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ssh488 テレビの見過ぎです(2) [マスコミュニケーション論]

<2011>

 

 ssh487の続き。今回は私なりに「TV的な価値観」を探ってみたいと思います。

 

1 TVは書き言葉より話し言葉を重視する

 これはラジオにも共通しています。新聞や書籍では書き言葉こそが最強のメッセンジャーですが、音声を伝達できるラジオやTVでは、耳から入る話し言葉の方がはるかに強力にアピールします。(なおネットの世界では、意外なことに書き言葉が復権しています。)

 

2 TVは言語よりも音声そのものを重視する

 これも音声を伝達できるメディアの必然です。話し言葉で語られる内容そのものよりも、口調や声そのものの方が強力なアピール力を持っています。誠実な語り手であっても口調がたどたどしかったり、ちょいちょい「噛む」ようだとTVやラジオでは興ざめとなります。言語抜きの純粋音声信号たる音楽や効果音はさらにそれ以上のパワーを持っています。

 

3 TVは音声よりも画像を重視する

 1と2はラジオにも共通する価値観ですが、3はTVならではのものです。タレントであれば語る内容よりも「しゃべくり」や声、さらにそれよりもルックスが重要。とにかくTV的に「絵になる」存在でなければTVでは売り物になりません。これはアナウンサーでも同じ。極端な話、音声抜きのTVには価値がありますが、画像抜きのTVはひどく価値が落ちます。これはssh487でも触れた通り。

 

4 TVは静止画像よりも動画を重視する

 これも当然と言えば当然です。TVの画像は動いてナンボです。そのため、TVは静的なものを軽視する傾向があります。風景・絵画・写真・もの静かな人間・たたずまいなどはTVではあまり絵になりません。どうしてもそういうものを映さねばならないときは、例えば遠景からズームアップしていくなど、わざと動きをつけて動画化しています。

 

5 TVは長い話を嫌う

 TVの中では長い話は嫌われます。たとえ番組の放映時間が2時間あったとしても、11つのコーナーは数分しかありません。しかもTVは非常に時間に厳格です。数秒でも遅れればコマーシャルや次の番組に差し障ります。コマーシャルが放映できなければスポンサーから契約違反で訴えられます。

 TVで何かを語るには、手短にスパッと要旨を伝える技能が求められます。


 

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ssh487 テレビの見過ぎです(1) [マスコミュニケーション論]

<2011>


 


 数年前、受験生向けの英語教材で面白い英文を読みました。出典は某有名大学の入試問題。


 内容は、政治家が人気を得るために必要な資質が、メディアの変化によって変わっているというお話。


 


 その文章の筆者によりますと、エイブラハム・リンカーンは演説そのものはあまり上手ではなかった。ついでに言うと痩せ形の彼はルックスもあまり勇ましくなかった。ヒゲを生やしたらもっと見栄えがよくなるんじゃないかという手紙を少女からもらってヒゲを伸ばすことにしたというのはちょっと有名なお話です。


 しかし彼は文章を書くことが非常に堪能で、それゆえ演説の原稿は非常にデキがいい。例のthe government of the people, for the people, by the people, shall not perish from the earth.なんてのは本当に名言ですから。


 当時の主要メディアは新聞でした。だから、彼の評判は声明や演説原稿などが活字で流された部分でなされた。こういう時代においては、文章力は最も重要なアピールポイントるという極めて有力だったのです。


 


 その後、マスメディアの主流はラジオに移ります。第2次大戦中はラジオこそがマスメディアでした。この時代に最も成功した政治家の一人が、時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルです。


 くだんの問題文によると、チャーチルは演説がメチャクチャにうまかった。彼の肉声がラジオを通じて大衆に流されることで、抜群の支持を得ることができた。あれほどのブオトコであったのに(と問題文に書いてあったのですよ)絶大な人気を得られたのは、ラジオ時代ゆえであると。


 


