ssh665 子どもは社会に迷惑をかけながら成長する [教育問題]
<2014>
大人にとって、子どもは迷惑な存在なのですよ。
子どもは、大人の都合を理解しません。
子どもは、与えられるばかりで、与えることをしません。
子どもは、手がかかります。
子どもは、遊んだり勉強したりするだけで、労働をしません(途上国を除く)。
子どもは、カネがかかるけれど、カネを稼ぎません。
小さな子どもともなると、親をノイローゼに追いつめることすらあります。
赤ちゃんなんて悪魔みたいなもんです。睡眠時間すら確保させれくれません。
損得勘定で考えれば、子どもは大人にとって全く損な存在です。不良債権みたいなものです。
そう考えると、少子化は実にありがたいことです。与えられるばかりで与えることをしない存在など、少なければ少ないほどいいはずです。
でも、子どもが減ることを言祝ぐ人はいませんね。
最も損得勘定に長けた政財界の方々に限って、少子化は国の将来を危うくする大問題だなんて言いますし。その割には実際に子どもを育てている人たちを応援する気が弱いようですけど。
それはともかく、子どもに対する大人の眼差しが、なんだかだんだん厳しくなっているような気がします。
保育園一つ作るのにも周辺住民の反対があってなかなか進まない。まるでゴミ処理場みたいな扱いです。
そりゃ誰だって、迷惑はゴメンですよ。うるさいのはイヤだし、危ないのもイヤです。
でもねえ。
子どもが大人に迷惑をかけるのは、当たり前じゃないっすか?
動物界では、高等になるほど、親は子どもの面倒を長く見る傾向にあります。
昆虫や魚類だと、親は子どもが孵化する前に死にます。大量に産み落とされた卵から生き延びた少数が次の親となります。
鳥類も卵生ですが、生む卵の数は少なく、親鳥は子どもがある程度自立するまで育てます。
哺乳類となると、生む子どもはさらに少なくなり、親は子どもが独り立ちするまで育成をします。
人間を含む霊長類では、親世代はさらに長生きします。生殖能力を失ったメスの個体が生き延びるのは霊長類だけらしく、これが霊長類の手のかかる子育てを利しているという仮説もあります。いわゆる「おばあちゃん仮説」です。(蛇足ですが、この仮説が全く理解できず、閉経後の女性が長生きしてババアになるのが文明の弊害だと世迷い言を言ったのが石原慎太郎です(ssh148)。まったく低学力ですな。)
霊長類の子どもを育てるのは、手がかかるのですよ。
生物界の話を引っ張り出さないまでも、子どもってのは、どうしてもいろいろと周囲に迷惑をかけます。
まあでも、そりゃしょーがないですよ。子どもなんですから。
子どもは未熟で経験不足でわがままなくせに、好奇心旺盛で、しかもやたらと元気です。
未熟だから、判断力がありません。好奇心旺盛で元気だから、じっとしていません。危ないことを平気でやります。
でも、それが重要なんですよね。
危ないことをやって、ケガしたりケガさせたりして、少しずついろんなことを学んでいくんです。
子どもは、周囲の迷惑になるような行為をしなければならないんです。
迷惑行為をやらなければ、いつまでたっても何も学べません。
最近の若者は覇気が無いとか、冒険しないとか、小さくまとまりたがるとか、コミュニケーション力がないとか、オッサンたちがよく言ってますよね。
けど、覇気があって冒険心旺盛で野心的で外向的な人間を作るような環境を、みなさん意識して作ってきたんでしょうかね。
子どもの小さなトラブルに目くじらをたてて、親の責任を挙げつらって、行儀よく真面目(@尾崎豊)にさせようとしてきたんじゃないっすか?
若者が変わったんじゃないですよ。
子どもや若者のやんちゃを受け止めるだけの包容力を、上の世代が無くしたんです。自分たちは青少年時代にさんざん社会に迷惑をかけてきたというのに(ssh74)。
子どもにあれこれ言うのも必要でしょうけど、子どもが変わるのを待つのは大人の姿勢じゃありません。まず、大人がやれることをやらなきゃ。