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ssh546 「プレゼンする力」をプレゼンする力(3)〜山田ズーニーのプレゼン力 [小論文]

<2012>

 

 ssh543「プレゼンする力」をプレゼンする力の解説編 第2弾。

 2人目は山田ズーニー。私は10年ほど前に彼女のことを「おとなの小論文教室」で初めて知りました。その後彼女は書籍の出版だけでなく、各地の高校や大学で自己表現のためのワークショップを行っています。今回の3人の中では恐らく唯一の、教育現場でプレゼンを教育している当事者。


◆◆***プレゼンは、思いを形にして外に通じさせる行為だと考えます。最も伝えたいことは多くの場合、形がありません。それを受け手が見える形にして届けることです。思いを言葉にし、まず自分、次に自分以外の1人、最後は他者や社会に通じさせる。それがゴールです。

 「本当の思いがわからない」「集団からはじかれたくなくて、思いを出すのが怖い」「実感と離れた、優等生的なことを言わないといけないんじゃないか」という人が多い。

 話し方の技術の前に、腹から本当に思っていることを取り出すことが大切です。そうしないと、プレゼンは学生にとって実感とかけ離れた、伝える喜びのないものになってしまいます。

 思いを見つけるための道具は「問い」です。いきなり「なぜその会社や学校に入りたいか」という大きな問いには答えられない。身近な体験の中から、小さな問いを立てて答え、その答えにまた問いを立てる。それを丁寧に繰り返します。***

 大切なのは、正直であること。正直さと勇気はセット。勇気なくできるプレゼンに、大して面白いものはない。

 生まれながらにプレゼンの才能がある人がいると思うのは、幻想です。小さい勇気と正直さを日々積み重ねた人が、ここ一番で前に出られる。***

 学生や社会人は、プレゼン力を求めている。でも、彼らが求めるものはこの5年で「言うことが伝わらないので鍛えたい」から「自分の本心を探したい」に変わりました。

 技術を仕入れるほど上っ面の場はうまく言えるけれど、本心で通じ合えた満足感がない。深い考えを伝え、もう一段高いところで人が言葉で通じ合おうとしている。日本人は進化しているぞ、って思います。◆◆

 

 プレゼンの力と言えば、いかに自分の思っていることをうまく相手に伝えるかの力、と普通の人は思っているはずです。つーか、プレゼンテーションというのはそういうものとして理解されてます。いかにして自分の意見をアウトプットするかという技術。

 ところが。山田のこの文面には、技術どころかアウトプットに関することそのものがほとんど出て来ません

 山田は、「自分の意見」を発見するためのhow toだけをここで述べています。「プレゼンする力」がテーマなのに、内面のことだけを述べている。

 

 この視点は、鷲田清一と類似しています。

 鷲田はプレゼンはしょせん「テクニック、だましっこの世界」であるとし、それ以前の部分に重点を置いています。自分が本当に考えている事・言いたい事は実は本人にも明確にはわかっておらず、未完成な「口べた」な言葉を交流することで徐々に自分のホンネを言い当てる言葉を発見できると。

 

 類似した視点ではありますが、山田の意見は、さらに具体的です。


 

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ssh544 「プレゼンする力」をプレゼンする力(2)〜鷲田清一のプレゼン力 [小論文]

<2012>

 

 では、ssh543の解説編。

 1本ずつ行きましょう。トップはワッシーこと鷲田清一のプレゼン力のプレゼン。

 

◆◆***プレゼンが広がっている理由は三つ。一つは、国際社会で日本人は自分を表明してこなかった、経済も落ち目、だからここでポジティブにという流れ。二つ目は、市民たるもの、意見をきちっと表明し社会を変えていこうという「新しい公共」の動き。三つ目は、国から地域までのムラ社会の崩壊。***

 「プレゼン」にいい思い出はない。大阪大の総長のとき、国から競争的資金をとるのに、何度もプレゼンをさせられた。皆いいことばかり言う。けれど、研究なんてそんなにうまくいくものではない。だから僕は「実は難しい問題があって」などと逆に芝居を打つ。テクニック、だましっこの世界です。