 で、今日であれば、利口な政治家はスタイリストやプロデューサーを雇ってTVでの人気獲得に務めるはずである、とその文章の筆者は述べていました。


 そして実際にそうなっています。




 今や政治家にとってヴィジュアルのプロデュースは大金をかけて取り組まねばならない要素です。


 我が国でも、ここ10年ほどで大人気を博した政治家は、どれもヴィジュアル面のPRに成功しています。御三家は小泉純一郎・石原慎太郎・橋下徹の三大ポピュリスト。確かに彼ら(TV映像)は、なかなかカッコいいです。少なくとも小沢一郎や麻生太郎よりは全然カッコいい。


 


 


 さて、今回のテーマは、TV的なる価値観への警戒。ちょっと刺激的に「TV脳」なんて言葉も使う予定です。これはもちろん「ゲーム脳」なるトンデモ学説への皮肉を込めてのこと。




 もし仮に、今の世の中にリンカーンとチャーチルと小泉純一郎が同じ言葉を話す国で同じように政治家として選挙戦を戦ったとしましょう。


 くだんの課題文の主張をそのまま受け入れれば、この戦いは小泉純一郎の圧勝に終わるはずです。


 演説はうまいがチビでブサイクでデブなチャーチルは小泉純一郎には勝てない。


 しゃべることがヘタクソなリンカーンは、もう論外。用意した原稿を読むという勝負でない以上、論戦になったらたぶんダメ。


 21世紀の政治では、第二次大戦を勝利に導きのちにノーベル文学賞まで受賞した名宰相も、南北戦争というアメリカ分断の大危機を収束した合衆国史上最高評価の大統領も、ライオンヘアーのポピュリストに勝つ見込みはないのです。


 


 でも、それって、いいことなんでしょうか?


 政治家の資質とか価値ってのは、TV的にウケがいいということで決すべきことなんでしょうか?


 


 

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ssh447 思想信条の自由は、スポンサーに配慮する限りこれを認める [マスコミュニケーション論]

<2011>

 

◆◆原発問題に関する発言を問題視され、決まっていたドラマを降板させられたことを自身のツイッターで告白した山本太郎に、心配の声が寄せられている。

 25日夜、山本は自身のツイッターに、「今日、マネージャーからmailがあった。『7月8月に予定されていたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました。』だって。マネージャーには申し訳ない事をした。僕をブッキングする為に追い続けた企画だったろうに。ごめんね」とツイート。山本は23日に、福島から来た子を持つ親たち100人を含む多くの人たちと共に文部科学省前に集結し、文科省が定めた学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安「放射線量年間20ミリシーベルト」の撤回を訴えたばかり。わずか2日後のことだった。

 山本はこれまでも脱原発のデモに参加したり、福島の子どもたちを疎開させるために立ち上げられたプロジェクト「オペレーションコドモタチ」を通して、通常の1ミリシーベルトの20倍となる基準値に異を唱え、「チェルノブイリでは、年間5ミリシーベルトで住民は強制退去。なのに福島の子どもたちは、文部科学省によると20ミリシーベルトでも大丈夫らしいです。殺人行為です。避難させれば、賠償などとんでもないお金がかかる。だから、国は見殺しにしようとしている。それが答えです」という7分以上にわたるメッセージを伝えていた。

 23日、われわれの取材に応えた山本は、「電力会社はメディアの最大のスポンサーですし、さまざまな事情はあります」と言っていたが、言葉どおりの現実が彼を待ち構えていた。たったひとりで立ち上がり、デモにも堂々と参加を続けてきた山本に、ネット上では、「やっぱり干されてしまった!」「ひどすぎる!」「これが現実かよ……」と、同情の声が次々に上がっている。心配するフォロワーたちに向け、山本は「抗議するからTV局、プロデューサー教えて、などなど励まし有難う! 外されたドラマでも、現場には迷惑掛けられないから言えない。一俳優の終わりの始まりなんて大した事じゃない。そんな事より皆さんの正義感溢れるエネルギー、20mSV撤回、子供達の疎開、脱原発へ! 皆で日本の崩壊食い止めよう!」と、今後も変わらず、声を上げ続けていく覚悟を伝えている。(5月26日 シネマトゥデイ)◆◆

 

 これを「当然じゃん」とか「かえって名が売れてよかったんじゃないの?」とか受け止められる人は、戦前の大日本帝国かナチスドイツか、はたまたスターリン時代のソ連にタイムスリップしてもきっと立派に生きていけることでしょう。いや、「立派に死んでいけるでしょう」かな。

 法律上の規定なんかなくたって、特高警察なんかいなくたって、思想弾圧は簡単にできるのですよ。

 例えばメディア人が「おしごと」に忠実であれば。

 

 こういう国に、アナタも私も生きています。どうしますか?


