ssh631 仕事の定義(2) [志望理由・進路選択]
<2013>
県が主催するキャリア教育担当者研究会なるものに行ってきました。
行政が企画する研修会とか研究会はだいたいあまり面白くないんですけど、最近はけっこうそうでもなくって、この研究会も面白かったです。
特に良かったのが講演会。講師はとある中小工場の社長さん。
自分の会社が求人でとても人気が低いことに落胆して、それならと社員の家族対象に仕事を体験してもらう企画を立てた。これがなかなか評判がよく、地元の小学校でも引き合いがあって、それが発展して、今では文科省からも一目置かれるようなプログラムをやっている。
と書けばどこでもありそうな話ですけど、ここのプログラムは面白い。一応は「もの作り体験」なんだけど、冒頭でいきなり小学生たちにこう言うんです。
「これからみなさんに『仕事』をしてもらいます。」
「仕事というのは、他の人のために何かをすることです。みなさんにはこれから◯◯××でアクセサリーを作ってもらいます。そのアクセサリーは自分の一番大切な人へのプレゼントとして作って下さい。今日これが終わって、自分が作ったアクセサリーをその人にあげてください、それで喜んでもらえたら、あなたの『仕事』は完成です。」
ssh329「仕事の定義」で、私は仕事とは「他者にとって価値のある行為」と定義しました。
今回の講演会で、私は自分の定義が間違いなかったことを確信しました。
どんなに優れた製品を製造しようが、卓越したサービスの技能を持っていようが、それを求める人=お客さまがいなければ、それは仕事として成立しない。
ある行為が仕事になるかどうかは、他人が決めるのです。
これは決してキレイゴトじゃありません。
他者に対して価値のあることを提供する。この仕事の根本を忘れて利権やゼニにばかり走る会社は、時流に乗って利潤を上げたとしても、いずれ破綻します。水俣病を生んだチッソしかり、現在の東京電力しかり。
進路選択をする時、私たちオトナは子どもに対して「やりたいこと」ばかりを求めがちです。
しかし、自分のやりたいことを進路選択の主眼に置くのは、大きな危険をはらむことになります。
仕事か否かを決めるのは自分ではなく他者だからです。
仕事は「イヤじゃない」くらいであればよしとすべきです。どうしてもイヤなものはやめておいた方がいいけれど、そうでなければ勤めることは可能です。
この講演会でもう一つ面白かったのは、自分の「強み」という話。
「強み」を活かせる仕事こそが適職である。
ところが、自分の「強み」は、自分ではわからない。他人の目によってしかわからない。
だから、いろんな活動に関わって、いろんな人と交わって、それを学ばねばならないというんですね。
仕事か否かを決めるのが他者であるということからすれば、これは必然と言えます。
してみると、私たち教員は、生徒の「強み」をきちんと生徒自身に伝えていく責任がありそうです。
一部で評判の悪い「褒めて伸ばす」なんてお話じゃありません。
学習面に限らず、様々な活動を見て、強みを見つけたらちゃんと伝えてやる。
友達に勉強を教える生徒。
一人でぽつんとしている生徒がいると近づいて声をかける生徒。
掃除中に、机や棚を動かしてホコリを掃ける生徒。
提出物の回収を指示すると、番号順にきちんと揃えてから持ってくる生徒。
学校を休んだ生徒のために配布物を預かり、ノートを取ってあげる生徒。
クラスの雰囲気が険悪になりかけると、つまらんギャグをかまして何とか空気を和らげようとする生徒。
校内で居場所のない生徒を自分のクラブに引っ張り込んで仲間にしてしまう生徒。
いつも何かしら面白いアイディアを思いつく生徒。
こういう「強み」がある生徒には、それをどこかで本人に伝えておくべきなのです。
ただ、上記のような強みは、授業ばっかりやっているとあまり発見できません。生徒が強みを見せてくれるのは、行事などの特別活動や清掃など、授業時間以外の部分です。
やっぱり、学校は授業だけじゃダメなんですよ。