 それを教育でモデルにしたら最悪です。***一方に、勝ち負けを追求する戦略家。他方には、自分を高く売りつけるゲームがしんどくて、おりる子。どちらも学ぶ意欲は限りなくゼロに近づいていくでしょ。

 ゼミの研究発表や遠足の感想まで「プレゼン」と言わなくていい。商品を売らんかなの史上論理の言葉ですから。ただ「リポート」と呼べばいい。***

 自分がどう考えてるか、他人からどう思われてるか不明なまま、いいことも悪いことも率直に口にし、言葉をざらざらとこすり合わせる。そうしているうちに、新しい言葉が立ち上がる。

 出前で400回ほどやってきた「哲学カフェ」もそう。初対面の人たちがいきなり問題の立て方から議論を始め、具体的な例に沿って語るなかで、言葉の感触というものが人によって想像以上に違うことに気付く。

 言葉は世界を読み取る網のようなものです。もやもやしてる問題に言葉を与えることで、そういうことだったのか、と腑に落ち、見晴らしがよくなる。そんな確かな言葉を見つけられればいい。口べたでもいいんです。◆◆

 

 いきなり結論を書いてしまうと、このプレゼンはいいと思います。阪大総長時代に「何度もプレゼンをさせられた」経験が生きたんですかね。プレゼンにいい思い出はないと言いながら上手なプレゼンをしてみせるあたり、ワッシーはなかなか強者です。

 

 鷲田の意見は「プレゼンは教育モデルにはふさわしくない」。プレゼン重視の教育に賛成してません。

 前半で鷲田は、プレゼンはビジネスでこそ有効なものであって、教育現場に持ち込むことには弊害が大きいと指摘しています。私も教育畑の人間ですからこの指摘はほぼ同意しますが、しかしこの視点だけでは論拠として弱い。「そんな甘っちょろいことを言っているからダメなんだ、現実社会は厳しいのだ」という反論が容易に予想されます。

 

 しかし、ここで鷲田は自身の経験からくる「具体例」を使って、一つ次元の高い話を提示しています。


 

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ssh543 「プレゼンする力」をプレゼンする力(1) [小論文]

<2012>

 

 710日付朝日新聞オピニオン欄にいいネタがありました。

 この日のテーマは「プレゼンする力」。同紙はここのところ特集していたネタです。

 この日のオピニオン欄は、プレゼンする力はどこから来るのかということについて、3人の著名人にインタビューしています。

 

 あるテーマについて複数の異なる意見を掲載するのは朝日の得意技。中央他紙はこういう太っ腹な紙面は作りません。自製の記事はかなりお粗末な朝日クンですが、巨大掲示板としての自紙の機能にはまだまだ自覚的なようです。

 

 今回掲載されたのは鷲田清一・山田ズーニー・柳井正(敬称略)のインタビュー。

 これらはどれも「プレゼンする力」という問に対しての、各自の意見とその根拠です。

 言い換えれば、これらのインタビューそのものがプレゼンです。

 そこで、ssh的な企画を立てました。

 題して、「プレゼンする力」をプレゼンする力。

 「プレゼンする力」というお題をもらったお三方のプレゼンを読んで、その力量を採点しちゃいましょう、ということであります。

 

 

 まずは、お三方のプレゼンをご紹介。どれもちょいと長いので、私の判断であちこち略してあります。で、いちいち前略とか中略とか書くのも面倒なので、略した部分には***をいれてあります。

 

 では、参りましょう。

 トップバッターは阪大総長時代「ワッシー」と学生に親しまれていた(と教え子に聞きました)、現大谷大学教授の鷲田清一。

 

 ◆◆***プレゼンが広がっている理由は三つ。一つは、国際社会で日本人は自分を表明してこなかった、経済も落ち目、だからここでポジティブにという流れ。二つ目は、市民たるもの、意見をきちっと表明し社会を変えていこうという「新しい公共」の動き。三つ目は、国から地域までのムラ社会の崩壊。***

