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ssh585 Good Luck!  [教科学習]

<2013>

 

 2013年度センター試験、いよいよ明日・明後日です。

 

 明日・明後日は、いろんな人が受験します。

 高校3年生が初めてのセンター試験を受験します。

 浪人生が2回目・3回目・4回目のセンター試験を受験します。

 一度は入学した大学をやめて、再挑戦する人も受験します。

 一度は社会に出て、それから新たな決意を持って大学へ進学するために受験する人も受験します。

 

 余裕たっぷりの受験生も、不安で泣きそうな受験生も受験します。

 進学校と言われる高校の生徒も、そう呼ばれない高校の生徒も受験します。

 元気いっぱいの受験生も、病み上がりの受験生も受験します。

 ギリギリまで入院していて、病院から会場に直行する受験生もいます。

 高校時代にいろんな原因で登校すること自体がままならなかったという受験生もいます。

 

 国立専願の受験生も、私立が第一志望の受験生も受験します。

 理系も文系も受験します。2科目受験の人も、7科目受験の人もいます。

 

 今年がダメならまた来年頑張るさという受験生も、センターがダメなら私立で頑張るぞという受験生も受験します。今回がダメならもうこれがラストという背水の陣の受験生も受験します。

 

 人に言えないような悩みを抱えている受験生も受験します。

 いじめた経験のある受験生も、いじめられた経験のある受験生もいます。

 幸福な高校生活だった受験生も、そうでなかった受験生も、同じ土俵で受験します。

 今ニュースで騒がれている学校からも、同じ土俵で受験にやってきます。

 

 

 頑張れ、すべての受験生。


 

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ssh576 序盤と終盤は時間の密度が違う [教科学習]

<2012>

 

 一時期アメフト観戦にハマっていたことがあります。ルールはちょいと面倒なのですが、わかってくるとすごく面白い。プレーごとにあれこれ考えて作戦を立てる頭脳戦とそれを実践する肉体能力と肉弾戦。野球と同じような緻密さが、ラグビーや格闘技並みのぶつかり合いと同居している。

 特に良く見たのはアメリカのプロリーグたるNFL。選手の能力がやたらと高いので、TVで見ていてもかなり興奮します。

 

 そのアメフトで最もスリリングなのは、最終クォーター終盤の攻防。

 序盤・中盤は割と穏やかというか、まあ大体こんな時はこんな感じかなという感じで試合は動きます。緊張感が漂うのは得点圏での攻防くらいのもの。状況によっては無理をせずに敢えて時間を流すこともします。

 ところが終盤はものすごい緊迫感です。数秒のプレーの行方が戦況を大きく左右する。序盤であれば3分くらいかかるようなことが、終盤では10秒くらいの間に起きます。

 よく似ているのはバスケットボールでしょう。バスケも終盤はものすごい緊迫感です。0コンマ数秒あればゴールが決まるかも知れません。最後の1分の攻防は、第1クォーターの10分かそれ以上の内容に相当するんじゃないでしょうか。

 

 上記2つに限らず、スポーツ競技は終盤に行くほど密度は増します。これは野球でもサッカーでもバレーでも陸上でも何でも同じ。

 

 

 さて。

 受験勉強も同じようなことが言えると思います。


 

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ssh568 「想定読者」と字のお話(2)〜ノートの想定読者は誰か [教科学習]

<2012>

 

 ssh567の続きです。今回はノートのお話。

 

 人間が何かものを書くのは、誰かに読んでもらうためだとssh567で述べました。

 では、ノートって、誰に読んでもらうために書くのでしょうか?

 当然、ノートの想定読者は自分です。私たちは自分が読み直すためにノートを取ります。

 だから読みやすいノートを作らねばならない。

 

 ところが、この「当然」が、案外と落とし穴。

 

 すごくキレイで丁寧なノートを作るのに、全然学力が伸びない生徒がいます。

 多くは中学までわりと「いい生徒」だった人たちです。特に女子に多い。

 これらの生徒のノートは、やたらとキレイです。すごく丁寧に書かれている。色ペンを使い分けてビジュアル的にもよくできている。先生の指示もよく守られている。

 なのに。こういうノートを作る生徒は、成績が伸びません。中学では調査書(内申書)のスコアを稼いでくるので高校入試までは一応成功裡ですが、高校で全然伸びない。

 なぜか?