 

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ssh446 女子アナのヘルメット [マスコミュニケーション論]

<2011>

 

 某月某日、フジテレビ系の「めざましテレビ」を見ていたら、見目麗しい女子アナが宮城県の被災地からのレポートをやっていました。まあフジの女子アナのレポートですから、中身は大したことありません。台本に従うだけの、誰でもできるような内容。しかし、ここでは中身は問題にはしません。

 

 私が「ん?」と思ったのは、彼女、白いヘルメットをかぶってレポートをしていたんですよ。

 それだけなら「ああ、そんなもんか」てなもんなんですけど、

 私が「んんん?」と思ったのは、案内役の現地機関の職員(男性)が、ヘルメットも帽子も何もかぶってなかったこと。

 

 なんで?

 なんで現地の人が何もかぶっていないのに、女子アナはヘルメット姿なの?

 しかも彼女、途中で脱ぐかと思いきや、レポートの頭から終わりまで、ずっとヘルメットをかぶりっぱなしだったんです。なんで?

 

 考え得る可能性を列挙してみました。

 

1 報道機関の申合せ事項で、報道関係者はいかなる場合も(現地の人がどうであっても)ヘルメット着用というルールがある。

2 現地ではヘルメット着用が義務づけられており、現地機関の職員の方がルール違反をしていた。

3 フジテレビ社内規約に被災地ではヘルメット着用というルールがある。

4 ルールではないが、上司からヘルメット着用の指示があり、現場スタッフは現地の状況よりも上司の指示を守ることにした。

5 大した意味はないが、映像上の演出としてヘルメットを着用した(だから彼女以外のスタッフはヘルメットを着用していない)。

6 大事な女子アナの顔に万に一つでもキズをつけてはならないという配慮から彼女を厳重に守ることにした。

7 女子アナのヘルメット姿がたまらんという視聴者からの声があったのでその声に応えた。

8 スポンサーへの配慮。あのヘルメットはスポンサーからいただいた大切なもの。

9 いざヘルメット姿で出陣したものの現地では誰もヘルメットなどかぶっていなかったが、逆にムキになってかぶり通した。

10 いざヘルメット姿で(中略)ったが、脱ぎ忘れた。


 

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ssh443 命より利権? [マスコミュニケーション論]

<2011>

 

◆◆(4月17日の東京電力本店での記者会見に関して) 

あまりにお粗末な話なので、記事にすること自体憚られた。だが「出来レース」という他ない東京電力と記者クラブメディアの質疑応答の実態を記事という形で残しておかねばならないと思い筆をとった。

 不自然なのは指名される記者の3分の1が甲新聞社ということだ。大新聞、テレビ局、雑誌など数十社と10人を超すフリーランスの記者が出席するなかで、甲社が指名される確率は異常に高い。

 会見席に数多くの記者を送り込めば指名される確率は高くなるが、指名のされ方が不自然なのである。

 17日の記者会見で筆者が勝俣恒久会長にぶつけた質問は、鈴木広報部長により途中で打ち切られたのだが、後を継いだのは甲社の記者だった。「自分の質問に積み残しがあった」という理由からだ。

 その記者が「積み残し」と言って挙手すると鈴木広報部長は「はい、質問の積み残しですね」と呼応した。甲社と東電広報との間で打ち合わせが出来ているような印象だった。

 