 「プレゼン」にいい思い出はない。大阪大の総長のとき、国から競争的資金をとるのに、何度もプレゼンをさせられた。皆いいことばかり言う。けれど、研究なんてそんなにうまくいくものではない。だから僕は「実は難しい問題があって」などと逆に芝居を打つ。テクニック、だましっこの世界です。

 それを教育でモデルにしたら最悪です。***一方に、勝ち負けを追求する戦略家。他方には、自分を高く売りつけるゲームがしんどくて、おりる子。どちらも学ぶ意欲は限りなくゼロに近づいていくでしょ。

 ゼミの研究発表や遠足の感想まで「プレゼン」と言わなくていい。商品を売らんかなの市場論理の言葉ですから。ただ「リポート」と呼べばいい。***

 自分がどう考えてるか、他人からどう思われてるか不明なまま、いいことも悪いことも率直に口にし、言葉をざらざらとこすり合わせる。そうしているうちに、新しい言葉が立ち上がる。

 出前で400回ほどやってきた「哲学カフェ」もそう。初対面の人たちがいきなり問題の立て方から議論を始め、具体的な例に沿って語るなかで、言葉の感触というものが人によって想像以上に違うことに気付く。

 言葉は世界を読み取る網のようなものです。もやもやしてる問題に言葉を与えることで、そういうことだったのか、と腑に落ち、見晴らしがよくなる。そんな確かな言葉を見つけられればいい。口べたでもいいんです。◆◆


 

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ssh508 業者の添削がイマイチな理由 [小論文]

<2012>

 

 小論文は、学習指導要領に定められた教科科目ではありません。小論文の勉強をどんなにやっても、単位にはならない。

 だから、小論文教諭というのは、どこにもいないわけです。数学教諭とか体育講師とかいう立場とはまったく異なります。私の公的な位置づけは英語教諭です。小論文はあくまで余技というか、オマケ扱い。予備校や、ごく一部の恵まれた私立学校でもない限り、小論文指導が専門という先生は学校にはいません。

 だから、学校での小論指導は、現場の教員が一肌脱がないと始まりません。国語や数学や英語や体育やその他諸々の先生たちが、わざわざ研修して指導のスキルを磨いてくれることで、ようやく小論指導は始まります。

 そういう先生たちのいない学校では、小論入試を受ける生徒たちはとても困っています。気の毒なことです。

 

 

 困っている人が多いというシチュエーションは、ビジネス的には大チャンスです。

 公立高校には、あっちこっちの業者が小論文教材の売り込みにジャンジャカやってきます。私のところにもナントカ書店とかカントカコーポレーションとかがちょくちょくやってきます。

 教材はテキストであったり、テストであったり、講演会であったり、模試であったり、その他色々。

 

 実は私もわりと数年前までは、業者の教材を使っていました。

 3年生なら受験に必要な人間だけを相手にすりゃいいのですが、12年生の場合、学年全員に一斉に何かを書かせます。

 今の勤務校はひと学年に320名の生徒がいる大所帯の学校です。こういう場合、とにかく書かせて送付してしまえば、あとは業者さんが添削&評価してくれるというのは、大変にありがたいのです。もちろん有料ですけど、110002000円くらいですから、教材としてはまあリーズナブルです。

 

 

 でも。

 業者の添削は、概してあんまり良くないんですよ。


 

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ssh506 違和感こそ、小論文のエネルギー源 [小論文]

<2012>

 

 先日、担当している高1生に小論文テストをやりました。

 小論テストはたいてい市販の教材を使うのですが、私の場合は問題も評価もすべて自前です。安いし、自分の好みに合った出題ができます。

 私が高1によく出すのは、家族論。これだと取っ付きやすいし、その割に考えられることはいっぱいあります。今回は山田太一の1977年のエッセイをネタに、家族論を書かせてみました。

 いや~、やっぱ面白いっすね、生徒の書いた文章を読むのは。これだから小論指導は止められないのですよ。この面白さ、業者には絶対にわかりません。だってこちとら、生徒の素性も普段の様子も知ってるんですから。


