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ssh515 陛下、原発のことをしゃべってはなりません [マスコミュニケーション論]

<2012>

 

 311日に東京で行われた東日本大震災追悼式典に関して、田中龍作ジャーナルで知ったお話。

 

 この式典での、今上天皇明仁陛下のお言葉は以下の通り。

 

◆◆

 東日本大震災から1周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。

 1年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。

 さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。

 この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地へ足を踏み入れ、被災者のために様々な支援活動を行ってきました。このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。

 また、諸外国の救助隊を始め、多くの人々が被災者のため様々に心を尽くしてくれました。外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。

 被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。

 今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします◆◆

 

 問題は太字部分。

 NHKの生中継では、もちろんこの「お言葉」はすべてが放映されています。

 ところが。田中氏によると、太字部分はNHKニュースではカットされていたらしいのです。

 他の中央TV局のニュースでもやはりカットされていたと。

 

 明仁陛下の「お言葉」は、それほど長いものじゃありません。

 そもそも陛下は隊長万全ではありません。手術明けの、それこそ病み上がりであるのに、それを押して頑張って出席して、この「お言葉」を読み上げた。

 なのになぜ、その「お言葉」から、原発の部分だけをわざわざカットした?

 

 私は「意図」を感じざるを得ません。


 

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ssh514 十校十色〜教育ブログの読み方(4) [マスコミュニケーション論]

<2012>

 

 ブログを始めて良かったな、と思うことはいくつもありますが、その中に「同じ学校でもこうも違うものか」ということがわかったというのがあります。

 

 一口に学校と言っても、小学校と中学と高校と大学は全然違う。

 同じ高校であっても、私立と公立はかなり違う。

 同じ公立高校であっても、都道府県によって様子が全然違う。

 同じ都道府県の同じ公立高校でも、立地条件や生徒の違い(学力・運動能力その他)によってまるで違う。

 同一の学校内でも、担当する教科や部署が違うと、仕事の様子がまた違う。

 かと思えば、全然違う土地の全然違う学校同士が、すごく似ていたりもする。

 自校の常識は他校の非常識。所変われば品変わる。

 

 私の現任校には、職員室という部屋はありません。

 それぞれ教科ごとに「研究室」という部屋があり、職員はそこにいます。私は「英語研究室」常駐です。

 ところが、同じ県の公立高校であっても、職員室がある学校もあります。

 同じ県内でも、小学校と中学校はだいたい職員室があって、そこにほぼ全員の先生がいます。(芸術や技術家庭や体育など実技系の先生は別部屋)

 

 私はただいま1年生の担任をやっています。

 私の地元では、担任というのは3年間持ち上がりで、一度担任を持ったら、最低でも1年は担任を持たずに「休み」を入れます

 しかし、近隣のある県では、担任は必ずしも持ち上がりではなく、しかも担任を持たない年というのはないそうです。で、50歳くらいになると担任稼業はお役御免となり、主任や管理職となっていくと。

 

 かと思えば。

 近隣の私立高校は驚くほど県立高校と雰囲気が似ています。聞けば教員の給与は県の教員と完全に同一だそうで。(だから公務員の給与カットはとても困るということらしいです。)

 

 

 学校の状況ってのは、十人十色ならぬ「十校十色」です。


 

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ssh513 文は人なり、とも限らない〜教育ブログの読み方(3) [マスコミュニケーション論]

<2012>

 

 世の中には、ものすごく話の上手な人がいます。

 例えば、聴いてて目はうるうる、今すぐ言われた通りに実行してみたくなっちゃうというような講演の名人。

 

 それほどでなくても、身の周りには、わりと話の上手な人はいます。

 仕事の話、家族の話、人付き合いの話、人生訓その他いろいろ、感心させてくれるような話をする人はけっこういます。

 私も駆け出しのころ、ベテラン教員のそういう話を聞いて「わあ、すごいなあ。オレもこういう先生になれるかなあ。」と感じ入ったことがあります。何度もあります。

 