 さらに不自然なのが民放への対応だ。乙テレビの記者が「帰れるまで何年かかるのか?」と尋ねた。この日の記者会見でこの質問はすでに出ているのだ。

 以前にも乙テレビ記者の質問に対して松本・立地本部長代理があまりにもスラスラ答えるので、筆者は「事前通告を受けているのか?」と尋ねたことがある。

 乙テレビの記者が質問すると松本本部長代理はすぐにメモに目を落とすのである。メモを読む目は左から右に規則正しく往復していた。松本本部長代理は否定するのだが。

 東京電力は事故の収束に向けた工程表を公表した。6~9か月で海や大気に撒き散らしている放射性物質を閉じ込めるとしている。

 作業はひとつひとつ段階を踏んでいく。その都度、外部の厳しいチェックが必要だ。東電「事故隠し」「データ改ざん」の名手だからである。 

 だが記者会見のありようを見る限りチェックは期待できない。天下りを受け入れてもらっていることもあって政府も東電をコントロールできない。

 案の上、東電が「工程表」の裏付け資料を政府に提出していなかったことが明らかになった。

 東電、政府、記者クラブメディアによるズブズブの構図が続く限り、将来もっと大きな大事故が起きると筆者は見ている。放射能汚染も止まらないだろう。(田中龍作ジャーナル2011.4.18.)◆◆

 

 もうね、何と言うべきか、何と言わないべきか。

 こんなヤツらに、命を大切にする教育をしろとか何とか言われてきたのかと思うと、やってられねーよという気分になりますわ。

 ここまで状況が深刻になっているというのに、数多くの人間の生命よりも自分たちの利権を守るためにこういう行為に出るのですな。

 こいつらみんな、人間のクズです。石原と同じ。どうりで仲がいいわけだ。

 被災地の方々が瓦礫を片付けねばならないように、被災地から遠く離れた私たちもクズを片付けねばならないでしょう。


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ssh441 がんばろう、記者  [マスコミュニケーション論]

<2011>

 

 がんばろう、日本。がんばろう、東北。

 がんばらなきゃ、どうしようもないですからね。がんばるしかない。

 だから、みんながんばってます。

 被災者は必死で生きようとがんばってます。

 自衛隊や警察関係者は現場で瓦礫から遺体を探そうとがんばってます。

 現地の公務員は不眠不休でがんばってます。

 日本中から公務員が現地に派遣されてがんばってます。

 あちこちの自治体が物資や義援金を送ってがんばってます。

 技師たちは原子炉を安定させようと放射能に怯えながらがんばってます。

 たくさんの人たちがボランティアとしてがんばってます。

 被災地からたくさんの人を受け入れてがんばっている人たちがいます。

 被災地から離れた人たちも、せめて節電しようとがんばっています。

 

 だから。

 メディアの記者さんたちも、是非がんばってください。

 何を?

 記者ががんばることは、一つしかありません。

 本当のことを伝えることを、がんばってください。

 

 食品偽装事件や教職員の不祥事の時と同じテンションで、原子力行政を推進した人たちを非難してください。

 1万5000人も集まった「原発やめろ」デモがあったことを、ちゃんと新聞で伝えて下さい。

 そして、「自分は行きたいけれど参加したら仕事を干させるから行けない」と言っているアーティストがいることを伝えて下さい。

 南相馬市から逃げないで、現地に残って取材を続けて下さい。

 石原慎太郎の所業を選挙前にきちんと列挙して、投票の資料にしてください。

 節電を訴えるCMを流しているTV局に、節電のための放送時間短縮を訴えて下さい。

 

 一言で言えば、

 自分の立場よりも、報道の使命を優先してください。

 

 できない、と言うんですか?

 マスメディアの仕事はキレイごとじゃない。やりたくてもできないことがいっぱいあるのだと。そう言いますか。

 それで被災者を始めとする、日本中のがんばっている人たちに対して、恥ずかしいとか申し訳ないとか情けないとか思いませんか?

