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ssh628 伸び縮みするニッポン [リテラシー・思考力]

<2013>

 

 え~みなさん、日本国って、どこからどこまでだと思いますか?

 領土・領海・領空であれば、その知識は中学の学習範囲。北限は北方領土、南限は沖ノ鳥島、東限は南鳥島、西限は与那国島。領海は領土から12海里、領空は領土と領空の真上。領海より外でも、領土から200海里以内は排他的経済水域。

 

 いえ、そんなことを確認したいんじゃありません。ここで話題にしたいのは、気持ちの上での範囲です。

 自分自身のことを言えば、南鳥島とか沖ノ鳥島とかいうのは、普段全然「自分の国」の一部として意識してはいません。言っちゃ悪いけど沖ノ鳥島なんて排他的経済水域の問題がなければ別にあってもなくてもどうでもいい、ただの海中の岩です。

 でも、中学の教科書や地図帳を見ると、急にただの海中の岩が「自国の一部」として意識される。普段は全然気にもしていないくせに。

 

 

 今回のテーマは「伸び縮みするニッポン」。

 私が沖ノ鳥島を普段は自国という意識から外しているのに、何かのきっかけがあると急に自国の一部であるように意識するように、私たちの意識の中のニッポン国の範囲は、その場その場でずいぶんと広がったり狭まったりしているのではないか、というお話です。

 

 コスモロジー(cosmology)という言葉をご存知でしょうか。もともとの意味は宇宙論ですが、論壇では個人や民族の世界観の意味で使われます。中華思想は自国が世界の中心というコスモロジーです。コスモロジーはいたって主観的なものです。この記事は日本人のコスモロジーの考察みたいなものです。


 

 さて。

 以前も書いたのですけど、私は東京の人が千葉や埼玉や茨城や群馬など関東地方の近隣県を「イナカ」扱いするのが、昔から実に不思議でした。

 東京から何百キロも離れた土地で生まれ育った私からすると、千葉も埼玉も茨城も群馬も、東京近郊の開けた場所です。イナカというなら私の地元の方こそが正真正銘のイナカのはず。なのになぜ千葉や埼玉や(以下略)ばかりがイナカイナカとからかわれるのか?

 

 最近、それに対する仮説を見つけました。

 普段、東京人のコスモロジーでは、関東以遠はニッポンのうちに入っていない。

 

 より具体的に言うと、私の推測する東京人の日頃のコスモロジーとはこんなもの。

  • ニッポンの中央: 中央区・千代田区など、23区で特に政治経済的に重点の置かれている区。
  • ニッポンの都会: 上記を除く23区のうち、荒川区など下町を除いた部分。
  • ニッポン: 上記2つを除く23区およびその近郊。
  • ニッポンのイナカ: 上記の周辺に位置する関東地方の県。以上ここまでがニッポン。ニッポンは行動半径内。
  • 地方: 上記を除く日本国の道府県。旅行や出張などハレの時にだけ足を運び、異文化を経験する場所。言わば準ニッポン、または準外国。
  • 外国: 日本国の領土外の諸国。準ニッポンとの違いはパスポートやビザが必要なことと、日本語が通じない国があることだけ。

 ただし。「地方」の話題という刺激が加わると、突然「地方」がニッポンの一部になります。

 

 

 このたび2020年オリンピック開催地が東京に決定いたしました。東京のみなさん、ご愁傷様じゃなくておめでとうございます。トルコの内乱に助けられたとは言え。

 この1週間ほど、招致活動の大詰めということで連日かなりの情報が流されました。

 これが実に興味深かったです。

 東京五輪招致委員のコスモロジーが、その場その場でコロコロ変わるのですよ。彼らの中でニッポンがものすごく伸び縮みしていた。

 

 フクイチの放射能問題に対する質疑で、95日に招致委員が「福島は東京から250kmも離れているから大丈夫」という旨の発言をしました。

 これは私の東京人コスモロジー仮説と合致します。東京から250kmも離れた福島は「地方」であってニッポンではない。だから大丈夫と。発言した委員にとって、ニッポンは東京とその近郊のことだった。

 ところが招致が決定した途端、オールジャパンだの国を挙げての取り組みの成果だのと、北は北海道から南は基地の島沖縄までがオリンピックの当事者になっちゃった。ニッポンは急に日本国全土になりました。

 

 

 沖縄と言えば、今もって米軍によるトラブルが絶えません。ヘリは墜ちるし米兵は暴行やレイプを働くしで。

 でも、沖縄でのそういうトラブルに対して、本土の私たちは他人事として捉えています。自分たちと同じ国の仲間がつらい思いをしていると胸を痛めたりしない。それはつまり、私たちのコスモロジーでは、沖縄はニッポンじゃないから。

 しかし、日本の防衛力だの日米関係だのということを考えると、途端に沖縄はニッポンの一部になる。ニッポンの一部だから、ニッポンのために負担をせよと言ってしまう。

 

 

 領土問題でも、私たちのニッポン感は妙に伸び縮みします。

 竹島にしても尖閣諸島にしても、漁業や海運業で近辺をよく航海する人でなければ、ただの無人島に過ぎません。利害が絡まなければ、どーってことはない。

 ところが、利害が絡んで、しかも報道が頻繁にされると、途端にニッポンの一部として強く意識される。中学や韓国がひどく腹立たしい。

 その腹立たしい気分でいるとき、私たちのニッポンから福島も沖縄も省かれています。福島県の海岸寄りの平地は放射能で立ち入り不可となり、沖縄県の一番条件のいい平地が米軍基地で立ち入り不可とされている。実質上、どちらも我が国の領土を失っているのに等しいと言うのに。絶海の無人島よりもずっと役に立つ土地だと言うのに。

 

 

 日本人のアスリートや科学者が世界的に活躍すると、「同じ日本人として誇らしい」という気分になるものです。

 ところが、同じ日本人に対して、自己責任だの反日だのと排除しようとしたりもする。外国にいて「同じ日本人」と共感される人もいれば、同じ国内にいても「出て行け」と排斥される人もいる。ニッポンに負けず劣らず、ニッポン人の範囲もずいぶんと伸び縮みします。

 

 

 妙なもんですよね。

 私たちの世界観は、あきれるほどご都合主義です。その場その場の都合に合わせて伸びたり縮んだりするんです。


 

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