 ところが。

 そういう先輩教員が、必ずしも本当に敬愛すべき方というわけでもありませんでした。

 言っちゃ悪いが、実は口だけというベテランも。

 で、逆もいました。ひどく口ベタで、ほとんど有効なアドバイスはもらえないのに、実践は素晴らしいという先生。

 

 話と実践は、無関係でもないけど、イコールでもないものです。


 

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ssh512 実践報告はレシピじゃない〜教育ブログの読み方(2) [マスコミュニケーション論]

<2012>

 

 私の嫁サンは、新しい料理に挑戦するとき、レシピに実に忠実です。材料も行程もレシピ通り。材料がなければ買いそろえるし、具材や調味料はきちんと計量します。

 一方、私は昔からそーゆーのに無頓着。具材が高けりゃ、安い他の物で代用しますし、計量もたいてい目分量です。だから出来上がりも常に「もどき」です。

 おおざっぱな0型人間を自認する嫁サンの方が、レシピに対しては生真面目と言うか忠実です。

 

 

 さて、教育ブログの読み方のお話。

 ssh511で書いたように、現場の教員や講師によるブログの多くは実践報告的なものです。

 で、それらはたいてい、キレイゴト。より正確には、ネットで公開しても誰も傷つけないようなもの。すごくうまくいった例。ほほえましい事例。あまり重大じゃないような話。日常の些細なことに感激したというようなお話、などなど。

 わがsshでも、ときどき生徒の実話を紹介していますけど、悲劇的な話や、私が思い出したくもないような失敗談は、一切アップしたことがありません。

 

 なにせネットの世界は、接続環境と機材されあれば誰でもアクセスできます。事情のわかっている人であれば、shiraがどこの何者で、記事に出てくる生徒がどこの誰なのか、すぐにわかってしまいます。

 

 私が教員になりたての1980年代半ばは、教育報道の論調が変わり始めた頃でした。それまで「詰め込み教育批判」「管理教育批判」が主流だった各メディアが、少しずつ「学力低下批判」「甘やかし批判」にシフトしていました。

 転換期ゆえ、メディアの論調はイソップ物語のコウモリのように不安定でした。ある学校で生活指導の行き過ぎによるトラブルが発生すれば「管理が教育か」と批判され、別の学校で暴力事件が起きれば「学校は安全管理を怠った」と批判されました。

 現場の人間としては腹立たしいこと至極でした。しかし、反論はできませんでした。

 負けを認めたのではありません。

 学校側の正当性を主張しようとすれば、該当の生徒(場合によっては保護者)の問題点を明らかにせざるを得ない。

 学校はそれを嫌ったのです。

 

 失敗例を伴う実践報告は、現場の人間だけを限定にした会(例えば教育研究集会=教研など)なんかじゃないと、なかなか聞けません。

 だから、ブログでそれを求めてはいけません。


 

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ssh511 教育ブログの読み方(1) [マスコミュニケーション論]

<2012>

 

 教育ブログには、いくつかのパターンがあります。

 sshはライター=誰が書いているのかに注目して分類してみました。

  1. 学校・塾・家庭教師など、実際に人に物を教えている人間が書いているもの
  2. 元教員や教育行政関係者など、現場以外で間接的に教育をする側に関係している人が書いているもの
  3. 保護者や生徒や元生徒など、教育を受ける側の人間(およびその関係者)が書いているもの
  4. 政治家や一般市民など、教育と直接関係のない人間が書いているもの

 

 ライターが違うと、ブログの色合いも違います。

 

