LHR80 熟年biker、気分だけは快走中 [ご挨拶&エッセイ]
ー2013年12月30日訂正&追記ありー
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12月も下旬です。センター試験まで1ヶ月を切りました。
私の担当する生徒たちも、追い込みに入っています。順調な者もあればそうでない者もいますが、とにかく前を向いて頑張るようにするのがこちらの仕事。順調な者は油断しないように、スランプの者はじっくり話を聞いて少しでも前進出来るようにしていきます。
当地は亜寒帯ゆえ、12月の朝夕は氷点下に冷え込みます。今年はわりとマイルドですが、それでも-5℃くらいまでは冷えます。
にも拘らず、今年の私は相変わらず雨や雪が降らない限り自転車通勤をしております。我ながらよくやりますな。
いえね、寒くなったらとっととクルマに切り替えるつもりでいたんですよ。去年はそうでした。
ところが今年は、意外につらくないんです。
11月に入って、さすがに素手では寒くなってきて、ホームセンターで安物の手袋を買いました。これが案外と者が良くて、今でも十分に働いています。
もっと意外だったのが、大学2年の時に買って、長らくタンスの肥やしになっていたダウンジャケット。こいつのおかげで、寒空の自転車漕ぎも何とかなってます。
私がは大学時代を仙台で過ごしたのですけど、この街はかなり坂の多いところです。大学のキャンパスも丘の上というか山の上というか、自転車ではちょっとムリな立地です。今でこそ仙台には地下鉄もありますが、当時はありませんでした。公共交通はバスだけが頼りです。
そういう土地柄ゆえ、多くの学生は原付バイクで通学していました。私もその一人。
冬のバイクは本当に寒いです。まだ自転車の方が運動しているだけマシ。仙台は亜寒帯じゃないけど、それでも冬は氷点下になります。高性能の防寒着を手に入れることは死活問題です。
当時(1980年ころ)、ダウンジャケットがはやり始めていました。先輩たちも、あったかそうなダウンジャケットを着てバイクに乗っていました。
しかし、これが高いの何のって。今でこそ5000円くらいで買えますけど、当時は2~3万円したんです。月々の仕送り生活費が8万円ほどの貧乏学生だった私には、大変な金額です。私はあり合わせの服を重ね着してガマンしていました。
帰省途中に東京に立ち寄ると、レイヤードへヤーにトレーナーシャツ、チェックの巻きスカートにハイソックスとスニーカーという出で立ちの若い女の子が、モノの良さそうなダウンジャケットを羽織って(つまり前を閉めずに)闊歩していました。しかし当時の私は、彼女らのキュートさよりも、「東京で歩くのにダウンなんか要らねえじゃん」とヒガミ根性100%のすさんだ眼差しをしていたのでした。
そうは言っても、寒さには勝てません。いよいよガマンが限界に達し、私は新聞のチラシを頼りに、比較的安価に販売している店にバイクで出向き、ようやく本物のダウンジャケットを購入しました。価格は忘れもしない14,000円。これでも当時はかなりリーズナブルだったのです。
その30年モノの古くてシミも汚れもあるダウンを、ひさびさに引っ張り出してみたら、案外と防寒性があったんです。
20年モノの自転車に30年モノのダウンを着て乗る51年モノのオッサンというのも、なかなかしみったれててよろしいじゃないですか。
とは言え、当地は1~2月には-10℃以下に下がることもあります。年寄りの冷や水もあと少しでしょうね。
ー訂正と追記ー
記事後半に「仕送り8万円」と書いてしまったのですけど、私はそんなに多額の仕送りをもらってはおりませんでした。仕送りは6万円ほどで、そこに奨学金を足した8万円少々が私の生活費だったはずです。今は知りませんけど、当時の仙台は割と安いアパートがたくさんあったので、この額でもまあまあ生活できたんです。