 おびただしい人たちが苦しんでいるんです。たくさんの人たちががんばっているんです。

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ssh383 アホくさ・・・ [マスコミュニケーション論]

<2010>

 

 ここんとこ時事問題から逃避しているsshです。

 もちろんネタは山ほどありますよ。民主党代表選挙、尖閣諸島の件、村木さんの無罪判決と検察の証拠改ざん事件、小沢一郎強制起訴決定と。どれもこれも、ネタには十分過ぎます。

 

 でもねえ。記事にする気力が湧かないんですよ。

 だった、あまりにアホくさくって。

 

 私も一応ブログライターの端くれですし、sshはただの日記ブログじゃないですから、上記のことについてはメディアやネットでいろいろチェックはしています。

 ですが、すればするほど、モノを書く気が失せていくんです。

 

 まず、民主党代表選挙。

 一政党の代表選挙をまるで国政選挙のように報道するのは自民党が与党時代にもあった中央メディアの悪癖で、これは相変わらずとしても、

 なんですか、あの小沢一郎バッシングは。

 選挙時点では彼は不起訴となっていました。なのにまるで容疑者扱い。「政治とカネ」とどのメディアも連呼して、しかし彼がどういうことで取り調べを受けて不起訴となったのかはまるで紹介しない。朝日クンなんか天声人語まで使ってものすごい菅直人応援キャンペーンを張ってました。まるで昨年の衆院選の産経クンの自民党応援キャンペーンみたい。


 

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ssh367 自殺報道と児童虐待報道への疑念〜「少年犯罪データベースドア」より [マスコミュニケーション論]

<2010>

 

 ssh74で紹介した「少年犯罪データベース」を再度紹介させていただきます。

 なぜ再度紹介するのか?理由は2つ。

 一つは、ssh74で紹介して以降も、中央メディアを中心とするもっとも発言権の強い人々が、相も変わらず事実もデータもきちんとチェックしないウソ報道を繰り返しているから。

 いま一つは、主催者の管賀江留郎氏の積年の主張をきちんと確認しておきたいから。

 

 最初に、「少年犯罪データベース」のブログ部門である「少年犯罪データベースドア」の最近の記事からグラフと記事を引用紹介します。

 

 まず、「20代~30代自殺率、最悪」という読売新聞2010513日付記事についての記事。

 

◆◆この過去最悪というのはあくまで1978年以降の話です。それ以前も警察庁は自殺統計を記録しているのですが、20歳未満、2039歳、40歳以上、という三段階の大ざっぱな分け方しかしていません。

 ですが、今回のニュースは「20~30代自殺率が最悪」ということで、ちょうどその分類でも比較できるのでやってみました。

 手元には昭和30年代の資料しかないのですが、そのなかで一番2039歳の自殺数が多い昭和33年は、警察庁『犯罪統計書』によると10871、年代別の人口10万人当たりに占める自殺者の割合(自殺率)を計算してみると37.14となります。

 今回警察庁が発表した平成21年の20代と30代を合わせると8264人、自殺率25.26ですから、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台となった昭和33年はいまよりもずいぶん多かったわけです。

 なお,昭和33年は団塊世代がまだ二十代になってませんし、こちらは団塊ジュニアを擁しているので、2039歳の人口は現在のほうが多いですから念のため。

 

 自殺原因を見ますと、昭和33年は非常に豊かな時代でしたから貧困は10871人中わずかに237人、病苦は一割ちょいの1595人、失恋871人、一番多いのが「厭世」による2537なんですな。理由もなくただなんとなく世の中が嫌になって死にたくなったという、豊かなる時代の贅沢病です。呑気な時代ではありました。

 ちなみに19歳以下は2544人で自殺率6.7でしたから、平成21年の565人、自殺率2.4を圧倒しております。総数は21831人から32845人に増加、つまりはこの自殺世代である50歳代60歳代が相変わらず圧倒的な自殺を続けて全体を押し上げてるわけで。(以下略)◆◆

 

 

 次に、児童虐待問題に絡んで、0歳児と19歳児が殺害された件数のグラフ。

(グラフを見るときは、小学校の算数で習ったように、線の形だけでなく座標や数値にも気をつけましょう。)


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ssh362 マスコミ脳の恐怖、または「体感治安」というバーチャルリアリティ [マスコミュニケーション論]

<2010>

 

◆◆都内の治安「不安」が65% 警視庁がアンケート201086 1349 

 東京都民の「体感治安」が改善しない原因を探るため、警視庁が都内の治安情勢について初めてアンケートを実施したところ、「自分が犯罪に巻き込まれるかもしれない」と不安に感じている人が65%に上ることが分かった。