 1.のタイプは、実践報告が多いです。自分自身が実践をしてますから、それに関する話が主です。

 ただ、失敗例はあまり紹介されません。

 本来、実践の紹介は失敗例の方が役に立つのですけど、まあこれは致し方ありません。なにせ失敗例というのは、具体的にトラブルを起こした生徒の話になっちゃいますから、それをネットで紹介するのは個人情報なんたらかんたらが絡むので、ちょっと難しい。

 sshもこの1.のタイプのブログです。で、私も「キレイゴト」ばっかり書いてるなあ、ということは自認しています。

 でも、やっぱりキレイゴトしか書けないのですよ、生徒に関わることは、やっぱり。万一当事者や関係者が見たらマズいだろうなあ、と思いますから。

 その点、塾講師や家庭教師の方々のブログは、結構歯切れよくビシバシとくるタイプが見受けられます。ここいらへんは背負っている組織のサイズが軽いゆえの思い切りの良さがあるんでしょう。別にうらやましくもないですが。


 

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ssh510 中央メディアが揃って黙殺した杉並の脱原発デモ [マスコミュニケーション論]

<2012>

 

 219日に東京都杉並区で大規模な脱原発集会&デモが行われました。

 

 え?知らない?

 

 かも知れないですね。

 何せ今回の集会&デモは、中央メディアがガン無視でしたからね。もう、ホントに、強固な意思を持っての無視。

 

 集会の規模は、主催者発表◯◯人とか、警察発表◯◯人とかで計ります。で、主催者発表はたいてい警察発表より数字が大きい。これはどんな集会でもそうです。ま、そんなもんでしょう。

 ところが。今回は、主催者発表ってのがないんです。

 というのも、主催者がいないんですね、この杉並の集会は。

 だから、警備(弾圧?)する警察も、相当やりにくかったみたいです。よくあるデモの場合、政党なり組合なりが主催者で、そこが動員して人を集めているから、主催者をマークしてればいい。

 でも、今回はそういうわけにいかず、結果、相当数の警官が動員されたようです。様子はリンク先の写真でご確認を。

 

 これだけの警官が動員されたのだから、警察にとっては大変な集会&デモだったはずなんですよ。

 なのに、中央メディアの報道は皆無。いや、今回は本当の本当に皆無。よくぞここまで黙殺したものです。

 

 以下のリンクで様子を見た私の感想は、「楽しそうだなあ」というもの。

 集会とかデモって、深刻でサヨクっぽくて暗くてうっとうしいって印象、ないですか?

 このデモ、実にいい加減な感じがしていいんですよ。統率されてない。されてるワケないです、主催者がいないんだから。

 サウンドカーは音楽を流しているし、カラオケ隊は脱原発の替え歌で盛り上がってるし、古式ゆかしい人達はシュプレヒコール隊をやってるし、屋台じゃ飲み物を売ってるし。

 何より笑ったのは、商店街で「デモ割」をやったという話。「デモに参加した」と言うと、飲み屋で割引や一品サービスが受けられたと。これ、もう完全にお祭りですよね。

 

 今までの脱原発運動は、それでも一部のメディアは取り上げていました。今回どこも取り上げなかったのは、私が思うに、今までの市民運動の文法とはまったく異なる構造のこの運動を、メディア人は理解が不能だったんじゃないかと。

 

 あとはリンク先で見て下さい。

山本宗補の雑記帳 写真で見る「脱原発杉並有象無象デモ」

森住卓のフォトブログ 2.19脱原発杉並集会 (写真のみです)

松本哉ののびのび大作戦 2.19杉並脱原発デモ、大成功

雨宮処凛が行く カオスだった「脱原発杉並(副題は自由)」デモ の巻

五十嵐仁の転成仁語 何というユニークな杉並での脱原発デモ


 

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ssh507 あなたも人気ブロガーになれる〜ブログランキングに学ぶ人気記事の作り方 [マスコミュニケーション論]

<2012>

 

 何を隠そう、私はブログランキングというものの存在をわりと長いこと知りませんでした。

 他人様のブログによくあるヘンなマークと、その横に書いてある「応援よろしく」とか「クリックしてね」とか「ポチッと・・・」、ありゃ一体何なのかしら?と不思議に思ってまして。で、試しにクリックすると、全然見たことのないページに飛ぶ。何か怪しいなあと警戒して、それっきり。

