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ssh691 死刑と原発と防衛問題〜なぜ話は噛み合ないか [三題噺]

<2014>

 

 久々の三題噺はちょいと社会派っぽいタイトルです。

 

 かねてより宣言しておりますように、sshは我が国の死刑制度と原発に反対の立場を明確にしております。

 その論拠はssh478に記された通り。

 日本の司法制度と司法に関わる組織(警察・検察・裁判所)には死刑という極刑を安全に運営する力がない。

 日本の原子力運営に関わる組織(政府・行政官庁・電力会社・学会・その他原子力関係の諸組織)には、原子力という極めて強力でリスクの大きなエネルギーを扱うだけの責任能力がない。

 

 仮に死刑制度が真に必要な制度であったとしても、原子力エネルギーが真に必要なエネルギーであったとしても、今の日本にはそれを任せられる組織も制度も人材もない。

 それがssh的死刑原発反対論です。

 

 

 死刑制度は、日本では(ことに日本のネットでは)いつでもホットな話題になります。賛成論者と反対論者が熱気を持ってバトルに参戦してくる。

 でも、話はあまり噛み合いません。

 熱気があり過ぎてただの罵り合い、トークバトル(書き込みバトル)になっちまうというのが一因。

 しかし、噛み合ない主因は別の部分。

 

 死刑制度支持者が主張するのは、制度そのものの意義と、死刑制度の犯罪抑止力が中心。

 死刑制度反対者が主張するのは主に、世界の死刑廃止の流れと、冤罪の危険。

 

 噛み合ないのは、それぞれの後半部分。

 死刑支持者は、一般大衆の規範意識を疑っている。だから死刑という制度でブレーキをかけるべきだと。

 死刑反対者は、司法に関わる人間の能力を疑っている。冤罪は絶対に起こるから死刑は危険だと。

 「人間は過ちを犯す」ということを認めている点では同じですが、その視線の向かう先が違う。

 

 

 同じことは、原発問題にも言えます。


 

 sshにもときどきご訪問してくださるHiraさんは、こと脱原発運動についてはかなり冷ややかな見方をしています。

 Hiraさん自身は原発推進派なわけではなく、今あるものを一気になくすのはムリだし効率的ではないから段階的に依存度を減らすべしという、しごく合理的なご意見です。

 で、Hiraさんの厳しい視線は、脱原発運動をする側の人々に向けられています。政党の党勢拡大に利用しているとか、一般市民とは呼べない活動家(ネット界では「プロ市民」と揶揄する)が支配しているなど。

 

 私の意見はすでにssh的死刑原発反対論で述べた通りで、この点ではHiraさんと私の意見は異なっています。

 Hiraさんは、脱原発運動に関わる人々に不信感を持っている。

 私は、原子力ムラに極めて強い不信感(というより拒絶感)を持っている。

 この視線のズレの構造は、死刑論とそっくりです。

 

 

 沖縄県知事選でまたもクローズアップされた日本の防衛問題についても、同じようなズレが発生しています。

 防衛問題に前のめりで、集団的自衛権行使にも賛成の立場という人たちは、中国など近隣国に極めて強い不信感というか拒絶感を持っている。

 防衛問題に慎重で、集団的自衛権行使にも反対の立場という人たちは、日本政府とアメリカ政府に対して不信感を持っている。

 (sshは集団的自衛権不要論を取っています。詳しくはssh670)

 

 

 本来なら、お互いが不信感を持つ対象が異なるのだから、そこいらへんをすり合せるところから議論をやるべきでしょう。

 でも、こういう議論はすぐにヒートアップして、議論じゃなくなってただのバトルになっちゃう。で、かなり滑稽なことになる。

 

 死刑廃止論者が凶悪犯罪抑止ということを執拗に指摘されると、性善説なんて話をし始めちゃったりする。自分だって性悪説に立って司法や警察への不信を持っているのに。

 防衛問題であれば、中国なんか絶対信用できないとヒートアップした人たちは、いつの間にか日本政府とアメリカ政府を無条件に信用しているような物言いになってしまう。

 

 

 私の立場はいたって明確です。

 人間は、間違える動物です。ミスもする。魔が差すこともある。カッとなることもある。分別をなくすときもある。堕落することもある。とんでもない悪事も働くことがある。

 人間は信じられないと言えば言い過ぎだけど、人間の行動はそれほどアテにはならない。

 偉い人も偉くない人も、昔の人も今の人も、大人も子どもも、男も女もみんな、すばらしいこともあればダメなこともある。

 死刑制度にしても原発にしても防衛問題にしても、それを前提に考えるのがいい。

 その上で、これだけは絶対にマズいという部分にはブレーキをかけておくのがいい。

 

 死刑制度であれば、もっともマズいのは冤罪です。

 法律の世界には推定無罪の原則があります。有罪が立証されない限りは無罪と扱う。仮にそれで真犯人を無罪にしてしまったとしても、冤罪よりはいい。冤罪を防ぐためには真犯人を逃すこともやむを得ない。これが司法の大原則です。

 だからsshは、司法に関わる人間に対してより厳しい視線を向けるのです。

 

 原発問題であれば、もっともマズいのは事故や廃棄物の問題です。

 原発のリスクは、他の技術とは比較になりません。大事故になれば市町村か都道府県レベルの国土がまるごと失われる。放射性廃棄物も何万年にもわたって放射能を出し続ける。リスクのない技術はないという人がいますが、こんなデカいリスクを伴う技術は他にありません。

 だからsshは、こんな巨大なリスクを取り扱う側の人間に厳しい視線を向けるのです。

 

 防衛問題であれば、もっともマズいのは戦争になることです。

 sshは武力による抑止力を否定しません。好きじゃないけど、現実に武力でブレーキのかけられている衝突はあります。

 しかし武力は、なるべく使わずに済ませるべきものです。「抑止力」として活用して、緊張緩和や対話や国際協調に持ち込むのがベストの使い道。仮にどうしても使わなければならない局面になっても、なるべく限定的に使うべきものです。

 今、我が国で防衛だの集団的自衛権だのと力説する皆様は、どーもドンパチやりたがっているように見えるのですよ。ガキっぽくて。石原慎太郎なんかとうとう「シナと戦争して勝つ」とか言いましたよね。もう気が狂っているとしか思えません。こんな輩に国防軍だの集団的自衛権だのを持たせたら、文字通りキチガイに刃物。ホントに戦争をおっぱじめかねません。

 だからsshは、政治権力を持つ側の人間に対して厳しい視線を向けるのです。


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