 4年ほど前に、某業者の小論テストをやった時、答案を送付する前に私は全部の答案に目を通しました。で、3点ほど面白い答案があったので、それを本人の承諾を得て「進路だより」に掲載しました。この3点は生徒にも教員にも評判が良かったです。

 ところが、業者の採点ではこの3点はあまり評価されていなかったのです。

 業者の採点では評価が細分化されていて、作文技術(文章表現、文字の読みやすさ、原稿用紙の正しい使い方)に重点が置かれていました。

 小論文ビギナーにとって一番重要なのは、視点観点です。課題文に対して、いい切り口で攻められるかどうか。基本的な構成ができているかとか、作文技術がどうかなんてのは、まあどうってことはない。2週間もあれば身に付く初歩的な技術です。

 この時に私は確信しました。業者は必ずしもアテにならないと。


 さて。今回の山田太一のエッセイは「お互いの喜びや悲しみを共有できさえすれば、家族はバラバラであるのが健康的だ」というお話です。

 生徒に家族論を書かせることの最大の面白さは、優等生ほどロクな答案が書けないことです。


 

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ssh339 「進路だより」で紹介したネタ [小論文]

<2010>

 

 高校生なれば、ましてや受験生なれば、単なる教科学習のスキルだけでなく、時事問題や社会問題にもある程度の知識がないと困る。

 いや、知識以前に、関心がないと困る。

 いやいや、さらにその前に、世の中にはこれまで自分が触れたこともないような現実があり、聞いたこともないような意見主張があり、簡単には理解できないような思考や論理がある。そういうものをアレルギーのように拒絶してはいかん。

 少しずつでも、筆者の言いたいことを読み取れるようにならないといかん。

 

 というようなことを、結構マジメに考えていたりするのですね、私は。

 それで生徒向けの「進路だより」には、そういうネタをほぼ毎回紹介してきました。

 ネタとはつまり、新聞や雑誌やネットで拾ったいろんな記事の紹介。ただ紹介してもあまり読んでもらえないから、ところどころに「問い」を混ぜておきます。

 ただし、読むことを強要はしませんでした。強要するとアレルギー起こしますから。自分から読むようにそそのかしただけ。

 

 私の「進路だより」はB4のワラ半紙の両面刷り。表が進路関係の連絡など、裏はオマケのネタ。

 世間はA4全盛ですが、私は断固B4を使いました。

 理由は単純で、A4だと小さすぎて記事の切り抜きが入らないことがあるから。B4だとかなり大きな記事でも入るんです。

 ワラ半紙を使ったのは中質紙じゃもったいないから。3年間で刷ったたよりが5万枚ですから。

 

 では、3年間生徒たちにどんなネタを紹介したのか、進路だよりの裏面ネタをご紹介。


 

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ssh294 マジックワードに心せよ〜ssh29への追加 [小論文]

<2009>


 


 小論文ネタです。


 


 ちょいと古い記事で恐縮ですが、3年近く前にssh29で「あぶない!思考停止の言葉」という記事を書きました。内容はこんな感じ。


 ◆◆TVや新聞などのマスメディアの場合、数々の社会問題を扱い、それに対してなにがしかのコメントを出さねばならなりません。だから、TVや新聞では、仕方なく、こんなコメントで片付けて次に行くしかありません「一刻も早い解決が求められます。」「常識として考えられない犯罪と言えます。」「国民に納得のゆく説明が必要と言えます。」「いずれにしても、このような行為が許されるはずはありません。」こういう言葉は、小論文では絶対に使ってはなりません。ええ、絶対です。まとめというのは、「これでおしまい、これ以上は考えないでください」というためのものです。そこで考えるという行為は打ち止めになります。考えることをやめてはいけないのです。◆◆


 


 で、この時、他に挙げた<禁句>は、以下のようなもの。


 


 ・常識/当たり前のこと/当然のこと(なぜ当然なの?なぜ常識なの?ホントーに常識?その根拠は?)


 ・あってはならないこと (つまり、ゼロにできるということ?ホントに?)