 

 彼女たちは、ノートの想定読者を間違えてます。

 彼女たちのノートは、先生に見せるためのノートです。だから自分にとって不要な情報でも、先生にホメてもらえるように、懇切丁寧にノートに記録する。

 当然時間ばかり浪費して、勉強の役に立っていない。自分のノートを読み返しても、丁寧過ぎて役に立たない。情報過多で、何が自分にとって一番盲点なのかが見つからない。

 小中学校を批判するつもりは毛頭ありませんけど、「提出ノートを評価する」ことが「先生ウケのいいノートを作る」という姿勢を内在化させてしまっているのでしょう。

 こういう生徒は根が真面目だけに、姿勢を変えさせるのがなかなか大変です。 

 

 

 ノートの想定読者に関する落とし穴は、もう一つあります。

 ノートの想定読者は確かに自分ですが、今の自分じゃありません。

 ノートの想定読者は、近未来の自分です。


 

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ssh567 「想定読者」と字のお話(1) [教科学習]

<2012>

 

 自慢じゃないけど、私の肉筆はかなりの悪筆です。

 子どもの頃から親兄弟先生にさんざん言われてきました。「もっときれいな字を書け」と。

 でもダメでした。中学までは本当にひどい字を書いてました。ヘタクソなくせに乱雑だから、もう本当に読みにくい。

 悪いことは似るものでして、息子たちもなかなかの悪筆です。特に長男は相当なもので、小学校の頃の字なんか、私の幼少期に劣るとも勝らないレベル。

 

 

 さて、勤務校で毎週定例の進路係職員のミーティングの席上、こんな話が。

 

 A先生: 高校生にもなって、答案にすごく読みにくい字で書いてくるヤツがけっこういるんだよ。

 私:   あー、確かにそういう子、いますよね。

 B先生: 採点者に読んでもらうっていう感覚、ないのかな?

 A先生: 別に美しい字を書けってんじゃないんだよ。ヘタでもいいけど、せめて読めるように書かなきゃ。

 私:   そう言えば、前の勤務校から東大に行った生徒の数学の答案はすごくキレイでしたよ。

 

 字が汚いことそのものは減点対象じゃありません。判読できればちゃんと点数は与えます。入試でもそうです。

 でも、字の汚い答案は、概して点数が低い。汚い答案は、そもそも正答率が低いんです。

 逆に、正答率の高い答案は、概して字も読みやすいものです。

 

 

 ところで。

 人間がものを書くのは、誰かに読んでもらうためです。すべてそうです。答案も作文も日記もエッセイも投書も落書きもブログもツイッターも、すべては誰かに読んでもらうために書く。

 この「誰か」には自分も入っています。日記なんてのは自分が読むために書くものです。

 

 で、多くの人は、誰に読んでもらうかを意識しながらものを書きます。特に作家や編集者などのプロの場合、読み手のことを強く意識している。

 自分の文章を読んでもらう相手のことを「想定読者」と言います。


 

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ssh552 きちんと勉強すれば学習時間は必ず伸びる [教科学習]

<2012>

 

 「1日に何時間くらい勉強すればいいですか?」

 

 家庭学習ってのは、最初は誰しもイヤなものです。人によっては最後までイヤなもの。

 だから先生も親も「◯◯時間勉強しなさい」って言います。

 

 大学進学を考える高校生の場合、学年の数プラス1時間なんて言い方がよくされます。

 1年生なら1+1=2時間。2年生は3時間。3年生は4時間。

 学習時間を長くすることこそ、学力向上に必要、という感じがしてきます。

 

 ところが。

 受験を成功裡に終えた学生に聞くと、学習時間のことは「よく覚えていない」と答えます。

 彼ら彼女らは、何時間やればいいかということは全然考えていない。

 彼ら彼女らは、必要と思われることをやっている。気にしているのは勉強の中身であって、学習時間は結果に過ぎません。

 

 

 「何時間勉強すればいいですか?」

 この質問、実はすごい落とし穴を持っています。

 この質問をする人は下限ではなく上限を知りたいのです。

 もし「12時間だね」と答えれば、この人はどんなにヒマでも2時間以上は勉強しません。

 

 「何時間勉強すればいいですか?」という質問は、努力を値切るために発せられているんです。

 

 勉強なんてものは、やればやるほど不備に気付くものです。

 とことんやろうと思ったら、時間なんかいくらあっても足りない。

 受験を成功させた人たちにとって、勉強時間なんてのは目標でもノルマでもない。1日何時間勉強しようが、結果がでなければ意味がない。結果がでるまでやるのが受験勉強です。18時間勉強しても結果が出ないのなら、それは学習不足、もっとやるしかありません。

 受験は結果がすべてです。学習時間が長かったかどうかなんて、慰めにもなりません。

 だから、彼ら彼女らは、どのくらい勉強したのかと聞かれても「よく覚えてない」んです。意識してないんですから。


 

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ssh518 調べる・覚える・考える [教科学習]

<2012>

 

 学力が高いって、どういうことでしょう?