 

 そんな私のsshも今ではにほんブログ村のランキングに参加しています。けど、私は順位を上げたいという思いはそれほどありません。もちろん順位が高けりゃ嬉しいし低けりゃ嬉しくないですが、順位を上げるために何かしようという気はありませんです。

 sshは地味なブログです。画像も少ないし、11つの記事がやたらと長い。あまりお客さま本意じゃありません。そもそも小論文ってカテゴリーそのものが、学校教育でもまだ色物扱いの分野です。

 

 そんなsshなのに、にほんブログ村の人気記事ランキングで驚くような順位をいただくことがあります。

 それは、タイトルに著名人の名前が入っている場合(最近だと橋下センセイ)と、日の丸・君が代関係の記事。

 

 ブログ記事が人気を得るには、わりとはっきりした理由があるみたいです。そこで、にほんブログ村をちょこちょこ見回して、私なりに人気記事作成のhow toを探ってみました。

 これで今日からみなさんのブログもアクセス増加間違いなし。かも。

 

 

・人気記事作成のテクニックその1・・・タイトルこそすべてと肝に銘じるべし

 ブログランキングはアクセス数だけで決まります。だからとにかくアクセスしてもらうことが必要。そのためには、クリックしてもらえるようなタイトルこそが何よりも大切です。

 タイトルは刺激的にしましょう。

 学校の先生への批判を書きたかったら、思い切って「アホ学校のバカ教師ども」とか書くのがよろしい。学校の先生に恨みつらみのある人はもちろん、学校の先生自身も「何を、ふざけおって」とばかりに、まんまとアクセスしてきます。

 同様に、タイトルにはよく検索してもらえそうな言葉を入れましょう。AKBだの橋下だのといった時の人の名前を使うのもいいし、国旗国歌とか中国韓国北朝鮮とかウヨ/サヨ的に盛り上がりそうなものもいい。

 一番強力なのはエロっちいキーワードです。sshでも「パンチラしずかちゃん」というタイトルの記事はエロネタでも何でもないのにダントツのアクセス数を誇ります。

 なんにしても人寄せが目的なんですから、タイトルと中身はあまり関係なくてもいいのです。アクセスしてもらえりゃ、それでいいんです。

 タイトルに命をかけましょう。人気ブロガーの第一歩は、物書きとしてのウデより、コピーライターとしてのセンスです。

 

 

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ssh494 テレビを見ない子ども〜テレビの見過ぎですの余白 [マスコミュニケーション論]

<2011>

 

◆◆テレビ「ほとんど見ない」子ども、6.6%に急増

 テレビやDVDを「ほとんど見ない」と答えた子どもの割合が2009年は6.6%に上り、2.6%だった前回04年調査の2倍超に増えたことが22日、厚生労働省の「全国家庭児童調査」で分かった。高校生に限ると10.5%で、04年より6.6ポイント増えた。  見ている場合でも、1日の視聴時間は全体的に減少。「2時間以上3時間未満」は3.7ポイント減の26.0%、「3時間以上」は3.4ポイント減の25.8%だった。 

 一方、携帯電話の利用時間は増え、「1時間以上2時間未満」が3.3ポイント増の9.8%で、「2時間以上」が2.8ポイント増の16.7%だった。  調査は全国の小学5年から18歳未満の子どもを対象に5年ごとに実施。今回の調査には1098人が答えた。(サンケイスポーツ 1223)◆◆ 

 

 Good for you! 