 ・○○に決まっている (ホントに決まってるの?) 


 ・断固たる/確固たる/毅然とした (どういう姿勢?強くでればそれでいいの?)


 ・愛/思いやり/優しさ(まったく同上)


 ・努力/必死/死にものぐるい/やる気になればできる(これも同上)


 


 上記のような言葉に限らず、世の中には<決めゼリフ>的なカッチョいい言葉がいっぱいあります。これさえ言えば相手が黙ってくれそうな、そういう言葉。


 こういう言葉を「マジックワード」と言います。


 


 もう少し丁寧に定義すると、マジックワードとは、それ以上の考察を停止させてしまう口当たりのいい言葉 です。


 


 

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ssh283 問題とは何かという問題(4) [小論文]

<2009>

 

 自然界に問題は皆無である。

 問題とは人間が発見したものである。

 人間の本質は矛盾である。

 問題とは矛盾のことである。

 矛盾に根本的な解決はない。すなわち現実世界の問題に唯一の正解はない。

 我々は問題に対し、よりマシな方策を考えるしかない。

 

 と、これがここまでのこのシリーズの要点です。

 

 箇条書きHow to小論文シリーズでも紹介したように、小論文とは意見と論拠です。で、意見とは問題への解決です。

 問題=矛盾である以上、唯一の解決策などありません。だから小論文は正解のないテストです。

 こうなると、なぜ小論文が意見よりも論拠が重要なのかということも理解できます。問題への解決=意見に唯一の正解がない以上、優劣は「どの解決がよりマシか」で決まります。で、どれが最もマシであるかは、解決そのものよりも論拠で決まります。

 もうちょっと丁寧に言うと、論拠を読んだ人が「なるほど、そういうことならこれを採用しようか」と思えるものが、よりよい策ということになります。

 

 ではここで、現実の問題=矛盾に対して、どう向かえばいいかということをまとめてみましょう。これはすなわち、小論文を書く時にどういう姿勢で向かえばいいかということでもあります。

 

 


 

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ssh281 同じ刃で自分を斬れ [小論文]

<2009>

 

 斬ってはいけない。

 これ、sshでちょくちょく指摘してきたことです。小論文では、バッサリ斬るのはご法度です。よく記者会見なんかの記事で「××という問いに対して知事は○○とバッサリ。」てな文面がありますね。この「バッサリ」を、小論では絶対にやってはいけません。絶対、です。知事には許されても受験生にはバッサリは許されません。

 

 斬ってはいけないその主な理由は、

1 斬ってしまうと、そこで終わってしまい、論議が深まらない。

2 斬ってしまうと、それ以上何もかくことがなくなってしまう。

3 斬ってしまうと、説得力が出ない。

 

 斬ってはいけないということについて、駿台予備校の影山先生からいいメッセージをもらいました。

 <同じ刃で自分を斬りなさい>

 う~んさすが影山先生。ナイスなフレーズです。でも何のため?

 共感を得るためです。


 

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ssh278 問題とは何かという問題(3)~現実の問題に正解がない理由 [小論文]

<2009>

 

 遅々として進まない<問題とは何かという問題>シリーズ、ようやく3回目です。ここまでのおさらいは、

 

 1 自然界に問題はない。

 2 問題は人間が発見するものである。

 3 問題とは矛盾のことである。

 4 人間の本質は矛盾である。

 

 乱暴にまとめてしまえば、人間ってのが矛盾のカタマリだから、問題というものはすべて人間が絡むことで発生するということです。

 

 一個の人間vs自然。

 多数の人間vs自然。

 一個の人間vs一個の人間。

 一個の人間vs多数の人間。

 多数の人間vs多数の人間。

 

 一個でも人間が絡めば、問題=矛盾は発生します。もちろん、人間がたくさん絡むほど、問題も発生しやくなる。

 

 では、その問題=矛盾は、どうすれば解決するのか?これが今回のテーマです。

 

 いきなり結論を言ってしまうと、矛盾の根本的な解決は不可能です。

 だって、矛盾してるんですから。


 


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