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ssh596 グアム無差別殺傷事件で死刑待望論が湧かないワケ [マスコミュニケーション論]

<2013>

 

 212日にグアムで起きた無差別殺傷事件。この事件のニュースを知った時、200868日の秋葉原での無差別殺傷事件を連想した人は多かったと思います。容疑者が若い男性であること、無差別に多数を殺そうとしたこと、クルマで突っ込んで刃物を振り回すという方法、模倣犯かと思うほどそっくりです。

 

 LHR21「ウソつけ!」とssh193ssh的秋葉原通り魔事件考」その秋葉原の件に関する記事です。

 LHR21では「誰でも良かった」という言い草へのいらだちをかなり感情的に書いた、かなり大人げない記事です。一方のssh193は、この事件は25歳の若者が17人を殺傷した事件であり、それ以上でもそれ以下でもないと、妙に冷静な記事を書いています。

 

 ssh193は、自分がLHR21のような感情的な記事を書いてしまったことへの後悔と、当時「吊るせ!殺せ!」的に容疑者に極刑を求める風潮が早くから強かったことへの違和感が原因でしょう。

 

 

 さて、今回の記事は死刑制度の是非とは無関係です。

 08年の秋葉原の事件で、私は容疑者への死刑待望論があまりに早く大きく湧くことに違和感を感じていました。これは彼が死刑に値するかどうかというのとは別の問題で、とにかく悪い意味で「盛り上がり」過ぎていると思ったのです。

 その時の記憶をたぐって、今回の事件と比べると、ほぼ正反対の違和感があります。

 今回の事件での国内の反応があまりにドライで「盛り上がり」に欠けるように思えるのです。

 少なくとも、新聞もTVも、続報がひどくあっさりています。

 

 私は新聞もTVもごくおおざっぱにしかチェックしない人間です。それゆえ多分、新聞やTVがもっとも力を入れて長そうとしているネタばかりが印象に残っているはずです。(日頃TVをバカにしてばかりいる私ですが、本当にTVをよく見ている人は、愚にもつかない番組だけでなく、見所のある番組もちゃんと見ているので、実はTVに対するリテラシーが高いのです。)

 

 

 なぜ、今回の事件に対して、08年の秋葉原の時のような世論が湧かないのか?

 私なりにあれこれ考えてみました。


 

1. グアムに死刑制度がないことが早いうちに報道されてしまった。

 これは少なからず影響があったと思います。死刑制度がない以上、死刑にしろと言っても実現の可能性はほぼありません。言ってもしょうがないならやめようか、というわけじゃないでしょうが、出鼻をくじかれたという感覚はあるかもしれません。

 死刑制度への強い支持を主張するのなら、「グアムの制度がおかしいのだ、制度を変更せよ」と強く求めるという方法があるのですけど、あまりそういう話は出てきません。もしかしたら、そう主張することが「世界中に死刑制度を広めよう」という意見と地続きだということを悟っているのかもしれません。

 

 

2. 外国の出来事なので腰が引けている

 これも十分考えられます。よく知っている土地で、自分と同じ人種の人間が起こした事件であれば、やはり感情的になりやすい。私だって4年前はそうでした。しかし今回は、外つ国で外国人が起こした事件です。顔の表情一つ取っても、日本人なら「あんなふてぶてしい表情しやがって」とかすぐに感じられるところが、イマイチよくわからないということはあるんじゃないでしょうか。

 

 

 とはいえ、以上の2つはこじつけみたいなもんです。私の考える最も大きな理由は、これ。

 

3. 警察関係者からのリーク情報が手に入らず、マスメディアがいつものような続報を流せない

 事件報道ってのは、実はとても簡単なんです。現場に行ってカメラ回してテキトーに何かしゃべってれば、一応ニュースになる。そして、日頃から仲良くしている警察の方々にひっつき回って、捜査や取り調べの情報を聞き出す。警察もメディアにはいろいろとリークしてくれますから、そのリーク情報を続報として流せばいい。こうすれば毎日続報が流せます。もちろん、リークされてくるのは容疑者にとって都合の悪いことが多い(警察は逮捕した時点で容疑者=犯人と睨んでますから、当然それを揺るがすような情報は流しません)

 日本で何か事件が起きると、「◯◯容疑者は××と言っていることが関係者への取材で明らかになりました。」てな続報が毎日流されます。これ聞いてると、容疑者は間違いなく犯人で、それも相当のワルじゃのうと感じるようになります。私もそうです。

 しかししかし。今回は日本じゃありません。

 日本人がこれほど理不尽に殺傷された事件です。メディアが取材に手を抜いているとは思えません(ですよね?)

 私が思うに、新聞もTVも、事件報道=リークをいただく=それを続報する、という手法にすっかり慣れてしまって、今回の事件について、どうしていいかわからず当惑してるんじゃないでしょうか。

 

 恐らく、私のような日本のメディア視聴者も、そういう警察リーク情報が続報として日々流される状況にどっぷり浸ってしまった。だから続報がないと、それっきりになる。続報がない=大きなニュースではないと思うようになってしまっている。国内の凶行であれば、日々のリーク情報によって怒りがこみ上げ「こんなヤツ死刑だ!」と叫ぶところが、続報がないので怒りが上がってこない。

 

 

 社会問題に対する私達の感情は、想像以上にメディアにコントロールされているんじゃないでしょうか。

 メディアは報道しやすいネタを選んで報道している。例えばグアムの警察に突撃して決死の覚悟でリーク情報をもらって国内と同じように報道しよう、なんてことはしない。国内の、仲良しの警察関係者から話が聞ける容疑者と、今回のような容疑者では、報道は全然違う。別に「偏向」報道を意図しているわけでもなんでもなく、ただ「お仕事」としてやりやすいことをしているだけなんだろうけれど、それがこういう偏りを生み出すことがある。

 それゆえ、私達の怒りやら共感やらも、よく流れてくるネタに対してのみ沸き上がる。ニュースとして大きく扱われない事件に対しては、怒りも共感も別に持たない。地味なニュースをわざわざ調べてあれこれ意見を言うのは(私も含めて)一般的じゃない人のやること。

 

 

 誰かが悪意を持って「偏向」した情報を流して国民をどーのこーの、というわかりやすい陰謀論じゃなくて、特段の悪意もなく、メディアも私達も、偏った感情を持ってしまう。

 

 怖いですね。


 

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