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ssh1132 追悼 ssh校長先生(2) ペットを最期まで面倒見るということ [校長室だより]

<2022>


 去る10月17日に逝去したssh校長先生について、もう少し記事を書かせていただきます。

 今回のテーマは、ペットを最期まで面倒見るのは予想とは異なる大変さがあったというお話です。


 私の母はイヌが好きでした。小6のとき、母が出先で野良イヌを保護しまして、そのまま我が家のペットになりました。もちろん雑種で、昭和40年代の常識で庭に鎖でつないで飼われました。エサも当時の常識で人間の残飯でした。味噌汁をぶっかけたご飯は健康には悪かったんでしょうけど、今どきの健康食しか知らないイヌが食べたら瞳孔が開くほど美味でしょう。

 数年後、伯父伯母一家が引っ越すことになり、それまで飼っていたイヌが飼えなくなりました。やむなく母が引き取り、我が家は2匹のイヌが裏と表の庭にいる状態になりました。

 その2匹は、雑な扱いを受けてた割には長生きで、死んだのは私が大学に行ってる間でした。母によると、どちらも最後はエサを受け付けなくなって衰弱して死んだということです。


 さて、ssh校長先生ですが、やはり最初に起きたのは食欲の減退でした。エサを用意しても無反応、鼻先に近づけてもプイってな感じでした。嫁サンや娘が(たまに私)が手を変え品を変え、なだめてすかして、ようやくちょっとずつ口にしました。食事が終わるのに下手すると1時間もかかる。これを毎日やってたわけですから、まあ介護みたいなもんです。



 
 認知にトラブルが起きてからは、排泄がうまくできなくなりました。今までなら絶対にしないような場所で排便してしまう。家の床はもともとフローリングですけど、滑りやすい床で校長先生が腰を痛めたため、ずいぶん前に安物のマットを敷き詰めてあります。このマットの上で粗相をしますんで、汚物を片付けてマットを交換して洗って干してというのが私の日課になりました。


 エサを自力で食べなくなってからは、流動食と水を注射器で口に入れる仕事が必要。これは嫁サンが毎日やりました。


 ssh1130でも書きましたけど、校長先生は腎臓の機能低下を起こしてて、人間なら人工透析で対応するレベルでした。しかしイヌには透析はできないので、頻繁に点滴をしてやることで対応するしかありません。点滴しても腎臓の昨日は回復しないのですけど(そもそも腎機能は人でもイヌでも回復しない)、点滴しなけりゃ状況は素早く悪化してしまいます。点滴は慣れればシロウトでもやれるらしいのですけど、まあ普通は動物病院に連れて行ってやってもらいます。これが週2回くらいだったものが、最後は毎日でした。1回行けば移動時間や準備なんかで1~2時間は食われます。

 食われるのは時間だけじゃありません。ゼニも食われます。点滴1回で5000円くらい。ペット保険には加入してませんので実費です。先生が亡くなる前月の医療費は10万円ほどかかってます。


 時間と労力とお金以外にも、終末期のペットと暮らすときに耐えねばならないものがあります。

 それは、悪臭。

 糞尿はもちろんですが、校長先生の場合、口からかなりの臭気を放つ茶色い唾液をあちこちにダラダラと垂れ流してました。たまらずリビング中にトイレシートを敷いたくらいです。

 病犬ですから、シャンプーもままなりません。身体そのものもずいぶんと臭くなってしまいました。

 仕事や出先から帰宅して玄関ドアを開けると、はっきり臭いました。我が家はあまり来客がないので良かったんですけど、もし来客があったら表情がはっきり曇ったと思います。

 幼少のころ、近所に長く病んでるじいちゃんやばあちゃんのいる家がありましたけど、私はそういう家に上がるのが本当に苦手でした。一番苦手だったのは臭いです。体臭や排泄物の臭い。校長先生の末期も、そんな感じの臭いが家に満ちていました。


 さらに言えば、家の中がギスギスしてくる。

 無理もありません。終末期の校長先生を日々ケアしてるんですから、体力も睡眠時間も奪われます。些細なことで口喧嘩が発生したりしました。


 老親の介護をずっとやってきた人が、臨終を迎えてほっとするという話はよく聞きます。それはそうでしょう。イヌですらけっこうな負担なんですから、人間の終末期のケアなんて大変な負担です。

 校長先生のケアを最前線でやってた嫁サンは偉いと思いますね。絶対に投げ出さなかったですから。逆に怒られたことはありましたけど。

 子ども達もけっこう頑張ったと思います。少なくとも最後まで校長先生を大切にしてくれた。学業や仕事なんかでは大したことのできない子どもたちですけど、優しい心は持ってくれてたようです。


 改めて校長先生の看取りを振り返ると、ペットとは言え、生き物の最期に付き合う、きれいに言えば寄り添うというのは、実にキツいものだなと思います。

 愛情だの責任感だの使命感だのはもちろん必要なんでしょうけど、そんな言葉を並べたって「寄り添う」ことはできません。


 ペットの最期に「寄り添う」の必要なのは、気力であり体力であり仕事の都合を調整することであり、手間や悪臭に耐える忍耐力であり、なにより動物病院に通い続けることのできる時間とゼニです。


 実はうちの嫁サン、校長先生の終末期に、10万円ちょっとの出費はかかるだろう覚悟して準備していたんだそうです。身内を褒めたってしょうがないけど、ホントに賢いです。彼女がこれを計算してなかったら、動物病院に行くたびに心が10度くらいずつ折れてたと思います。


 これからペットを飼おうという皆様におかれましては、終末期に備えてお金なり保険なりの備えをお勧めします。それが愛情の一つですんで。



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