  都政への要望で昨年、治安対策が六年連続で一位になったことを受け今年三~四月、運転免許の更新などで警察署や運転免許試験場を訪れた約八千三百人に聞いた。犯罪被害者などは対象としていない。

  巻き込まれる心配のある犯罪を複数回答で聞くと、空き巣などの侵入窃盗(55%)、殺人などの凶悪犯罪(44%)、インターネット犯罪(34%)が多かった。

  わが子が犯罪に巻き込まれる不安を抱く人は84%。小学生の子のいる人では92%に上った。心配な犯罪として帰り道でのわいせつ行為や連れ去り、凶悪犯罪、暴行・傷害が挙げられた。

  六十歳以上の親に対する子の不安は72%が感じ、心配する犯罪として振り込め詐欺と侵入窃盗が六割を占めた。一方、七十歳以上の人で、自身が巻き込まれる恐れのある犯罪に振り込め詐欺を挙げた人は二割にとどまり、「自分は大丈夫」との心理が読み取れた。

  昨年の殺人や窃盗など刑法犯認知件数は約二十万六千件で、日本が「世界一安全」と言われた昭和四十年代の水準に回復している。この事実を「知らない」と答えた人が83%を占めた。不安になる理由を、61%の人が「凶悪事件の報道が多いから」とした。刑法犯認知件数は二〇〇二年、過去最悪の約三十万二千件に。警視庁は重点犯罪を指定して多発地域などを分析し、摘発や対策を強化してきた。(東京新聞)◆◆

 

 「体感治安」ねえ。そろそろ潮時でしょう。やめましょうよ、こんな言葉を使うのは。

 だって、体感じゃないもん。不安を感じている人って、犯罪に巻き込まれた経験のない人でしょ?体感なんかしてませんって。

 すべては、マスコミュニケーションを通じて仮想現実的に刷り込まれた不安です。せめて「バーチャル治安」とでも呼んだらどうでしょう。


 

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ssh349 事件報道はメディア人の「ゆとり」のために [マスコミュニケーション論]

<2010>

 

 sshでも繰り返し書いているように、今日の日本は非常に犯罪の少ない国です。

 2009年の殺人事件は1000件少々で、またまた戦後最低を更新しました。

 日本の特徴は未成年の凶悪犯罪(殺人や強姦)が少ないこと。年間100件以下。

 年間400人以上の青少年が殺人で検挙されていた暗黒の昭和30年代(団塊世代が青少年だったころ)からは想像もつかないほど低いレベルになりました。

 

 が。

 事件そのものがずいぶんと減った一方、事件報道はずいぶん増えました。

 毎日これでもかとしつこく流れています。かつてなら報道されないか、せいぜいローカル記事だったような事件が、今は全国主要ニュース扱い。1つの事件の関連情報だけで20回も30回も流すことも(しかも暗~いBGM付き)ザラです。

 だから、イノセントな国民は漠然と「治安悪化」を不安に思っています。これをマインドコントロールと言わずして何と言うか。

 

 それにしても、ずーっと疑問だったのは、なぜああも事件報道が多いのか?ということ。

 視聴率が稼げる?政財界の陰謀?治安悪化を印象づけることに何か利益がある?保険会社やケータイ会社やセキュリティ会社の陰謀?

 

 てなこと考えてたら、その答えの一端を発見。「池田香代子のブログ」上の、池上彰氏との対談(著書のあとがきとしてのものだそうです。太字はshiraによります。)

http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51434447.html

 

◆◆

池上彰「今の日本の姿で、ひとつ特徴的なのは犯罪が少ない、治安がいいということです」

池田香代子「ところが『体感治安』は悪くなって。『最近、なんだか物騒ね』なんて会話が出ます。こうした漠然とした不安が私たちにあるのはなぜなのだろうと思うのです」

池上「メディアの責任が大きいと思います。テレビでは、昔に比べてニュースの時間が増えています。するとニュースをたくさん集めなければいけない。しかしニュース取材には、人手も時間もお金も、とってもかかるんです


 

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