ssh588 共依存〜小論キーワード(18) [小論キーワード]
<2013>
今回の小論キーワードは「共依存」。
手元の辞書には載っていません。けど、共依存という言葉はけっこうよく出てきます。特に人文科学と教育学では必須です。
あっさり言ってしまうと、共依存というのはお互いに依存し合っている好ましくない関係のことです。
ここでのポイントは「好ましくない」という部分。
共依存は、好ましい意味では使われません。ここが「共存共栄」とか「共生」とかいう言葉との一番の違い。
共依存という言葉は、基本的に批判の言葉です。
共依存という表現が最もよく使われるのは、親子関係です。
ある程度の年齢になった子どもが、独り立ちせずに親元にいる時、共依存関係に陥っていることがあります。
子どもは親の庇護に依存している。一方の親は、子どもの世話をあれこれ焼きつつ、実は子どもが独り立ちすることを本心では望んでおらず、子どもを庇護することに自分の存在意義を見いだしている(親自身はそれに無自覚であることが多い)。こういうのが共依存の例です。
共依存というのは、お互いにとってプラスにならない関係です。
親子関係というのは、親は子の成長成熟を願い、子は成長成熟して独り立ちしていく方向に向かうものです。
ところが共依存関係になると、親は子が離れることを望まず、子は親の庇護にいつまでも安穏としてしまう。
そういう関係がずーっと続いて、双方ともハッピーであれば、それも人生と言えないこともないのですけど、共依存関係は残念ながらそういうハッピーな展開をしてくれません。
共依存は、お互いにストレスを与えます。最悪の場合、刃傷沙汰に発展します。
共依存関係がストレスフルになるのは、お互いに依存しているのに、その依存があまり気持ちのいいものではないからです。
もしお互いがある程度の自立をしていて、その上でお互いを頼るというのであれば、ストレスはありません。お互いは自尊感情もある強い存在です。
ところが共依存の場合、自立の部分がなく、お互いがすっかり依存してしまっている。お互いがか弱い存在であって、自尊感情も弱い。ちょっとしたことで関係はこじれます。
共依存は、親子だけの特権ではありません。
男女関係でも、ダメ男とダメ女の関係なんてのは共依存になっている場合があります。
交友関係でも、ギャンブル仲間とか風俗通い仲間なんてのは共依存関係です。
人間とペットの場合でも、甘やかす飼い主とブクブクのメタボ犬の関係なんてのは共依存でしょう。
概して共依存関係の場合、お互いを高め合うようなことが起きません。むしろお互いを「低め合う」方向に行きがちです。
共依存関係の当事者は、共に堕落する方向を選択しがちです。
自立しようとしない親子とか、浪費を繰り返すカップルとか、ギャンブル狂いの仲間とか。
ただ、人間ってのは、堕落に憧れる生き物でもあります。
だから文学の世界では、共に堕落していく共依存関係がよく描かれます。文学の中の堕落は、なかなか甘美で魅力的ではあるのですよ。
近松門左衛門の心中物なんてのも、純愛ストーリーと考えれば悲恋話ですけど、意地悪く解釈すればある種の共依存関係からくる堕落ストーリーだとも言えないこともないでしょう。
ま、そうは言っても、現実世界では人生は一度きり、堕落ばかり楽しんでいるわけにもいきません。
ところで。
ネットの世界にも、共依存はあります。
特定の相手や特定の意見に対して、執拗にイチャモンをつけてきたり、コメントを書き込んだりブログやツイッターをアップしまくる人が、よくいますよね。これ、反論をしているつもりで、実は相手に依存しています。反論することに自分の存在意義を見いだしているんです。
で、そういう相手にこれまた執拗に応戦する人がいます。そういう人も、やっぱり相手に依存している。お互いがお互いを必要としていて、しかもお互いを「低め合う」関係。これ、ネットの共依存です。
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教育関係者の共依存関係ってのも、相当に気持ち悪いお話ではありますが。