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ssh632 やられたら、やられっぱなし [リテラシー・思考力]

<2013>

 

世の中には、やられたらやられっぱなしの人たちがいる

 

 生来ヘソ曲がりのアマノジャクであるshiraは、ブームとか流行とかいったものには自然と背中を向けたがるのです。企業やメディアの利益に沿うようなブームであればなおさら。sshがやたらとAKBに辛辣なのもそのせいでしょう。

 

 『半沢直樹』ってTVドラマ、えらいヒットだったらしいですね。ただの1度も見ずに放送が終わりましたけど

 カネの成る木にゃ便乗商人が毛虫かアブラムシのようにうようよたかるのはいつものこと。(喩えが下品ですみませんね。実は先日庭木の毛虫&アブラムシ退治をしたばかりでして。)

 例の「やられたらやり返せ」だの「倍返し」だのもあちこちで便乗利用されてます。今年の流行語大賞選考委員は葛藤なく選考できてさぞやラクなことでしょう。

 

 その「やられたらやり返せ」で思い出したのが、2001年のアメリカ同時多発テロに端を発するイラク戦争。ブッシュ政権下のアメリカの反応は、まさに「やられたらやり返せ」でした。我が国でも中央紙5紙すべてが開戦やむなしと主張しました。今も昔もメディアが一斉に同じ方向に向くときは危険です。

 

 この空気に異議を唱える人もたくさんいました。

 その一人が、世界には「やられたらやられっぱなしの人たちがいる」と述べた上野千鶴子です。どんな非道な仕打ちを受けても、反撃のカケラすら許されず、その力もなく、振り上げた拳をただ静かに降ろすしかない人々がこの世界には山ほどいるのだと彼女は主張しました。


 


 やられたらやり返せるのは、力のある者だけです。

 アメリカが対テロ報復に出られたのは、世界最強の軍事力があってのことです。逆はまず考えられない。基本的に小国は「やられたらやられっぱなし」です。(ゲリラ戦などで抵抗することは可能ですが、アメリカ本土に「やり返す」ことは不可能。)

 

 そこまで大きなお話でなくても、世の中は「やられたらやられっぱなし」の人々であふれています。

 虐待を受けている幼児は、親にやり返す力などありません。

 ひどいいじめやパワハラや不当労働行為に苦しめられている生徒や会社員は、やり返す術をほとんど断たれており、逃げる以外に命を守る方法がなくなっています。

 貧困に苦しむ途上国の人々には、やり返す力もないし、そもそも南北問題は構造的なものだからやり返すにしても相手が多過ぎる。

 沖縄の人々がどれほど怒りの拳を上げても、米軍どころか本土の人間は冷淡です。

 福島の人々は今も放射能にやられっぱなしです。

 

 

 やられたらやり返せるのは、一部の人間だけです。

 現実世界は、理不尽な仕打ちを受けて、怒りに震えて握りしめた拳を振り上げてなお、爪に血をにじませたその手をただ黙って降ろすしかない人々であふれているのです。

 しかも、彼ら彼女らに「やられっぱなし」を強いているのは、私たち自身でもある(かも知れない)

 

 

 やられたらやられっぱなしの人たちは、どうすればいいのか?

 やり返すことができない以上、他の方法を考えるしかありません。

 

 例えば、力をつける。途上国の貧困問題は、教育状況を改善することで上向きになっていきます。時間はかかるけれど、国そのものの力をつけるという点では、安易にゼニをもらったり原発を造ってもらったりするよりずっといい。

 例えば、仲間を作る。国家であれば、外交政策で友好関係を持つ国を増やす。労働者であれば組合を結成する。

 例えば、勉強する。雨宮処凛は社会に対するいらだちと無力感を克服するために、政治経済法律を猛勉強しました。

 例えば、小さなことに挑戦する。身の回りの人たちに悩みを話してみる。部署の一部の人間だけでもいい関係を作ってみる。

 

 ただ黙って終わるのでは悔し過ぎる。せめて、未来につながる「何か」をしないと。

 「やり返す」のが不可能でも、せめて引っ掻き傷の一つくらいはつけてやりたいじゃないですか。

 

 

 ところで「倍返し」の方ですが、これは今は亡き大阪近鉄バファローズが2001年に優勝した時のベンチの合い言葉でした。

 バファローズは「いてまえ打線」の強力攻撃力を武器に、ハデな逆転勝ちを連発しました。1点取られたら2点取って返す。4点取られたら8点返して叩きのめす。リーグ優勝を決めた試合なんか代打逆転サヨナラ満塁ホームランでしたもんね。

 

 

 あ、「やられたらやり返せ」も「倍返し」も、2001年が発祥なのか。


 

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