 結構なことじゃないですか。

 196070年代には「テレビっ子」とか「テレビ中毒」とかいう言葉がやたらと使われました。 青少年が何かヘンなことをすると、その原因は「テレビの見過ぎ」と論評されました。 

 テレビを見ない子どもが急増なんて、奉祝すべきことです。

 

 ただ、この報道が、テレビ視聴時間の減少をケータイ利用時間と対比しているのはどーかなと思いますね。これだとテレビからケータイに移行したように読み取れる。っつーか、たぶんこれ書いた記者はそう受け止めたんでしょう。 

 でも、増減のポイントを見ると、テレビを見ない層の増加は、ケータイ利用時間を増やした層より明確に多いんです。

 私が通勤中に聴くラジオでも、この記事と同じようなことを言っていました。けど、これはテレビからケータイにメディア乗り換えが行われたというより、単純に「子どものテレビ離れが進んだ」と捉えるべきなんじゃないでしょうかね。

 テレビというメディアからお客さんが離れたとき、じゃあ彼ら彼女らはどの別のメディアに逃げたのだ?としか考えれられないってのは、ちょいと思考が浅いですね。メディアそのものから退避した可能性も考えないと。


 

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ssh491 テレビの見過ぎです(4) [マスコミュニケーション論]

<2011>

 

 テレビの見過ぎですシリーズ(ssh487ssh488ssh489)の続き。もう少しだけ、TV的価値観の箇条書きにお付き合いください。

 

16 TVは相手の気持ちを読む能力を破壊する

 これは、ssh368「『子のつく名前の女の子は頭がいい』再評価」の煮返しです。コミュニケーションにおいては情報を発信する側は、受信する側にとって何が必要であるのかをあらかじめ察知し(例えば子どもがオモチャのケーキを持っていれば、それを口に入れるかもしれないと察知すること)、受信者にとって有益な情報(それは食べられないのよと伝えること)をコトが起きる前に発信している。ところがTVコミュニケーションにおいてはチャンネル権を持つ受信者が主役であり、発信する側に不可欠な察知する能力(金原はPassive Languageと呼ぶ)の涵養を阻害してしまう。結果として情報は後出しとなり、何かが起きてから「なぜ◯◯をしておかなかったのだ!」と批判するような情報発信しかできなくなってしまう。

 ssh338「あとから理由を探すのはバカでもできる、そんなものは論考でも論評でもない」でも、何かコトが起きてからあれこれ理由をあげつらうことのバカバカしさを指摘しました。しかし、そういう情報の事後発信しかできなくなってしまう人間を、TVは生産している可能性があります。

 

17 TVは記憶を創作する

 TVの訴求力は相当なものです。動画と音声による生々しさは比類がありません。

 それゆえ、TVは私たちの記憶を創作してしまいます。甚だしい場合、人間はTVで見たことを、あたかも自分の経験であるかのように誤解することがあります。

 んなことあるかって?大アリですよ。

 かつて「王貞治は記録に残る選手、長嶋茂雄は記憶に残る選手」というセリフがありました。名言だとされているようですけど、私に言わせりゃ迷言。

 長嶋が記憶に残っているのは、TV中継やスポーツニュースや「懐かしの◯◯」みたいな番組で、繰り返し繰り返し映像が流されたからですよ。あれはTVによる教育の成果です。

 311日のことにしてもそうです。津波の映像を繰り返し見た私は、あれをまるで自分の経験のように感じてしまっています。

 しかし、フクイチ(福島第一原子力発電所)の爆発については、それほどリアルに記憶が刷り込まれていません。爆発の瞬間の映像はTVではあまり流れませんでしたから。

 どっちかというと、9.11テロのワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込む映像の方がリアルに記憶されています。あれ随分何度も流されましたからね。

 王も長嶋も津波もフクイチもWTCも、一度もナマで見たことないという点では同じなんですけど。

 

18 TVは現状認識をすり替える

 記憶を創ることのできるメディアは、現状認識も作り替えてしまいます。

 今、ワールドカップバレーが日本で開催されています。開催国ということと、フジテレビの懸命のプロモーションの甲斐あって、会場はかなり大入りとなっています(バレーボールの普及活動についてはフジテレビは昔からよく頑張っていると思います)。地元日本チームへの会場全体の組織的応援は、ピョンヤンのサッカー応援の次くらいに壮観です。