 教育学的な定義じゃなくて、単純に学業成績が優秀という意味で。


 1970年代くらいまでであれば、学力=知識の量でした。どれだけ多くのことを知っているか、言い換えればどれだけのものを覚えているか。記憶力が学力の最大の評価対象でした。

 私が駆け出し教員だった1980年代は、詰め込み教育批判が盛り上がってきたころで、世の中の風潮はまだまだ「学力=知識量」でした。おかげで生徒は「勉強=覚えること」と認識していました。

 この時期の教育が「詰め込み教育」などと批判されたのも、そういう理由でしょう。とにかくより多くのものを覚えていることこそが価値があった。

 とにかく覚える。覚えたことを答案用紙に書く。それが学力。

 

 もちろん、覚えることはすごく大切です。基礎的な知識、重要な事項をきちんと覚えていなけりゃどうにもならない。

 でも、それも程度問題。度を超すとヘンなことになります。1970年代までは大学進学率が今(50%)よりずっと低く、大学入試は「受験戦争」と呼ばれていました。入試問題はそれこそ重箱の隅をつつくようなモノが横行していました。知識量で学力を測ろうとすれば、そういう問題でふるい落とすしかなかったんでしょう。


 翻って、21世紀は「考える力」が評価の対象です。ただただ詰め込んだって応用が効かない、自分で考えられなきゃダメだと。いわゆる「ゆとり」カリキュラムは、記憶力偏重を脱却して思考力を高めることを狙ったものでした。昨今の高校入試・大学入試では、かなり思考力を問う問題が増えています。特に数学・理科・小論文はそういう傾向が強い。PISAのテストも思考力重視です。

 

 モノを考える力は、メチャクチャに重要です。これは私にとっても重要なテーマです。それが評価されるのは本来歓迎すべきことです(どうやって思考力を評価するのかという問題は残りますが)


 でもね。

 覚える前に、考える前に、まずやるべきことがあるんですよ。

 それは、調べること。


 

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ssh500 本番は狙い通りには行かない [教科学習]

<2012>


 


 今を去る事30年前、センター試験のご先祖様にあたる国立大学共通一次試験なるものを、私は受験しました。


 当時はリサーチシステムはもちろんなく、業者の模試も今ほどは普及していませんでした。共通一次試験でどのくらいの点数を取ればいいのか(つまりボーダーライン)は、かなり大雑把な予想の世界で、予備校や高校の先生たちの経験とカンの方がアテになるという感じでした。


 そうは言っても、目標点がなけりゃ頑張れません。18歳の私は、手に入るいくつかの情報から志望校のボーダーを調べ、目標点を1000点満点の810点としました。これだけあれば出願はできるだろうと。


 


 この810点は、実はかなり細かく科目毎の目標点まで計算して出したものです。


 すなわち、国語は割と取れそうなので165点、数学は苦手なので140点、英語は得意だから180点、社会科は苦手だけとがんばって2科目で155点、理科は物理も化学も割と得意なので2科目で170点と。


 


 ところが。この皮算用は、あんまり当たりませんでした。社会と理科が誤算。特に社会は、問題を見た瞬間に「ヤバい・・・」という感じ。


 何を隠そう、私は文系にクセに社会科が昔っから一番苦手なのです。地理も歴史も全然ダメ。高校時代にそれでも頑張ったのは、敬愛する担任の先生が社会科の担当だったから。だから定期テストは結構頑張って点数を取っていたんですが、やっぱ本当の力はなかった。日本史も世界史も6割も取れず、目の前が真っ暗になりました。


 理科も完全に誤算。化学はよかったんだけど、得意の物理がひどく難しくて難渋、目標点を大きく下回りました。


 


 それでも何とか志望校に合格できたのは、もっとも苦手だった数学がえらくできたから。というか、この年の数学はかなり問題がラクだったんですね。私の得点は何と190点。全科目で最高でした。友人には満点がいっぱいいました。




 以上は自慢話でも恥ずかしい話でもありません。要は、「本番は何が起きるか分からない」ということです。


 得意科目でコケるかもしれないし、苦手科目で取れるかもしれない。


 完全にコケたと思っていたら、全体の平均が低くて大丈夫だったりする。


 大コケしたと思った科目が、得点調整で修正されたりもする。


 センターがダメだと思っていたら、2次試験の競争率が低かったりすることもある。


 


 とにかく。本番はやってみないとわからないんです。


 本番は、狙い通りには行きません。


 


 

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ssh499 過去10年で一番早いセンター試験 [教科学習]

<2012>

 

 今年もまた、センター試験間近になりました。

 2012年度センター試験は今週末。11415日です。

 センター試験は「113日以降の最も早い土曜日とその翌日」と定められていますから、今年のセンターは取り決められた日程の中でも最も早い部類です。

 

 受験生にとって、この日程は恨めしいでしょうね。センターまでの残り日数が少ないですから。

 でもね。

 残り日数は、全受験生にとって同じです。

 それに、センターが早く行われるという事は、センターが早く終わるということです。

 私大入試や国公立2次の対策に使える時間は、これまでの年度よりもたくさん取れます。

 何よりも、自己採点から国公立出願までの時間が取れる。これはありがたいことです。

 

