネスマインドにかなった賢い戦略です。集団全体のレベルが下がれば下がるほど、競争に勝つのは容易になります。

 競争で集団全体をレベルアップするためには、他者の足を引っ張らずに、各自が絶対的な力量をアップしようとフェアに励むようにすることが絶対条件です。

 

 ・・・というのが、ssh376の骨子。

 

 

 さて、今回は、自分のことを評価するときくらいは、相対評価から自由になりませんか?というお話です。


 

 以前、出身高校が人生最大のプライドというジイさんのお話を書いたことがあります。(ssh273 自分は天才ではないと判ったときがスタート)

 確かにジイさんってものは自慢話が好きですが、彼の話は辟易でした。

 学歴を誇るには、その学校に進むことが他の学校に比べてどれほど難関であるかを示す必要があります。

 つまり、相対評価。

 このジイさんは、自己評価を相対評価でしか判断できないのです。

 

 同じようなジイさんの自慢話でも、仕事の自慢話は私はあまりキライじゃないんです。

 特に町工場のオヤジさんの仕事自慢は聞いてて楽しい。

 そういう話は、けっこう絶対評価っぽいです。

 大企業や高収入のマネーゲーマーとは比べるべくもないけど、オレにはこういう誇りがあるんだ、という感じですから。

 

 

 ずいぶん昔にラジオで聞いた話ですけど、興信所や探偵事務所に「自分の調査」を依頼する人がけっこういたらしいんです。

 何で自分で自分の調査を依頼するのかというと、自分が他人からどう評価されているのかを知りたいというんです。

 無料ならともかく、わざわざ高いゼニ出してそんなもの調べてどーすんでしょうかねえ。

 どうしても欲しいんでしょうね、自分の相対評価が。 

 

 確かに、今の日本でフツーに学校に通ってシューカツして仕事に就くという(今となっては幸せな)人生を送ってきた人には、他人と比べて自分はどうなのか、というのが、死活的に重大なのかもしれません。

 そういう価値観の中で、他人に負けまいとしてきた人の頑張りを、私は否定しません。それそのものは立派なことです。

 でもね。

 そういうプライドは、本来あまり大したもんじゃないということは、認識しておいた方がいいですよ。

 相対評価、すなわちいちいち他人と比べないと自分の誇りが持てないというのは、ずいぶんと貧乏臭い話です。

 

 

 貧乏臭いだけならまだしも、他人と比べることばかりしていると、不幸になります。 

 他人と比べて自分はどうなのかということばかりが気になると、学歴やら出世競争やら収入の多寡やら業績の良し悪しやら他人の容姿やら自分の子どもの成績やらいったことがすごく気になるようになります。

 すると、やたらと物欲しげになります。他人の幸福が妬ましくなったりする。気分的に全然幸せじゃない。他人から見れば十分に幸せそうな境遇なのに。

 あなたの周りにも、そういう人、いませんか?

 相対評価で自己評価し続けると、気持ちが貧乏になっちゃうんです。

 

 

 自分を絶対評価するというのは、うんとあっさり言えば、他人と比べないということです。

 今日の自分はなかなかよく頑張ったよなとか、自分の人生これでなかなか悪くないじゃんとか、昔よりも分別がついてきたなとか、そんな感じの評価。比較対象は自分だけ。

 甘っちょろいぜ、というご指摘はごもっとも。

 でもね。こういう「オレorアタシって、けっこういいじゃん」という部分がないと、人間は簡単に絶望しちゃいます。

 

 自己評価を相対評価だけでやり続けて、他人に負けまいとものすごく頑張った挙げ句に、ちょっとした挫折でポキンと折れてしまう人が世の中にはいっぱいいます。

 それじゃマズいんですよ。そんなに頑張ってポキンと折れて自殺したり自暴自棄になるなんて、あまりにもったいない人生です。

 

 「オレorアタシって、けっこういいじゃん」というのは、真面目に言うと自己肯定の感覚です。英語でI am OK.なんて言い方もします。発達心理学の基礎的な知識です。

 自己肯定ってのは、他人と比べてどうのこうのというものじゃありません。自分が存在していることそのものがOKだという感覚です。

 自己評価を相対評価でばかりしていると、この自己肯定感が脆弱になっちゃうんですよ。何せ自分の価値が他人次第なのです。

 

 

 自己評価くらい、他人との比較=相対評価じゃなくて、他人との比較から自由な絶対評価にしませんか?

 他人との競争は、その後ですよ。


 

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