 当然フジテレビはリキの入った中継をしています。ニュースや情報番組でも日本チームの活躍を知らせようとしています。声援もVTRも日本側のいい面がたくさん流されます。

 すると。試合は完敗なのに、映像は日本のいいとこばっか流れる。何だか負けてるように見えない。

 もっと露骨なのは訃報です。有名人が亡くなると、生前の元気な頃のVTRがいっぱい流れる。事故や自殺でもなければ亡くなる直前はあまり活動してませんから、訃報で久しぶりに元気な姿をたくさん見ることになる。

 すると。すごく生き生きとした感じが伝わってくるんですよ。全然死んでる感じがしない。まるで華麗なるカムバック。

 妙なもんです。


 

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ssh489 テレビの見過ぎです(3) [マスコミュニケーション論]

<2011>

 

 ssh487ssh488の続き。今回はTV的価値観をさらに挙げていきます。

 

11 TVは一極集中と相性がいい

 これはssh488で挙げた「TVは大衆に迎合しやすい」ことから必然的に導かれます。金銭的にも施設的にも規模の大きいTVにとって、一極集中の中央集権システムは非常に好都合です。対して、地方分権は相性が悪い。あちこちでバラバラにTV局があるという状況はあまり現実的ではありません。特に出演者の選定は難しくなります。ローカルアイドルのようなものが一般化しないと、TVの地方分権はおぼつきません。

 

12 TVは言葉を大切にしない

 これは1~8からくる必然です。言葉よりも音声、音声よりも映像、長い話はできず、キャッチコピーと親和性が高い。さらに、新聞などの活字メディアと違い、TV放送は録画しなければその場限りで消えます。

 新聞社には校閲という部署があり、記事の細かい字句をチェックしています。出版社もしかり。原稿が印刷されて出てくるまでに、言葉を細かく検証して誤字や誤用を直します。

 TV局には校閲にあたる部署はありません(最近知ったことです。驚きました)。だから次のようなあからさまな誤用もバンバン流れます。(以下すべて最近テレビで聞いた実例)

 「キラ星のようなスター」(キラ星は夜空のたくさんの星の意味なので複数に対して使う)

 「ドイツ・アメリカとの一戦」(一戦は1つの戦い。対戦の言い間違いでしょう)

 「リーグ戦の初戦を突破」(突破は勝ち抜いた時に使う言葉で、トーナメントの時に使うべきもの)

 「こちらが現物です。想像を超える大きさです。」(現物を見ながら想像はできない。「予想を越える大きさ」と言うべき)

 

13 TVは修飾語句を多用したがる

 一見12と矛盾しますが、これも1~8からくる必然です。

 キャッチコピーの成功のカギは修飾語句にあります。糸井重里の名を一躍有名にしたのは「おいしい生活」というコピー。ここでは「おいしい」という修飾語を用いたことがカギです。

 修飾語句は、言葉の響きをグッと刺激的にする魔力を持っています。で、実はその割に大した意味は持っていません。要約の実戦トレーニングを解説したssh482でも「修飾語句は90%以上不要情報」と断言しています。

 意味はないのにデコレーションとしては有効なのが修飾語句。修飾語句はあちこちで多用されていますが、特にTVとは相性のいい小道具です。多用の例としては、

 「アメリカとの運命の一戦」(バレーW杯中継でのセリフ。「運命の」はなくてもいい。実際この試合は消化試合だった)

 「懐かしの名場面」(懐かしいかも知れないけど、名場面かどうかは見る人の判断次第。懐かしの場面で十分)

 「あの感動の名作がついに地上波初登場」(要するに地上派での放映は始めてということ)

 「国民的アイドルAKB48(じゃあAKBに興味ないオレ達は非国民だな @私と息子たち)


 

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