 一つ不利なことがあるということは、何か一つ、別の利点があるということです。

 残り日数を勘定してため息をついたってしょーがない。

 

 この時期のsshからのアドバイスは、いつも同じです。

 ・体調を崩すようなムリはしてはいけない。受験はまず、会場に行って受験しなければ始まらない。

 ・開き直る。腹をくくる。覚悟を決める。

 ・ムリに平常心を持とうなどと思わなくて良い。緊張していても受験はできる。

 ・あと3日あれば、3日分の勉強ができる。3日はゼロではない。

 ・直前に勉強したことは本番までに絶対忘れない。直前の3日はこれまでの3日より価値がある。

 ・他人のデキとか出題のこととか、考えてもしょーがないことは考えない。目の前の学習にだけ集中する。

 ・センター試験の会場にライバルはいない。ライバルは同じ大学の同じ学部学科を同じ日程で受ける相手だけ。

 ・本番は結果オーライ。幸運でも偶然でも点数は点数。

 ・終わった科目のことは忘れて次の科目に気持ちを切り替える。どんなに反省しても点数は変わらない。

 ・願書は余計に取り寄せておく。自己採点後に慌てなくて済む。


 

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ssh477 「やらされている」と思っているうちは学力は伸びない [教科学習]

<2011>

 

 イナカに暮らす大人たるもの、公民館とか常会とかの地域活動を疎かにすることはできません。

 ゴミステーションの当番とか、たまに回ってくる役員とか、一斉清掃とか、お祭りとかスポーツ大会とか、そういったものにはちゃんと参加しないと。

 今年は7年に一度の神社の御柱(御神木の更新)でした。私も山から里まで10kmほど、でっかい丸太ん棒、もとい御神木を引っ張りました。疲れたけど、なかなか楽しかったです。

 

 とは言え、そういう地区のお仕事が、どれも意義深いというわけじゃありません。中には「なんじゃこれ?」と思うようなものもある。

 今、住んでいる地区の話じゃないんですけど、そこの一斉清掃はかなりナゾめいたものでした。

 なんでそこをやるの?という感じで。はっきり言って無意味な場所の掃除。

 でも、出ないわけにはいかない。出不足金は取られなかったけど、やっぱご近所の手前「いなかった」と認識されるのはイヤですからね。

 

 こういう時の作業は、実に身が入りません。全然やる気が出ない。何せ意義を感じないから。

 仕方ないから、周りを見回して、あまり目立たないように、必要最低限のことだけして、時間が過ぎるのを待つ。

 

 この感覚、覚えがあるなあ。そう、小学校と中学校の掃除や全校作業の時間。

 やらないと怒られるから、仕方なく付き合ってる。仕事はしたくないから、なるべく手を抜いて、しかし先生に怒られない程度には動いて、終了時間をただただ待つ。

 

 実にイヤらしいというか、情けない姿勢です。

 けど、実はこれ、費用対対価ということで考えれば、極めて正しい姿勢です。


 

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ssh448 掃除できる子は勉強もできる(3)  [教科学習]

 掃除できる子は勉強もできる。

 こういう記事をsshではすでに2本書いています。書いたのは2010年の夏。

 ssh363 掃除できる子は勉強もできる(1)

 ssh364 掃除できる子は勉強もできる(2)

 

 この中では、掃除と勉強は似ているということを書きました。具体的には、

1 どんなに一生懸命やっても、放っておくと元の木阿弥になる

2 やればやるほど、課題に気がつく

3 「指示待ち」では効果が上がらない

4 「これだけやれば十分」というものがない

5 時間を気にしているうちはいい結果が出ない


 さて、最近になって、さらに気づいたことがあります。

 それは、掃除できる子は、問題発見能力と問題解決能力が高いということ。

 この2つの能力は、学業だけでなく、仕事や日常生活でも不可欠なものです。

 

 掃除の時間を見れば、問題発見能力と問題解決能力の有無がすぐにわかります。

 では、どんな子が、2つの能力が高いのか?

 

 例えば、教卓のあたりを掃き掃除している時に、教卓を動かして下のホコリを掃ける子。 

 例えば、掃き掃除が終りそうになった時に、ちりとりを取りに行く子。

 例えば、誰も手をつけていない場所を見つけて、そこの掃除に取りかかれる子。

 例えば、2人で雑巾やモップをかけていて、2人の間に微妙な隙間ができたとき、その隙間を自分から拭ける子。

 例えば、他人の机であっても、机の上に載せっぱなしになっているイスを降ろす子。


 こういう子どもは、もちろん実に感心な子どもたちです。

 気配りができている。よく働く。自分から動ける。他人に優しい。


 

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